(密やかに、続き)



非常にまずい状況だった。

火事場の何とかに救われたものの、どうやら完全には救われていないらしい。もともと触れられなかったのだから理性をコントロールする必要もなかったわけだが、いざ触れることが可能になったなら、その反動は大きく律するのは慣れていない分ずっと難しい。彼の性質上獣を宿す瞳は持ち合わせていなくても、囲う檻が鉄壁だという根拠はどこにもなかった。

荒々しかった波は消えて、今では随分大人しくなった。ざわざわと鳴くさざ波の音は離れた砂浜まで届いて心地がいい。冷え切った体温を上げるために起こした火元から、ぱちぱちと木が爆ぜる音が響く。その音よりも喧しいのは心臓の音。

幾分ポーカーフェイスに振る舞ったとしても、そこだけは誤魔化しきれなかったようで。夜風の冷たさに、震えを抑えきれずにいたイヴを見かねて咄嗟に引き寄せて胸の中に入れてしまったことをガイは後悔こそしなかったが、お互いはその驚きで一時ほど停止することになる。

非常にまずい状況だというのは、そういうことだ。

「あの、ガイ…?」

切り出すようにおずおずとイヴの口が開いた。ガイはその声に過敏に反応しては更に顔を真っ赤にして弁解する。

「あ、いやすまない! 別にどうこうしようとか考えてるわけじゃなくてそのイヴが震えてたから…っていやいやそれを理由にとかでもなくつまりあのその」
「わ、わかってるよガイ。だからとりあえず落ち着いて」
「あ…ああ…すまない」

こぼした笑みに解かれた緊張、二人は先ほどよりも幾分穏やかに微笑みあった。

「私は大丈夫だよ。それよりもガイ…大丈夫なの?」

と、イヴはガイを気遣い少し距離を開けた。吐き出された言葉と一緒に白い息が舞って、その唇の色は血色悪く震えている。潮の混じる夜風が彼女の体温をやすやすと攫っていた。その様子を見てしまったなら放っておけないのがガイの性分で。その離れた距離を埋めるように近づいては冷たい風から庇うようにイヴを自分の胸に押し込めた。天然女誑し(たらし)の由縁を垣間見る。

「わっ」
「あ、いやすまない」
「ガイさっきから謝ってばっかり」
「はは、そうだな…。イヴ、嫌だったらその、離れるけど」

自分でそうしておいてなんだけど、とガイは少しだけ歯切れ悪く笑った。触れられるとわかったとたんこれだ。情けないような寂しいような。

「嫌とかじゃないんだけど」
「俺なら大丈夫、風避けくらいにはなるだろ?」
「でも」
「心配ないさ、恐怖症なら出てないんだから」

そうじゃなくて。
イヴはうなだれてしまう。

「…駄目だよ、ガイ」

イヴがか細く呟いた言葉の真意も、きっとまだ伝わりきってはいないだろう。疑問符を浮かべる彼の顔を見たなら尚更。

「? ん?」
「駄目」
「どうしたイヴ?」
「その、ガイ…もしかしてわかっててやって…る?」
「なにを?」

惚けるつもりはないらしい。何かしたか、と困惑し考え始めたガイの横顔。それを見て観念したかのようにイヴはくすりと笑って顔を上げた。ドキリと、ガイの心臓が跳ねた音が鮮明に聞こえた、気がする。

「私自分がこんなに優柔不断だなんて…思わなかった」
「…」

みるみる赤面していくガイ。

どうやら彼も気付いてしまったようだ。


秘めやかに
どういう意味だと、惚けてみたら君は応えてくれるだろうか。…ルークに対する罪悪感が、時折邪魔をするけれど。

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