Memo
小高い丘の上、桃色混じりの草地に膝を抱え、隊舎を見下ろしては嘆息ばかりが漏れる。戻らねばならない刻限を過ぎているというのに、鉛と化したように重い腰が上がらない。
ついと上を向けば、今年の分を咲かし終えた桜が、さわさわとそよぐ風に新芽から覗く若葉を小さく揺らしている。
……まだ、こんなもんなんだけどな。
「チッ、何や今日はここかい」
聞き慣れたその声にぎくりと肩を震わせゆっくり振り向くと、白い羽織の上で繊細な金が棚引いていた。視線を上げた先には――思った通りのげんなり顔。
またしても見つかった気まずさに何も言えず、目線だけで恐る恐るその顔を窺えば、あぁん? とでも言いたげに上がった片眉に目が留まる。
居心地の悪さに思わず視線を外すとバッと目前にしゃがまれ、咄嗟に腰を浮かしかけた私の腕はぐっと掴まれる。すぅっと眇められたその目が、逃がすかボケ、と言っている。
「……今月入って何回目ぇですか」
「よ、四回目です……」
「前回、俺オマエに何て言うたか?」
「…………、っ!?」
どうにも返す言葉がなく地に視線を落とした瞬間、狙い定められたようにぺしんと頭をはたかれ――。
「ドアホ! オマエの頭はザルか! 仏の顔も三べんまで言うたやろが! あぁ!?」
「すすっ、すみません! すみません!」
「すんませんで済んだら刑軍なんかいらんっちゅー話じゃボケ!」
流石は四回目。大慌てで謝るも、ぺしんぺしんはたくその手は中々に容赦がない。しかし、それもこれも私が悪いのだから大人しく受ける他ない。それ以前に私は、隊長である彼に逆らえるはずもないのだけど。
「そんーーーなに、嫌なんか?」
ひとしきりヤイヤイ言って気が済んだのか、疲れたのか(たぶん後者)。目の前で大きな溜め息を吐いて頭を掻く人に、こうして単独任務に出るたび戻り時間を過ぎてしまう原因について聞かれる。嫌、というか……。
「……平子隊長は、すぐに慣れましたか」
「アホ、んなワケあるかい。しゃーけどなったもんはしゃあないやんけ」
「そう、ですよね……」
「じゃまくさいこと気にせんと早いとこパカーンと割り切ったらんかい。案外サマんなっとるで? 死覇装」
その言葉に、つい、と自分が纏うそれに目を遣る。が、どう見てもそうは思えず、苦い気分でおずおずと平子隊長の顔を窺えば、情けない顔しなや! とすぐに再びはたかれた。だけどそう簡単にパカーンとはいかないのだ。目元まであった被りを取り、死覇装の裾をはためかせて瀞霊廷内を闊歩するなど、私には。
――それに。
「なぜ私が七席なのでしょう、瞬歩に長けた方なら他にいくらでも――」
「しゃーから喜助が言うてたやろ? 伝令やったオマエにしか分からんルートに採取してきて欲しいモンが山ほどあるて」
「や、それだけなら席官でなくてもいいじゃないですか」
そうだ。平隊士ならともかく十二番隊の七席、七席だ。ついひと月ばかり前まで、限られた人たちにしか顔を知られていなかった私が、いきなり大勢の死神に頭を下げられる。そんなことがあって良いとは到底思えない。
「しゃーけど、そのルートいうんかて個々に開拓しよるもんなんやろ? 昔っからオマエはワケ分からん場所から食いモン調達して来とったし、そないな勘が働きよるとこ買われたんちゃうん」
私を連れ戻す為に来た筈の平子隊長は、腕を枕に隣に寝そべり、揺れる緑をぼんやり眺めている。草の上に広がった金が木漏れ日を浴び煌々と光っていて綺麗。
一日一日を生きて行く。それすらも決して容易ではなかったけれど、夢中になって戦利品を競い合い、時折 喧嘩しながらも笑いの絶えなかった遠い日々。
“あんまし遠くに行くんやないで”
オマエはどこに行きよるか分からんからな。年がら年中、口癖のようにそう言っていた彼の言いつけを、私はずっと守っている。昔も、今も。
その間に彼には彼の仲間ができ、私は私の同志を得た。対面し、口を聞くのは伝令を伝える時のみとなったが、遠くへは行っていない。
――もう、それではダメなのだろうか。
「しん……平子隊長に見つかってるようではダメじゃないですか」
蘇る記憶から口を滑らしそうになった私を、色の薄い瞳が目ざとく射抜く。そして苦々しげに、しょうもな、とひと言吐き捨て、がばりと上体を起こす平子隊長。次いでぐっと私の腕を掴んで――。
「遅いねん、足は速いくせに」
「……!」
まさか平子隊長が? 突如として思い当たった、今まで考えもしなかったこと。それは、次の彼の言葉で確信に変わる。
「ちゃっちゃと追って来んかい。推挙したった本人に探さすよな真似させんなやアホンダラ」
“いや〜あなたのような人を探してたんスよ! 灯台下暗しとはこのことっスね!”
畑の違う分隊にいた元三席。私が知っているのは当たり前で、その逆は有り得なかった。現十二番隊の浦原隊長がどうやって私のような存在を見初めてくれたのか。
長である四楓院隊長を通じて、裏挺隊から抜かれては困る人を差し引いて行き、結果、私が選定されたものとばかり思っていた。
そうして推挙はしたけれど、席次を決めたのは浦原隊長自身だと平子隊長は言う。今日もお願いして良いっスか。特有の口調で言付かり採取してきた、私にはさっぱり用途の分からない手元の材料をじっと見つめる。
「剣術の稽古かてきっちりつけたんねんから。しゃんと胸張って俺と目ぇ合わすとこまで追って来い言うてんねん」
いつの間にか背も、体躯も、声も、全てが大人の男を象るようになっていた彼は、けれどあの頃と変わらない眼差しで言う。
「オマエはどこに行きよるか分からんねやから」
まったく、ひどい話だ。まるで私が寄り道していたような言い草。とっとと先に行ってしまったのは自分の方だというのに。その金色の光に導かれて、ここまで来たというのに。
「俺のおる場所がオマエの帰る場所なんちゃうん」
「……アホ真子、移動型の港が簡単に言ってくれる」
百数十年、気の遠くなるような時間を超えて帰り着いたその腕の中で、漸く私は彼の名前を口にすることが出来た。けれどここは、二の足を踏む私を彼の方から探しに来てくれただけの束の間の休憩地点、云わば仮初の港。
「よそ見したらアカンで」
「……隊長が変わらず光っていて下されば、大丈夫だと思います」
「アホか、未来永劫ピッカピカやっちゅーねん」
――まだ見たことのない場所へ、私がまた走り出す為の。
−END−
[11/4/19 Tue 21:08]
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