再びキックサーブを放った伊武だったが、利き手である左に持ち替えたリョーマに対して、右で放ったサーブは意味を成さなかったらしい。難なくリョーマがリターンし、ラリーが続いた。
「本当に親父そっくりだね」
リョーマのプレイを観ながら、スミレはつぶやくように言った。
「知ってるんですか?越前の父親」
「あぁ、リョーマの親父は元プロだ」
「えぇ!元プロですって!?」
驚く大石にスミレが話し始めたのは、南次郎がまだ中学生だった頃の昔話だった。フォアハンドは抜群だった一方でバックハンドが苦手だった南次郎に指導した時の話で、時折スミレの口から語られる南次郎のセリフや様子の雰囲気が今となんら変わらないことにすずは思わず笑みをこぼした。特に同級生とのデート云々の話は、倫子さんという奥さんがいる今でも根に持っているに違いない。
「まさに天衣無縫。天性の勘の良さとスピードとパワー、そして何よりも人並みはずれた吸収力」
「そんなにすごかったんですか」
「あぁ、十年に一人、いやそれ以上の逸材だと思ったね。だが越前南次郎は私の評価をさらに上回る怪物だった」
スミレが語る南次郎が二刀流を始めた頃の話を聞きながら、すずは、遠い記憶を掘り起こしていた。まだアメリカにいた頃、少しだけ南次郎からテニスを習った時、両手で交互にボールを打つ様子を見て、すずが尋ねたことがあった。
ーーー「ねぇ南ちゃん、どうしてそんな風に打てるの?」
ーーー「昔、あるババアに仕返しするために編み出したんだ。すげぇだろ?」
"俺に言わせりゃ、テニスは喧嘩だ"と、南次郎は言っていた。南次郎が言った"あるババア"は十中八九この竜崎スミレで、恐らくバックハンドしか打てない練習へのイライラと、デートを潰されたことへの腹いせに、二刀流を始めたのだ。
「では、越前南次郎は自ら二刀流を編み出したと?」
「そう、苦手なバックを克服しただけじゃなくてな。超一流のプレーヤーはそうやって壁を乗り越えていくのさ。あいつの親父はそういうやつだった」
腹いせに、仕返しに二刀流。バカみたいな発想に聞こえるが、それが出来るプレイヤーが何人いるだろうか。当時中学生だった南次郎には、それをやってのけるだけの力があったのだ。
「ようやく腑に落ちました」
ベンチの後ろに立って黙って話を聞いていた手塚が小さく言った。その目はずっとリョーマを映したままだった。
「なにがだい」
「今あのコートに立っているのは、越前南次郎だということです」
パワー、スピード、反射能力、どれを取ってもプレーヤーとしてずば抜けているリョーマ。相手の予測を裏切る天衣無縫さまで同じというのなら、リョーマのテニスは越前南次郎のコピーだと、手塚は言った。
「お前がそこまで断言するのは珍しいねぇ」
「しかし」
リョーマから目を離さずに、手塚は続けた。
「越前がその壁を乗り越えた時、その先には一体何があるんでしょうか」
"いつか親父を倒してやる"。そう言って、南次郎の背中とボールを追い続けて来たリョーマである。まして父ともなれば似ているのも当然であるが、リョーマは南次郎ではない。これからたくさんの試合を経験して、たくさんの壁にぶつかって、転んで、立ち上がって、成長する。手塚の問いかけにこれからを想像したすずは胸に言いようのないドキドキが湧き上がるのを感じた。
「手塚部長は、どう思われますか」
「どう、とは?」
「リョーマの、行く先」
徐に尋ねたすずに、手塚は少し間をおいてはっきりと宣った。
「越前は、デカくなるだろう」
「本当に地区予選か?これ」
「マジすげぇぜ!」
リョーマはきっと、南次郎を超える。今はまだコピーでも、リョーマが必死に食らいついている相手に着実に近づいているのだから、その日は遠くないはずだ。
「あ!逆をつかれた!」
フォア側にいたリョーマは、ボールを追って走った。バックハンドで手を伸ばしたが、あと少し届かないーーー誰もが思ったその時、瞬時に右手にラケットを持ち替えたリョーマはフォアハンドでリターン、ポイントを取った。
「二刀流…」
得意げに笑うリョーマはもう一緒にテニスを習っていた頃のように小さくはないが、すずにはあの頃の小さな幼馴染がそのままそこにいるように見えた。リョーマは変わらないのだ。あの頃のまま、ただ南次郎を追いかけているのだ。
「テニスはさぁ、サーカスじゃないんだよ」
「いいじゃん、別に」
苛立ちを隠さない伊武にリョーマは愉快そうに笑って、宣言した。
「悪いけど、全国まで負ける気ないんで。全国でも負けないけど」
「…ほんと、生意気なんだから」
言いつつすずは、彼がただの生意気な少年ではないことを知っていた。そうでなければ、地区予選の会場であるはずのコートが、全国の大きな舞台に見えるはずがなかった。
20180424
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