柳生くんは格好いい上にとても知識も豊富な人で、スポーツだって出来る。何しろ王者と呼ばれるこの立海テニス部で、レギュラーの座を勝ち取っている程なのだ。きっと人並み以上に抜きん出た運動神経を持っているに違いない。さらに柳生くんのすごいところはそれだけに留まらない。ひとたび紳士と口にすれば誰もが柳生くんを思い浮かべるくらい、柳生くんの紳士らしさはみんながみんな公認している。現にわたしだって紳士と聞けば、きっと柳生くんを思い浮かべてしまうこと請け合いだ。
幸村くんや丸井くんのように鮮やかで派手に目立つタイプではないけれど、彼らとは違った魅力を柳生くんはいっぱい持っていて、そうゆうところに女の子達が釘付けにされる理由があるんだろうとわたしは思う。だって柳生くんは男女見境なく誰にでもとびきり優しくて、さらにとびきり格好いいんだもの。言わずもがな、わたしも柳生くんに魅了されている一人である。



柳生くんとわたしが付き合うことになったのは、柳生くんと奇跡的に同じクラスになれてからちょうど2ヶ月が経った6月のある日だった。その日は梅雨を迎えてまだ間もなくて、そして珍しく朝寝坊してしまったことからきっかけは生まれた。いつもなら星座占いと共に毎朝必ずチェックする天気予報を、ちゃんとテレビで確認して来なかったのだ。いや、正しく言うならば出来なかったのだけど。
放課後。よりによって雨はざあざあ降りで、当然傘を持って居ないわたしは必然的に教室に取り残される形となる。しかし、雨が止まないまま時刻が夜にめっきり近付いたある時だった。我らが紳士、柳生比呂士くんがわたしに声を掛けて下さったのだ。遠慮しようにも事態が事態だったのでわたしは図々しく柳生くんの傘に入れて貰い、さらに家まで送って貰えることになった。申し訳ない気持ちはもちろんあった。だけどそれ以上に嬉しさが勝ってしまって負い目なんて遥か彼方にすっ飛んでしまっていた。だって、あの憧れの柳生くんとこんな至近距離で会話出来ているなんて夢のまた夢のよう。
そんなうきうき気分も長くは続かず、やっぱり別れの刻はやって来た。別れ惜しさと寂しさに押し潰されそうになりながらも、わたしは別れの挨拶を必死に紡いだ。すると柳生くんも笑ってそれに答えてくれる。そんな柳生くんを見つめているだけで愛しさで胸が張り裂けそうになってしまう。わたしはせめて何かお礼を、そう思って柳生くんにわたしに何か出来ることはないかと思って尋ねた。高だかわたし程度に出来るお礼なんて知れているけれど、例えば昼ご飯を一回おごるとか委員会の雑務を代わりに引き受けるとか、何でもいいから柳生くんの役に立ちたいと思った。問題はそのあとである。しばらく考え込むような仕草を取ったあと、柳生くんはとんでもない一言をわたしに優しくゆるやかに告げたのだった。
もちろん、その申し出をわたしが断る筈もなかったし、その晩わたしがぐっすり眠れる筈もなかった。



今日は柳生くんとデートの日だったりする。柳生くんの家で、映画を見ることになったのだ。柳生くんが言うにはとても奥が深くて面白いらしいのだけれど、わたしがその映画を見て柳生くんと同じく面白いと言えるかどうかは全く自信がない。だけどどうしようもなく楽しみなのは本当だ。
それを証拠に一昨日からわたしの胸の中はどきどきとワクワクで占領されている。デートする前からこんなに幸せな気持ちなのに、今日が終わる頃にはわたしは一体どうなってしまうのだろう。身体ごと幸せに弾け飛んでしまわないか今から心配だ。
そんな折り、柳生くんの声がして後ろを振り返るとそこには案の定柳生くんがわたしの方へ歩いてくるのが見えた。それと同時ににやけも止まらない。服装は柳生くんらしく至極シンプルなもので、黒いシャツの上から薄地のパーカを引っ掛けていて下は青みの淡いジーンズ。控えめな服が、よりいっそう柳生くんを格好よく引き立てている気がする。なんて思ってしまうのはわたしが相当の柳生くんバカだからなのかもしれない。……ううん、やっぱり柳生くんは誰から見たってかっこいいに決まってる!



「私の顔に何か付いてますか?」
「え!」
「さっきからずっと見つめているでしょう」

柳生くんは少し困ったように眉を傾けながらわたしの顔の方へと目線を合わせて様子を伺ってきた。わたしは慌てて「何でもないよ!ごめん!」とすかさず叫びに近い声で答える。前半部分、声が裏返ってしまった。ああ、恥ずかしすぎて顔から火が噴きそう。だってその時あまりにも尋ねる柳生くんの顔がとんでもなく近かったのだから、こんな風に挙動不審になるのも仕方ないと思う。
しかもたまらなくなってつい反動で立ち上がってしまったものだから椅子が勢いよく床とぶつかってガタンと音が鳴ってしまった。あああ、何と言うことだろう。貴重な柳生くん宅の、しかも柳生くんの部屋の柳生くんの私物である椅子と床に万が一、傷でも付けてしまったらどうしよう。思わぬ最悪の事態に開いた口が塞がらないでいるわたしに、あんな無礼を決め込んでしまったのに関わらず柳生くんは優しい笑顔を浮かべたまま「大丈夫ですか?」と大事な椅子と床よりもわたしをいち早く気遣かってくれたのだ。なんと心が広くて寛大な人なんだろう。さすが柳生くん。さすが紳士。本当に今更な話だけど、わたしなんかが柳生くんと付き合えているのが不思議で不思議で仕方がない。その旨を柳生くんに伝えてみると、柳生くんはやっぱり柔らかに微笑んでは否定した。

「そんなことはないですよ」
「ううん、柳生くんは本当にすごい人だよ!」
「……あなたは、知らないからそういうことが言えるんです」
「知らないって?…何を?」
「世の中には理性の塊なんてものは存在しないんです。それに、……かくいう私だって」

わたしは柳生くんの伝えたい意図がいまいち理解出来ないで小首を傾げる。すると柳生くんは苦そうな笑みを浮かべながらわたしの横髪に、男の人のものにしては随分と細い指先を絡めた。わたしはどういう態度を取っていいのかわからずどぎまぎと視線を宙に彷徨わせる。しかし、柳生くんはそれだけには留まらずに今度は髪を梳いていた指先を頬の方へと移動させた。するりと冷たい柳生くんの指の腹がわたしの頬をやんわり撫ぜる。心臓が壊れんばかりに脈打って身体中の熱がぜんぶ沸騰してしまいそうだ。「、やぎゅ」喉を引き絞って何とか名前を呼ぼうとするわたしの努力は、やさしく降ってきた柳生くんの唇によって呆気なく泡になってしまう。………うそ。今、わたし、柳生くんと、


「私だって紳士である以前に、あなたと何ら代わらない人間なんですよ」


うまく状況を把握出来ないまんま、目だけを見開いてただ柳生くんを見つめる。頭が、身体が、熱くてふやけてしまいそうだ。思考回路だってこんがらがってショートしそう。そこに居る柳生くんは、確かに柳生比呂士その人に違いないのに、いつもと違うような不思議な違和感を感じてしまう。もしかしたら今日は柳生くんが制服じゃなくて私服だからなのかな。……いや、たぶん違う。そんな理由なんかじゃ、ない。
柳生くんの言ってる意味、わたしにはわかんないよ。そう言おうと唇を開いてみたのはいいけれど、緊張からか呂律さえも上手く回らない。しかし、柳生くんはちゃんとわたしが何を言いたいのか察してくれたようで、黙って頷いてくれる。柳生くんは眼鏡を指で押し上げて、眼鏡と自分の目の位置を調整する仕草を取った。これは何かの理論を人に説こうとする前に必ず取る、柳生くんの癖である。きっと今から理由をわたしに教えてくれようとしているのだろう。
そして、柳生くんはわたしを一瞥してから涼やかな声を響かせた。


「わからないのなら、教えてあげましょう」


口角をゆるりと持ち上げた柳生くんの眼鏡の奥に潜む瞳は紛れも無く欲深い人間そのもので、わたしはますます訳がわからないまま行動を停止する。柳生くんの骨張った大きな手がわたしの腰を撫でたと同時に、思考回路がプツンと途切れた。



((It doesn't engage.))



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