疲労しきった体が見せた幻かもしれない。少しだけ思った。この人が町中に持ちきられる噂通りの人でなければはたまたこの人がちょっとでもまともに話しが通じる相手であったなら。なびくくらいしてたかもしれない。と、秀逸な顔が近づいてビー玉みたいな赤い瞳に私が映った時、私は不意にそんなことを思った。

「見つけたりゅん」

語尾に音符が見える。無邪気な子どもみたい、貼りつけた笑みは全然純真なんかじゃない。

「どーもお待たせしました窓辺のマーガレット、オレです」
「別に待ってないから」
「えーとお名前なんだっけ?リカルド氏が恋焦がれてる海辺のアリス?だっけ?」
「何言ってるの、同業者なだけよ。しかも海辺のアリスってなに」
「烈火のごとく嫉妬に燃えちゃうオレ」

とりあえず話しを聞いてほしい。そんな期待を持った時点で負けなのはよくわかる。

「とにかくだぁー…そんな全力で逃げられたらついつい追いかけたくなるんだなぁー」

低い声に全身の毛が逆立つ気がした。先ほどと打って変わって一際真面目な顔を作る目の前の殺人鬼、ハスタ・エクステルミ。この顔をする時がきっと一番怖い。知りもしないくせ、確信がある。背筋が見えない舌に舐められたように鳥肌が立った。追いつめられた私は袋小路の小さな鼠。背に当たる壁の感触は冷たい、じっとり流れる汗は生温い。

怖い、ただその存在が怖い。けれど命が窮地に立たされた時に貪欲に生への執着が浮き彫りになるのは必然で。小刻みに震えるの口先をぐっと噛んで自己抑制。突然降って湧いた来訪者にむざむざ殺されたくはない。すうと息をのみ込んで凄む。

今は近くにリカルドがいない、…ハスタのことだきっと狙ってたんだろう。以前みたいにリカルドは守ってくれない。せめて、合流出来るまで。命を繋がないといけない。少しだけ言うことを聞かない右手は汗で滑りそうなダガーのグリップを握り直した。

「オレとしてはだなアレだな、うん。もっと怯えちゃって震え上がる蒼白な顔が拝みたいわけデシテ」
「そんなのお断りよ」
「ああー…押し寄せてくる悲しみに打ちひしがれるオレ。でもその悲しみがやがてオレを一次的欲求へと駆り立てゆくのデシタ」
「戯言は結構よ、来るなら来なさいよ。簡単にはその欲求満たしてやらないわ。反吐が出る」

声が上ずる。歯がかちりとたまにぶつかる。吐き出した精一杯の強がり。勝敗なんて解りきってる。けど猫に一度噛みつきでもしなければ鼠はきっとうかばれない。そんな様子を知ってか知らずか、槍を肩に左右にゆらゆら揺れるハスタ。緊張感のなさが逆に気味の悪さを強調してた。

「そこは、一次的欲求ってなんですの、って訊いて欲しんだポン」
「…」
「さてさてーお嬢さんここで問題です。オレが満たしたい欲求とは次の内どれでしょう。@食欲 A海水浴 B殺人欲」

Bの選択肢を唱え終えた後すぐに、私の握るダガーの切っ先がハスタ目がけて猛進した。ひゅんと風を切る。太刀筋は悪くない。傷ひとつ付けられなくてもいい。せめて逃げる為の尺を稼げたなら―…。でも、束の間だった。逃げ道を作るどころか、じゃれる仔猫をあしらうようにいとも簡単にその手を掴まれる。振るった刃ごと。刃に触れた部分から瞳と同じ色がするりと流れて出て、私と彼の腕を汚していった。それが妙に蟲惑的で無意識に喉がこくりと鳴った。

「せっかちはいかんぜ嬢ちゃん」

耳元でそう囁く声は麻薬。その声に頭がくらりと揺れても容易に受け入れてはいけない気がする。葛藤だけが居心地悪く存在してる。

「正解はー」

あまり良い結果が想像できない自分。もう終わりか、その時を悟ってしまう。

「隠れ4番の独占欲ッ!でした!」
「は…?」

一体何を独り占めするつもりなのか、初め言ってる意味がよくわからなかった。その間3秒弱。彼の血で濡れた私の腕。離されたかと思いきや、持ち方を変えられ舌が這った。彼の、ハスタの、舌。が。

「てなわけでして、一次的欲求満たしていいデスカ?いいデスネ?」
「え…なッ…何!?」
「うん、じゃ。連れて帰ろ」

長い槍と一緒に軽々と抱きかかえられる。気付いた時には颯爽と街を退散するハスタの足取り。

「容量入ってないから楽ちん楽ちん」
「ちょっと、なにするの離してってば!……!」

助けてリカルド―…

そう言おうとして止めた。なぜ?恐怖ゆえに?…違う

攫われる快感にしばらく酔ってもいいかもと、見た目の割にがっしりした容量の不確かなこの胸と腕に。惹かれてしまったのだからしょうがない。腕を流れたハスタの赤を渇ききる前に舌で拭ったら、まるでそれは何かの契約みたいな気がして頬が一気に上気した。酔った勢いよろしくふと見上げたら、後は奪われる方が早かった。離れた口元が鳴らす静かなノイズ。満足そうに笑う彼の笑みは猟奇的。

―…一次的欲求満たしていいデスカ?いいデスね?

その言葉を思い出して、遅れて私は頷いた。魂の危険も顧みない、危うい恋路に嵌ってた。


瞑目せよ魂
行先は鉄錆と狂気染みた束縛

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