夜は深い、特に今夜は。見上げればぞっとするほど漆黒に染まる空があって、そこには星の一つも輝いてはいなかった。ダングレストの橋上には一人立ち尽くす姿が見える。このまま闇に飲み込まれていくんじゃないかと思うくらい、すっかり夜の暗がりに溶け込んでしまっていた。

「ユーリ」

呼べば、少しだけ彼の肩が強張った。ゆっくりと振り返ったユーリの顔はよく見えないけれど、雰囲気でわかる。彼に近づくのをどこかで躊躇う自分がいた。それを巧みに気付いたユーリの口から僅かな笑いが零れる。いつもの、陽気な笑みとは程遠い。

「いい女が夜中にふらふら出歩いてんじゃねーよ」
「ユーリこそこんな夜中に」
「来るな」

どうしたの、と近づき言いかけたところでユーリから制止を受けた。冷たいというよりもその声は苦悶に満ちていて、だからこそ余計に心がざわついた。そして暗がりに慣れ始めた瞳が映してしまう、彼の握る剣の切っ先から滴る、赤を。

「―…ッ」

それを理解するのに時間は掛からない。思わず息をのんだ自分に嫌気が差す。沸々と這い上がる泣いてしまいそうな感情を押し込めた。その様子を見ながらユーリはただ淡々と言い放つ。

「なんで来たんだ」
「…心配で、その…ユーリが」
「俺が? それで出て来られたんじゃ世話ねぇけどな。俺はお前が思ってる以上にこんなこと慣れてんだよ」

そう言われて、何も返せない。唇を噛みしめたのは涙を堪えるためでなく、彼に伝える言葉を見つけられない自分が悔しくて。安々と差し障りのない言葉が彼を癒すことはないし、なによりそんな言葉をぶつけたところで何になるだろう。

「悪ぃ、イヴ。一人にしてくんねーか」
「待ってユーリ…」
「気が立ってんだ。んな時にお前に何するかわかんねー…。これ以上みっともねぇ姿見晒したかないんでね。さっさと宿帰ってろ」

ひらひらと手を振り去って行くユーリは、今夜のことを忘れろとも言わない。全て背負うつもりで彼はいる、どこまでも独りで―…。けれどもう見てしまった、静かに伏せた彼の瞳が哀しみと苦しみを孕んで揺れるのを。気付けば、再び闇に身を投じてしまうユーリの背をひたすらに追っていた。勢い任せにぶつかって、彼の背をぎゅうと抱きしめた。

「…そのアプローチ熱烈すぎて引くぞ」
「ばか」
憎まれ口を叩いても、ユーリの声は僅かに震えている。燻った(くすぶった)心は愛しさを生んだ。代弁するように回した腕に力が込められる。

「怖くねーの、俺が」
「今ユーリを独りにする方が…もっと怖いよ。私じゃ支えられない、の…かなって思」

留めた思いが一気に溢れ出る、彼の心中を汲みとるにはあまりに切なくて。そんな自分をいつの間にか真正面から抱きしめているその腕は、紛れもなく彼の温かみを伝えている。加減の知らない幼子のように強く痛く深く。

「まだ震えてんだ。怖くて…どうしようもねぇ…」

囁きのように溢された、彼の心。闇の中を探るように、ユーリの手のひらはイヴの頬を覆う。不意に落とされたキスは、二人だけが分け合う契約みたいで。何度も繰り返される愛撫に二人は次第に闇に融けていく。

彼の正義は
月も星も無い夜に似ている。
暗黙で沈静な空のよう。

誰も見上げることはない傍ら、己の心にだけ深く深く沈む正義。


霞む明星
囁かれた言葉に、本能のまま涙した

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