強さと弱さ 11
早朝のベランダに出ると先ほどより更に風が冷たく、身を強張らせながら口々に「ん゛ー」などと顔を顰めたものだったが。
「お、こりゃすげぇな!」
「おーええ感じに明るくなってきとるなぁー!」
「ふぁー凄いやん、ここ!」
拳西さん、真子、ひよ里ちゃんと、上がった順に聞こえてくる歓声に思わず梯子下で父と笑い合った。
それに続くと、上空の淡い藍色から水平線間際の橙まで見事なグラデーションが掛かっており、手前に広がる砂浜は既に沢山の日の出待ちの人で賑わっていた。
充電の甲斐あってかすっかり元気になったひよ里ちゃんの横に立ち「あの辺りだよ」と太陽が顔を出すおおよその位置を指し示す。
最後に私の横にどかっと胡坐を掻いた父の「ダラダラだなぁ……」という台詞には、このくそ寒い朝に海に入る気だったのかと呆れた視線を投げたものの。
十中八九それに気付いていながら、尚も殆ど凪に近い海を見つめたままの父は、今年は開けたんだな、とまるで独り言のようにぽつりと零した。
「多分最後だから。後で食べる?」
「……じゃ、貰うかな」
私の見てきた自由人足らしめるに充分な両親の生き様は、けれど好き勝手からは大きくかけ離れた、云わば自己責任の集大成のようなもので。何にせよ何かを選択する以上、相応の不自由と責任が付き纏うことを、私はその背に教えられた。
かの一件の渦中にも、両親は私を一切咎めない代わりに表立って庇うような真似もしなかったけど、私自身もまた、端からそんなことは望みも期待もしていなかった。
「夏希」
「ん?」
「お疲れ」
「……うん」
“お疲れ”
それでも、こうして見放されているのではないと分かるぐらいには、温かい。それで充分。
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水平線近くの雲が金色に縁取られ、薄く顔を出した朱色を、トロめの波が点状にゆらゆらと浜へ運ぶ。
ゾクゾクする。
崇拝したりするようなものの無い私だが、この得も言われぬ神々しい瞬間だけは、どうしようもなくゾクゾクする。
寒さとは別に肌を走る感覚にぶるりとし、ふとひよ里ちゃんの向こうにいる真子を盗み見れば、ウンコ座りながらその妙に色っぽい表情にどきりとさせられた。
瞼の下に覗く恍惚味を帯びた色素の薄い瞳、薄く開かれた口、すっとした綺麗な顎。それらを金色の髪が、さらさらと撫でている。
「出てきたで!」
ひよ里ちゃんの声に我に返って再び視線を戻すと、海面で揺れていた点は一本の光線へと姿を変え、さながら太陽へ続く道のようだった。
例えば。
例えばこの無数の朱色の点から成る一本の道を辿って、あの赤々と燃える太陽を目指すように。
いつか真子や大切な人たちに支えられて進むこの先に、全部を取っ払って残った『好き』をしぶとく貫徹することで、返せる日が来ると、届く何かがあると夢見て。
そんな風に生きて行くことが彼に応えることなんだと、都合良く思い込んで進み続ける私は、許されるだろうか。
――いや。
許されなかったとしても。届かなかったとしても。
あなたも私も『ごめんなさい』じゃ済まないような、屈折した欲望や憎しみの矛先を他人に向ける浅ましい術をも知る、大人になってしまったけれど。
気付けない私だったこと、原点に戻るきっかけをくれたこと。そのふたつに『ごめんね』と『ありがとう』を抱えて、前に進むよ。
ふと、今夏希がどない顔しとんのか気に掛かって、つい、て見てみたんやけど。
うっとりした中に俺には想像つかへん感慨を秘めとるよな、何や夏希っちゅう人間の厚みみたいなんを感じさせよるな綺麗な顔をしとった。
……ええ女やなぁ。
やら思いながら正面に視線戻したら、もう真っ赤なお天とサンが水平線から離れようとしとるとこ。そん下に長く伸びる道みたいな赤い線が、海面でキラキラ光っとって。
あの煌々と燃えとる向こうには何があんねやろ、なんかぼやっと思た。
いつか。
俺ん素性も、過去も、何も聞かんと隣で笑いながら信用しとるなんか言う夏希のとこに、帰りたいやら思うことくらいは、許されるやろか。
そこに辿り着くんに何年の時が流れなアカンのかも、そこにおんのは誰かと幸せなっとる俺の記憶の無い夏希かも、分かれへんけど。
しゃーけど瞬きほどの時間やったとしても、こないな俺を好きやなんか言うてくれる夏希のとこに帰るんやて決めることで。
今はまだ上手いこと思い描けへん、あのお天とサンの向こうへ行けるてガキみたく信じて、夢なんか見てみることは、許されるやろか。
――いや。
許されへんくても。見える景色が変わっても。
いつか俺も、オマエに『終わり』と『始まり』の話を聞かしたりたいから、前に進むわ。
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