「どうやら迷いがなくなったようだ」

「だが、海堂の不利は変わらない...」



言いつつ竜崎と手塚が見つめる先の海堂は、ブーメランスネイクに執着することはなくなっていた。しかし手塚の言う通り、それまでに取られたゲーム数は変わらない。状況は不利なままだ。


「どっちにしろ、ただじゃ終わんないっスね。ああなった海堂先輩は、しつこいから」


はらはらしながら目をぎゅっと瞑って両手を握るすずの隣で、リョーマが楽しそうに言った。その言葉にはっとしたすずは、コートの海堂を見た。そうだ、しつこいのだ。それこそが海堂の強みで、海堂のテニス。迷いを捨てた彼なら、試合をひっくり返すこともできるはずだった。

4-3、5-4。試合は変わらず神尾がリードして進んでいく。周囲はその試合進行を固唾を飲んで見守っていた。



「接戦だな...速さの神尾、粘りの海堂」

「でもこの調子なら、海堂くんがおいつくかも…あっ!」

ーーー40-30!



月刊プロテニスの記者、井上と芝も祈るようにコート上の選手たちを見つめていたが、神尾のボールが海堂の横をすり抜けて審判のコールが響き、神尾のマッチポイント。これで海堂は一本も落とせなくなった。



「あぁ、マッチポイント!前半のサービスゲーム、落としてたのが痛かった!」

「あと一球決められたら負けちゃう!」

「海堂先輩、頑張ってー!」



1年生トリオや周囲が不安そうに見つめる中、すずは不思議と、先程まで感じていた不安がなくなっていくのを感じていた。少し息の荒い神尾と、どっしりと構える海堂。1本取られたら終わりーーそれでも、すずはコートに立つクラスメイトが簡単に終わることを決して良しとしない人物だと知っていた。



「あっ!クイックサーブ!」



ファーストゲームの決め球となったサーブに一瞬ヒヤリとするものの、そこは粘りの海堂。得意のスネイクでリターン、神尾はネットを超えられずデュースのコールが響いた。



「いいぞ、海堂!」



神尾が取って、海堂が食らいついて。その繰り返しが続いた。



ーーーアドバンテージ・サーバー!

ーーーデュース・アゲイン!

「さっさと、っ諦めろよ!」

「誰が諦めるって?」



両者一歩も譲らない、とはまさにこの事。誰もがはらはらと試合を見つめていた時、徐ろに乾が口を開いた。



「朝ランニング10km、部活後ランニング10km、夜ランニング10km」

「え?」

「前後ダッシュ50本を3セット、素振り150本」



項目だけ聞けばトレーニングメニューであるが、しかし問題は量である。強豪校である青学の部活でのメニューも比較的多いが、乾が口にしたそれはその比ではない。さすがの青学メンバーたちも顔が引きつっている。



「ま、まさか、海堂のやつそれを毎日!?」

「ピンポン」

「普段の練習量の3倍以上か」



クイズ番組よろしくサラリと宣った乾だが、手塚の言う通り、内容はえげつない。普段の練習もすずからすればキツイ以外の何物でもないのに、さらに3倍なんて想像もできなかった。いくら海堂とはいえ、それを後輩に課していたのかと思うと、すずは乾をジト目で見ずにはいられなかった。



「...誤解するな。俺が最初に提案したのはこの半分だ。増やしたのはあいつ」



口では言いつつ、乾はすずの目線から逃れるようにコートに目を遣った。



ーーーデュース・アゲイン!



もう何度目かのデュースに、ついに神尾が痺れを切らした。サーブを放つと、素早くネットに走ったのだ。すると海堂は、放ったリターンをネット近くから際どいコースへ返されることになる。体力的に限界を迎えるであろう試合終盤でのこの場面、普通の選手なら苦戦するところだが、しかしそこは海堂である。危なげなく追いつき、スネイクで返した。



「野郎、ここにきて今までで一番キレのあるスネイクかよ!」



逆に走らされることになった神尾は、ボールに飛びつくようにラケットを伸ばした。辛うじてガットに当てたボールは、ネットに当たってゆっくりと、しかし海堂側のコートに落ちていく。



「悪いなマムシ、運も実力のうちだ」



本人も、味方も、もしかしたら敵も。誰もが神尾のアドバンテージを確信してボールを見つめた時、すずは海堂に叫んだ。



「届くよ、薫くん!」

ーーーアドバンテージ・レシーバー!



海堂が飛び込むように伸ばしたラケットは、ボールをネットの向こうに落とした。



「聞こえねぇんだよ」



息を乱すことなく立ち上がると、海堂は呆然とする神尾に向かって言った。



「誰がもう終わりだって言った?例え残りワンポイントになっても、絶対、諦めねぇぞコラ」




1年生トリオなら震え上がるような鋭い目つきに、すずは海堂の勝利を確信した。海堂が諦めないと言うなら、絶対に諦めないのだ。そして彼が諦めないなら、絶対に勝って帰ってくる。すずにとっての海堂薫とは、そういう人物だった。



ーーーゲーム・アンド・マッチ 青学・海堂!7-5!



コートに響いたコールに、すずは小さく拳を握った。



20180301

prev next