「試合続行だ!」

「マジかよ!アイツ左目怪我してんだろ!?」



まさかの試合続行に、ギャラリーは驚きを隠さなかった。折れたラケットで瞼を切って出血、普通なら棄権するところなのだから当然だ。すずは手早く救急箱をしまい、制限時間10分にタイマーをセットしながら、コートに立つリョーマを見遣った。



「やべぇよ、ただでさえアイツ敵の妙な技にかかって調子狂ってたじゃねぇか」

「怪我してたし、勝てっこねぇよ」



ベンチ外から見守る青学生すら、リョーマの勝利を絶望視していた。片目を負傷した青学の一年生は、きちんとプレーできるのか―――会場中から集まる関心と視線を跳ね除けるかのごとく、リョーマが放ったサーブは中断前のプレーを凌ぐほど早く鋭くコートを駆け抜け、伊武の背後のフェンスを揺らした。



――― 15-0!

「ねぇ、この程度のことで、騒ぎすぎだよ」



騒めくギャラリーの中で得意げに宣うリョーマの姿に、すずはもう怪我を心配することをやめた。



「アイツはこんなとこで負ける器じゃねぇよ」



すずの隣に腰掛けた桃城が、こちらを見ることなく言った。すずも桃城を見ることなく、うん、と小さく返した。すずは試合前の亜美との電話を思い返した。



―――《それだけ真っ直ぐ信じてくれるマネージャーが近くにいて、負ける訳ないよね》



青学は勝つのだ、勝って都大会へ進むのだと、親友に宣言したのは他でもない自分だ。今のリョーマに、そして青学に必要なのは、彼の怪我を心配することでも、まして試合を止めることでもなく、信じること。勝利を信じて、ひたすらに応援することだ。



「頑張れ、リョーマ」




試合が再開して程なくして、再び伊武の上下回転交互のラリーが始まった。トップスピン、スライス、トップスピン、そしてまたスライス。特別鋭くもなく、際どいコースでもない。でもまた、リョーマの腕の動きが鈍った。



「…上下回転...腕の鈍り…麻痺?」

「どうかしたか?」



すずの呟きに桃城が反応する。いつだったか、勉強がてら筋肉についての本を読んだ時に見た記述を、すずは必死に思い返した。



「何かで読んだの。ほぼ同じ回転数の攻撃を交互に何度か受けることで、筋肉が一瞬麻痺してしまうことがあるって。確か…スポット」

「じゃあ越前のこれって…」

「"スポット"か…そうかもしれないね」



ラリーを観察しながら、不二が頷いた。しかしスポットというのは、本人にも麻痺するタイミングは分からず、まして他人がコントロールすることはできないはずである。



――― ゲーム、不動峰・伊武!ゲームカウント4-3!

「おそらく、伊武はスポットを狙ってやっている」

「え!?でもどうやって…他人の筋肉の麻痺をコントロールすることなんてできないですよね?」



しばらく伊武を観察していたスミレの言葉に、すずはまさか、と驚愕した。その人の身体について極限まで研究を重ねていたとしても、予測することしかできないだろう。



「観察眼が優れているんだろう」

「観察眼?」

「越前の麻痺のタイミングをコントロールしているのではなく、麻痺するタイミングに合わせて打ち込んでいるということだ」

「なるほどね。ラリー中に越前の腕を観察して、タイミングを見計らっているわけだ」



手塚と不二の解説、そしてさらにスミレが「センスだけなら不二にも劣らない」と伊武を称したことで、青学メンバーは唖然、すずと桃城は驚きに顔を見合わせた。



「嘘でしょ…」

「想像以上に強いな、アイツ」

「それに引きかえ、おチビちゃんの方は動きが鈍くなってきてる…あぁっ!」



菊丸の声にリョーマをを見遣ると、リョーマの手から再びラケットが滑り落ちた。今度はコートに落ちるだけで済んだが、ヒヤリとしたのには違いない。



――― 15-0!



リョーマは数秒ラケットを見つめて動かなかった。先程の怪我を思えば、本人は“ヒヤリ”どころでは済まない、当然の反応と言えた。



「精神的なダメージにまできてるぞ」

「越前、頑張れ…」



青学ベンチが祈るようにラリーを見つめる中、また伊武が少し強く打ち込んだ。腕の動きが鈍ったリョーマはロブを上げてしまい、さらに打ち込まれる。スポットだ。



――― 30-0!



すずの手元のタイマーは、タイムリミットまであと4分を切っていた。時計を確認した大石が「大丈夫なのか」と手塚を呼んだ。



「10分なんて言わずに、もう棄権させるべきじゃないのか?」

「心配するな」

「手塚!」



手塚はしかしコート上の後輩から視線を外すことなく、大石の不安を一蹴した。あとワンポイントで追いつかれる。

スポットは条件が揃うと起きる、いわば現象だ。ということは、例え伊武の観察眼が優れていたとしても、スポットが起こる状況さえ回避できれば攻略できる。気づけ、リョーマ。すずは祈るように幼馴染を見つめた。リョーマなら、スポットを攻略できる。その時、すず視線の先の白い帽子の下で、リョーマの右目が笑った。



「ねぇ、独り言中悪いんだけどさ、早くサーブ打ってくんない?あと3分ちょいで、あんたを倒さなきゃなんないからさ」



サーバ前に何やらボソボソと独り言を言っていたらしい伊武へ、リョーマがいつも通り生意気に言い放つ。ベンチでは相変わらず大石が心配そうな顔をしていたが、すずはリョーマの表情の変化を感じ取った。いける。



「ヤな技だよね、その上下のショット。でも、弱点2つ、見っけ!」

「何!?」

「二刀流相手に試したことある?これが弱点その1!」



上下回転の交互刺激が原因なら、受けなければいい。両腕で対応する二刀流なら、それが可能だ。そしてその意識的な持ち替えを可能にするのは。



「一本足の、スプリットステップ」



通常のとは違い、向かう方向と逆の足片方で着地することで移動のスピードを上げる、一本足のスプリットステップ。経験値と瞬発力、そして判断力とがモノを言うステップを、この一年生はやってのける。



「ねぇ、トップスピンまだ?」



これが2つ目の弱点だ。そもそも上下を交互に打たせない。トップスピンをかけるにはボールを上から擦らなければならないのに対し、リョーマが打つのは伊武の体の正面へ向かって滑る打球。あれではトップスピンはかけられない。これも素早く移動するが故に、狙ったコースへ打ち込めるから成せる技だ。スポットを封じた今、この調子なら間に合う―――しかし、リョーマ左目を覆うガーゼには、再び血が滲み始めていた。



「リョーマ…!」

――― ゲーム越前!



あと1ゲーム、時間は残り2分を切った。時間も、リョーマの目も、ギリギリだ。



――― 15-0!

――― 15-15!

――― 15-30!



ポイントは入るものの、リョーマの打球の威力は目に見えて下がっている。ガーゼにじわじわと滲む赤は、どんどん大きくなっていく。間に合え。青学中がそう思った。



――― 15-40!



最後の一球、すずは思わずぎゅっと手を握って叫んだ。



「決めろ!リョーマ!」



ツイスト回転が加わったスマッシュは、リターンの構えをした身体を横目に左へは跳ね返り、ラケットではなく、左手に収まった。ポイントは―――リョーマだ。



――― ゲームアンドマッチ、青学・越前!

「10分、間に合った?」



少し息を切らして、リョーマがベンチを振り向く。



「っ、間に合った!」



ベンチ全員で親指を立て、ルーキーのシングルスデビュー戦の勝利を祝った。





「黙ってみてろって言ったでしょ」

「血流しながら何言ってんの!」



リョーマがベンチに戻るなり駆け寄ったすずだったが、リョーマの口から出たのはいつもの生意気。すずは仕返すように、少し乱暴にガーゼを剥いだ。



「イテっ」

「閉会式終わったら病院だからね」

「別に大丈夫なんだけど」

「大丈夫じゃないです」



リョーマの反抗を却下しながら、すずはスミレには及ばないながら最大限強く止血し、ガーゼを当て直す。サージカルテープで固定し、できたよと声をかけると、ガーゼに触れなら小さくお礼を言うリョーマ。ベンチを片付けるためすずに背を向けたリョーマは、しかし少しだけ立ち止まって小さく言った。



「…ただいま」

「!...うん、お疲れ様。よく頑張った!」



帽子をとったリョーマに後ろから飛びかかり、頭を掻き回すように撫でるすずと、逃げるリョーマ。やがてそこに桃城や菊丸がが加わり、リョーマは抵抗するのを諦めた。

ルーキーの勝利で優勝を決めた青学、ノーシードから勝ち上がり準優勝を手にした不動峰。2校が都大会への切符を手に入れ、地区予選は幕を閉じた。



20210829

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