自認するのは如何なものかとも思うけれど、私は立ち直りが早い。それは頭が悪い所為か、神経が図太い所為か。或いは、それこそ私が受け継いだ『血』というやつなのかもしれない、ともちょっと思う。
色々ありすぎた為か、意識的に忘れようとすることもなく、ふと気付けば彼への恋愛感情は風化してしまっていた。
それは、知らぬ間に瘡蓋が治って新しい皮膚が出来てる感じと似ていて。忘れたくない記憶までもが色褪せ行くような焦燥に駆られ、そんな自分を忌々しく思ったこともあった。
恋人らしい別れ方が出来なかったことに胸が軋まなかったと言えば、嘘になる。
だが今後、彼がハサミを握る可能性が限りなくゼロに近い、というやりきれない現実の方が、何より私には辛かった。どれだけ周りに褒めそやされようと、私には無い、目を見張るような感性と技術を確かに彼は持っていた。
――けれど。
有名税だと笑い飛ばしてくれた家族の想い。札付きとも言える私を拾ってくれた店長。
「泥にまみれてなんぼ。人生ひとっ飛びに行かないから面白いんじゃなーい」
と、豪快に背中を叩いてくれた、アケミさん。
友達や店の仲間、変わらず接してくれるアパート住人、通い続けてくれているお客さん、私を知ろうと会いに来てくれた、ひよ里ちゃん。
そして全く関係の無い、或いは知りたくなかったかもしれない話を最後までじっくり聞いてくれて。それでいて不要な詮索をすること無く、けれど思ったことははっきり言い、ひとり泣かせてくれた、真子。
彼への自分の気持ちも、彼が向けてくれる気持ちも。
不謹慎は百も承知だが、あの一件無くしては見つけられなかったもの、出会えなかった人、知り得なかった思い。その全てが私の財産だ。
≫1/1 3
16
「おめでとさん! しっかし、えらいとこにあんねんなぁー夏希の実家は」
「おめでとーひよ
――」
……む?
ひよ里ちゃんに続いてかったるそうに石段を上って来る、服の上からもそれと分かるガッシリ体型で、わ、銀髪!? の……。
「……イケメンだ」
ピ シ。
しまった、うっかり何の気なしに口にしたそれに空気が凍結した。ような気がする。
その凍気の発生源をチラと横目で見遣ると、そりゃあもう盛大な呆れと難色を示した表情をしているじゃないか。
無論、それはやきもちなんていう感情的な代物ではなく、男の沽券とやらを華麗に無視した軽率な私の発言を、心の底から問いただしたいの態であり。
「ドアホ!」から始まり、斉藤さんに引けを取らないノンストップぶりで懇々となじってるだろう心の声が今にも聞こえてきそうだ。
オマエなぁー! 今さっき好きや言うてちゅーした俺ん横で他の男見て『イケメン』口走るてどないな神経しとんねん! 思うても堪えんのがデリカシーちゃうんかい! 大体こう見えて俺ごっっつ繊細なんやで? めちゃめちゃガラスのハートやっちゅ−ねん! あーもー何やショックで寝込んでまいそやわぁー「真子の方がイケメンよ」かなんか夏希が言うてくれたら一発なんやけどなぁーハァ? そない口調のキャラやない? 要らんことツッコんどる暇あったらはよ言わんかいボケコラァ!(意訳)
……と、まー大体こんな具合だろう。
「ええ!? 夏希オマエ、拳西みたいなムキムキアホマッチョが好みなんか!?」
そんな水面下事情を知る由もないひよ里ちゃんは目をまん丸にし、まるで「アンタの趣味も大概やなぁ!」とでも言いたげに私の顔を覗き込んでいる。
「いや、好みってわけじゃ……」
と言い掛けたものの、そこに『拳西』というワードが含まれていたことに気付き、私の全身には一気に緊張が走った。
拳西さん→愉快な仲間たちのひとり→ルート配送のバイトしてる人→短気(らしい)→初対面。
流れ的にいつも通り愛川さんと来るものと踏んでいた私にとって、これ以上ない想定外。どうしよう。困る。
「悪かったな、ムキムキマッチョで。で、あんたか? 夏希っつーのは」
……しれっと『アホ』抜きしたぞ?
などと思いながら、ひよ里ちゃんの背後に立った銀髪男性をつつつと見上げれば、その鋭い目の上で鈍く光る眉ピアスに目が止まる。真子といい、どうも彼等の間では男性陣の方がピアス好きなようだ。
「おい、聞いてんのか」
「へ!? あ、すみません! はい!」
少し鼻にかかったような、けれどよく通る低い声を以ってしての凄み口調。思わずビシッ! と背筋を正してしまう。
「六車拳西だ、新年早々邪魔してすまねぇな」
「荷車拳西、さん。えと、初めまして川村夏希と申し
――」
「む! むぐるま!」
間髪入れずの訂正が飛んで来て「うあ、すみません!」と慌ててわたわたと頭を下げた。ローズさんに続いてまたやっちまったと自省している私の横では真子が小刻みに揺れている。しかしながらこの方たちのお名前は、どうしてこうどこか渋いのだろう。ひとりくらい『佐藤』『鈴木』あたりがいても良さそうなものを。
「えらい変わった造りやけど何や懐かしなるなぁーウチここんち好きやわ」
「螺旋階段なんかいらねぇから俺も畳のある部屋がいいな」
風変わりな居間に案の定散々驚かれたのち、とりあえずコタツを囲んでの酒盛り続行ということで、2階の私の部屋へ向かうことに。
ひよ里ちゃん、拳西さん、私、真子の順で2階へ続く階段を上りながら、酒とクッキーで腹を満たしてしまった私は密かに第二次睡魔と闘っていた。
時刻は3時半、日の出まで優にあと3時間はあるだろう今、恐らくひよ里ちゃんは30分足らずで寝るだろうし、ペース配分を考えないと私も危険だ。
「なっ……!?」
……などと考えていたら、不意の軽い衝撃と共に軸足だった左足がかくんと勝手に屈伸。重心を失った私は、そのまま前に続く段へびたんとド派手にうつ伏せた。
「自分んとこの階段で何やらかしとんねん、夏希ー」
すると背後から些か楽しげなトーンの声が聞こえ、即座に振り返って全力抗議の視線を送るも、私をこの有り様に追い込んだ輩は素知らぬ顔。何事かと振り返ったひよ里ちゃんと拳西さんから、明らかな『可哀相なヒト』的眼差しをひしひしと感じる。
「……おい真子。オマエに似てるっつーわりにえらく抜けてそうだな、夏希は」
「せやろ? まるで似とらんねん」
挙句、こんなお言葉まで頂戴するに至るとは心外甚だしいにも程がある。こんにゃろう。
「……真子、先上がって」
極めつけに「おーええでー」とか言って私の脇をすり抜ける途中、耳元でコソッとこう囁かれた。
(どや、イケメンの前で無様にコケる気分は)
……意外と根に持つタイプらしい。新しい発見だ。