一望千里の広野を今、ひとつの旋風が通り過ぎた。一定のリズムを刻み大地を蹴り上げる四肢。日向を含んだ尾がふさりふさりと揺れる。―…風を纏うは、どうやら獣らしい。

 加速を増して獣は風になる。道の末端に近づいたところで獣の口角がにやりと上がった。――タンッ――地を蹴り、豪快に旋回してみせたかと思うと、体勢を変え制止する。今までの勢いを全て殺して。ざらざらと砂を滑べる音が止んだ時、ようやく聞こえてくる足音があった、――テケテケテケ――それも些か間の抜けた。もやもやと立ち込めた土煙が消える頃、どっしりと構えたその風貌が徐々に姿を現した。


 それは一頭の、狼。
 そして狼を追って、息急く赤ずきんを被った少女が一人。


「まだまだだな。すでにお前3回は死んでるぞ」


 物騒なことを言う、その声は紛れもない狼のものだった。憤然と諌めたかと思うと、自慢の尻尾を毛繕う余裕も見せる。十分な皮肉だった。
 ぜいぜいと肩で息をする少女。体のあちこちに擦り傷を作っていた。じんわりと伝わる痛みを堪えて息を整える。パフパフと砂埃を払いながら、遅れて言葉を返す。泣いておらんからな、と。虚勢を張り盛大に鼻をすする音がこだました。その目は幼くあっても身に余る威厳を持ち合わせて凛と光っていた。


「まだだ。いけるぞ」


 口調の威厳と相反してパタパタと狼に近づくその姿はちんまりと小柄で、見た目はさながら赤ずきん。ずれたフードを被り直せば、背に付けた外套がふわりと風に泳いだ。


「へいへい。ま、随分マシにはなったんじゃないかルー?」
「ふん。ようやく世辞を出したか。……。…もう一度だレオ、行くぞ」


 ルーと呼ばれた少女はにっと歯を見せて笑い、レオと呼ばれた獣はやれやれと溜め息を吐くも微笑み返す。その視線が交錯した時、互いの脚は再び地を蹴りあげていた。


 そして冒頭に戻る。
 空が茜色に染まるまで、それは幾度も繰り返された。


「ッ…はあ……レオ、大丈夫か…?」
「愚問だな」


 端的に返すと、レオはルーの前で背を向けてしゃがむ。すまぬ、一言告げて彼女は向けられた背にそっと跨った。幼い体に備わりきらないスタミナ。当人が一番やきもきしている風だ。気丈に振る舞っていても、その体は情けなくしな垂れる。それを労い、のんびりな足取りでレオはポクポクと歩き始めた。


「なあ、ルー」


 不意に呼ばれた声。


「どうした?」
「…俺の体はお前を守る盾になる、牙はお前と闘う剣になる」
「……。ああ」
「だから強くなれよ、相棒」


 振り返り、レオがニッと笑った。


「ふふ、…もちろんだ。お主がいてくれるならこれほど心強いことはない」


 レオの頭をそっと撫でる。綿毛のような毛並みは彼女の髪と同じ色をして、照らされる夕日によく映えた。ざくざくと帰路に並ぶ砂は心地いい音を奏でてくれる。潮の匂いはほんのり涼やかで、その穏やかさに一日の疲れも癒えていく気がした。

 
「ルー、レオー。迎えに来たぞ!」


 トリム港に着く手前で、こちらに向かって駆けてくる姿が見えた。それはおさげの可愛い女の子。背丈はルーと同じくらいだろうか――自分の方が高いとどんぐりの背比べをし合う、というのは後日談――。夕日の中でも存在感を隠さない、発色のいい藍色の服と海賊帽がよく似合う。ぶんぶんと手を振る度、チャームポイントである左右の三つ編みは、一人と一頭の帰りに喜び忙しなく揺れた。


プロローグ
ここから始まる物語

(今日のごはんはおでんじゃー。楽しみじゃな)

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