いつから好きになってたかなんて、覚えていない。ただ言えるのは彼女に触れることすら許されなかった月日が、嫌に長く、そして嫌にひどく緩やかに感じられたということだけだ。







跡部さんと先輩が別れた。という噂を耳にしたのはたった数分前のことだった。いつも通りに部活に励み、帰宅するべく制服に着替えようと更衣室へ入ろうとした時、跡部さんが居ないことに気付いた俺は、それこそ何気ない疑問を鳳にぶつけた。「姿が見当たらないんだが、お前知ってるか?」「え?」ただでさえ目立つ人だ。格好や好みや動作の何から何まで無駄に派手なあの人が周囲に居るのか居ないのかなんてすぐにわかる。

「ああ…、跡部さん、か」
「何だ、浮かない顔だな」
「さっき見たんだけど、新しい彼女と楽しそうにコートの隅で話してるみたい」
「………新しい、彼女?って、まさか」
「うん、…そのまさか。さっき別れたんだって。今日部活が始まる寸前に」

ほら、今日いつもより早く帰ったでしょ?先輩。そりゃあ気まずいに来まってるよね、だってよりによって同じ部活のマネージャーなんだから…。
鳳が慈しむように瞳を伏せて零した言葉も、耳を擦り抜けるように消えていく。代わりにさっき聞いたばかりの単語が引っ切りなしに頭をぐるぐる回っていた。………別れた?なんて嘘、だ。
もしそれが本当なら…今頃あの人は。気付いたら俺は更衣室を飛び出していた。







しんとまるで寝静まったように音の無い教室にぽつりと影が佇んでいるのが見えて、表しづらい安心感と共にため息が漏れる。「…先輩、」壁にもたれるようにしゃがみ込む先輩に声をかけると、俯いていた顔をほんの少しだけ俺の方へ上げた。


「ひ、よし…」
「何やってんですか、こんな時間に一人で」

本当は、知ってる。いつも無駄に明るい先輩が落ち込んでる理由。知っててわざと尋ねているのだ。……俺は、意地が悪い。
「何にもないよ」ちょっと寝不足で疲れただけ。そう言って先輩は赤くて少しだけ腫れた瞼を擦っては笑った。その笑顔があまりにも胡散臭すぎて、見てるこっちまで痛くなる。どうしてそんなになるまで跡部さんを好きなのか、どうしてそんなに苦しく辛い思いをしてまで想い続けるのか、俺にはわからない。理解できない、況してしようとも思わない。


「跡部さん、新しい彼女と仲良くやってるみたいですよ」
「、………へぇ。そうなんだ」
「悲しい、ですか?」
「ううん。だってもう、わたしには関係ない話でしょ」
「……どうして見え透いた嘘をつくんですか」
「え」
「アンタは…いつも嘘ばかりだ。本当は悲しくて辛くて仕方ない癖に。どうして見栄を張るんですか」
「、うそ…なんか」
「そんなだから愛想を尽かされたんじゃないですか、跡部さんに」
「っ!」

バチン。やけに小気味いい音が二人という人数にしてはとてつもなく広く感じる教室の中で響いた。いきなりの衝撃に俺の頬はびりびりと麻痺している。痛い。…そうだ、痛いのは、俺の方なのに何故か加害者の先輩の方が傷付いたような表情で、その目からはぼろぼろと大粒の涙が頬を伝うように零れ落ちていく。「ひ、どい……」何が酷い、だ。酷いのはアンタじゃないか。アンタはどんなに俺が想っていても焦がれていても、俺をその目に映してくれることは延々にない。何故ならいつもその瞳の先には必ず跡部さんが居るからだ。
無償に悲しくなって息苦しくなって、我慢出来ずに先輩の手首を掴む。カーディガンの袖越しにじわりと確かに先輩の体温を感じて、それと同時に言い知れない感情が掴んでいる指先から身体の奥へ奥へと溢れていく。「な、」先輩はいきなりの俺の行動に驚いたような眼差しで俺を見た。心なしか、悲しみに濡れた瞳はいつもより幾らか頼りなげに揺れている。「……俺は、」俺、は。アンタが好きだ。頭が可笑しくなったんじゃないかって自分が自分じゃななくなったんじゃないかって思うくらいアンタを想っているのに。どうしてこうも伝わってくれないんだ。
いつからここまで汚く零落してしまったのか、わからない。例え弱みに漬け込むことになったとしても、彼女が自分の物になるならそれでいい。そう思うようになったのは、いつからだったか。俺は汚くて醜くて酷い人間だ。況してや鳳と違って、彼女に対して慈しみも何もない。代わりに幾らでも沸いて来るのは彼女を傷付けるだけの嫉妬や皮肉ばかりだ。…俺は先輩が跡部さんとこうして別れる日をずっと、心の奥底からずっとひたすらに待ち望んでいたのだ。


「……俺は、先輩が好きです」

随分と歯切れ悪く告げると、先輩は再び瞳を揺らした。口を開きかけようとして、上手く言葉に出来なかったのかそっと静かに閉じる。…アンタが何を言いたいのか、そんなの耳にしなくたってわかる。謝るつもりなんでしょう?拒絶したいんでしょう?
悪いが、覚悟ならとっくに出来てるんだ。


「もう、待つのは懲り懲りなんです」


無理矢理に押し付けた唇から、先輩のくぐもったソプラノが隙間から漏れるように零れては頭の中で谺する。さらに角度を変えてさっきよりも深く口づけると、やけに甘ったるい背徳の味がした。



100210
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