side:美耶子
「淳のバカアアアアアアアアアア!」
日曜日の夕方、私のその声は、バカみたいに綺麗に寮内で響き渡った。
Act11.
「おい、美耶子待てって!」
焦って追いかけてくる淳のことなんて無視をして、さっさと階段を下りていく。
なんだなんだと目を丸くして部屋から出てきた、アホ面の石田や牧野を押しのけると、私はドアノブを回して寮の外へと出て行った。
(バカバカバカバカバカバカバカバカ!!)
まだ肌寒い空の下を歩きながら、さっきの話の内容を思い出してはイライラしていた。
小さな小石を腹いせに、思いっきり蹴ってやれば、一定の音を刻みながら、石は簡単に坂を転がっていく。
どこにいったかも分からない、石のことを気には留めず、私はとりあえずの行き先について考える。
学校……は、きっと八尾がいるから見つかって、すぐに寮に戻される。
果物屋のオジサンは、優しいから心配して、淳に連絡するに決まってる。
…………公園にしよう。
あそこなら、寮からも遠いし、人もなかなか来ない。
視線を公園の方向に向かわせて、早歩きで急ぐ。
公園についた。
夕方になって誰もいない公園は、昼間のいつも見せる姿とは180度違って、静まり返っている。
風が吹くと、ザワザワと木々が不気味に揺れる音と一緒に、冷たい空気がほっぺたを攻撃してきて、むしょうに淋しさみたいなものを募らせた。
近くにあるブランコの、狭く小さな木製の椅子に座って、小さくため息を吐く。
「!!?」
突然、空が視界に入ってきて、少し驚いてしまった。
今まで何とも思ってなかったはずの、夕方……夜間近の空が、なんだかすごく悲しいものに見えてきた。
「………っ……ふっ、ぅっ……」
だんだんと溢れ出してくる涙を、戸惑いながら拭った。
止まれ、と脳にお願いしてみても、そう思えば思うほど、涙は洪水みたいによけい、溢れ出してきて、遂には、声までが耐えきれずに出てきた。
ペロリ
必死に涙を拭ってると、ほっぺたに温かいものが触れた。
「……大丈夫だよ、大丈夫…………」
それを、力強く抱きしめる。
生き物のあったかさがジワリと体に広がって、さっきまで寒かった体が、溶けていく感覚があった。
それでもやっぱり、涙は止まらなくて、また、私は『それ』に心配をかけてしまったみたいで、小さな鳴き声が耳に入ってきた。
心配そうなその声に、そのうち自然と涙が止まって、私は、安心させるみたいに『それ』に顔をうずめた。
「…淳のバカ………分からず屋………母親気取り……変態………」
「また、喧嘩されたのですか?」
腹いせに、淳の悪口を呟いていると、突然、上から声が降り注がれて、私は驚いて思わず、ガバッと顔をあげた。
「………みやた…」
宮田の声がする方向を、私がジッと見ていると、目が宮田とあった。
いや、正しく言えば『それ』と宮田の目が合った。
「犬ですか?」
しゃがんで、宮田が私の持つ、それ………犬の頭を撫でる。
「…………うん」
答えると、予想以上に小さな声で、自分でも驚いてしまった。
「どうされたんですか?」
私の方を見て、質問してくる宮田の声を聞いていたら、なんだかヒドく安心して、やっと落ち着いたはずの涙がまた、溢れ出てきた。
さっきとはまた違う種類のその涙は、止まることを知らずに溢れ続ける。
「捨てっ………られてたんだ」
「犬がですか?」
「うんっ」
「それで、どうしたんですか?」
「でなっ、すっごく淋しそうで、可哀想だったから………連れて帰ったんだっ」
「はい」
「それでな、淳になっ、…っ………飼わせてってお願いしたんだ」
「…………」
「なのにっ、あいつなっ………」
嗚咽を堪えながら、必死に説明をするのを、宮田は黙って聞いてくれていた。
なんだか、心の中に溜まっていた物が口をついて吐き出されてくる気がした。
「じ、自分で飼えないのに、飼っちゃダメって…………っっ!!」
もう涙が止まらなくて、言葉が繋げられなくなる。
………確かに、私はお金も稼いでないし、目も見えないから、この犬にエサをやることだって一苦労なのは分かりきってる。
………けど
「また捨てるなんて……無理だっっ!!……」
そんなこと、私は出来ないし、したくない。
わがままだって分かってる。
だけど、この犬は多分、今度捨てられたら、きっと本当に死んでしまう。
「……そうでしたか」
「あっ!」
宮田は、それだけ呟くと私の腕から、犬を取り上げた。
冷たくなった空間に、必死に手を伸ばす。
「か、返せ。宮田っ!!私は絶対に捨てないんだっ!!」
どう頑張ってみても、見えない空間に手を振り回すだけで、犬には私の腕は届かなかった。
「そんな状態で、犬を飼うって言って、誰が許してくれますか。」
諭すように言ってくる宮田がすごく嫌だ。
(良い奴だって思ってたのに……)
裏切られたみたいだった。
「………ですから」
宮田は、そういうと、また私の手の触れられる範囲に、犬を持ってきた。
「私が飼う、という形なら、誰も文句は言わないでしょう?」
そう言って、宮田は犬に対して優しく笑いかけた。
まさか、私が幻視してるなんて、思っても無かったんだろう。
それはつまり、犬を飼えるということで、
やっぱり、宮田はあったかい奴だったんだ。
「…………宮田」
嬉しくて、たまらなくなる。
「ほら、帰りましょう。風邪をひいてしまいますよ。」
犬を抱えながら、宮田は私に手を伸ばした。
「………ん。」
頭を、犬と同じように撫でられて、なんだか不服だけど、私は素直に宮田の言葉に従う。
もう暗くなった道に、電灯に照らされた明かりが三つ。
「………そういえば、名前は何にされるんですか?」
「………ケルブだっ!!」
返した声は、予想以上に大きくなってしまった。
「ただいま」
「ただいま帰りました」
二人そろって、寮のドアを開けると、今にも泣き出しそうな淳がいた。
「み、美耶子ぉぉぉっ!!」
抱きつかれるすんでのところで、よけると、私は靴を脱いで、玄関に上がる。
「お前、心配した…………って宮田!?お前、なんでその犬連れてるんだっ!!」
驚いた声で、淳が宮田に詰め寄った。
「美耶子は飼えないんだから、元の所に返さないとっ!!」
焦ったように言う淳に宮田は、サラリと答える。
「私が飼うから良いんですよ」
「……………はあっ!!?」
素っ頓狂な淳の声に、私は思わず吹き出しそうになる。
意味がわからん、とか、甘やかすな、とか、無理だ、とかほざく淳を無視して宮田は言った。
「だって、ひとりぼっちなんて………可哀想でしょう?」
こうして、この寮にまた一匹……いや一人か?仲間が増えた。