「あ、ねぇ桃」
ベンチに並んで座って雨が止むのを待ちながら、すずは隣に腰掛けた桃城に声をかけた。
「なんだ?」
「石田くん?だっけ、波動球の人。あの人は大丈夫なのかな」
「大丈夫って、腕か?」
「うん。あれだけすごい打球だもん。打つ方だって腕への負担は大きいと思うんだけど」
青学屈指のパワープレイヤーの腕に、棄権せざるを得ない程のダメージを与えた打球である。彼自身部長から1試合に1球までと決められていた様だったし、影響がなかった訳では無いだろう。
「んー...不動峰側は特になにもなかったと思うぞ」
桃城の返事を聞いて、すずはほっと胸をなでおろした。試合直後はとにかく河村が心配でそれどころでは無かったが、不動峰にはマネージャーはいないようだったこともあり、事が落ち着いてから石田のことが気になっていたのだ。
そうこうしている内に、雨が弱まってきた。そろそろ試合が始まりそうだ。ふと周囲を見回したすずはそこにいない人物に気づいた。
「ねぇ、そういえば薫くんはどこ行ったの?」
「海堂ならイメトレだろ」
イメージトレーニング―――試合中のあらゆる事態を想定しながら、対処法をイメージして試合に備えるトレーニングだ。予想以上に試合までの時間が空いてしまった今回、モチベーションを維持するためにも必要なことではある。しかしこの雨の中、海堂はどこまで行ってしまったのだろう。しかしすずの心配を知ってか知らずか、海堂はすぐに戻ってきた。
「薫くん!」
「園田...お前、なんで濡れてんだ?」
「帰ってくる途中に降られちゃったの。っていうか、薫くんだって濡れてるじゃない」
これから試合なのに、とすずは持っていたタオルで海堂を拭おうとした。が、海堂はそれを制しながらタオルだけ受け取ると、ジャージの上着を脱いだ。
「遅かったっスね、シングルス3の人」
「!」
ベンチに座っていたリョーマは海堂を見ずに、しかし確実に海堂に向けてからかうように言った。
「負けないでくださいよ」
「お前に言われたかねぇ!」
「おい海堂!相手は越前じゃないぞ」
「...はい」
険悪になりかけた2人を手塚が制し、押し黙った海堂はラケットを握ってコートへ歩き出した。すずはリョーマの頭をコツンと軽く小突きながら海堂に「頑張れ」と声をかけ、スコアボードを手に再びベンチに腰掛けた。一瞬吹き抜けた風が袖から伸びる腕をなで、先程雨に濡れたせいで肌寒く感じたすずは思わず体を震わせた。
「っくしゅん!」
「園田」
「?」
「これ、着てなよ」
後ろからかけられた声に振り向くと、すずの肩にジャージを掛けながら微笑む不二がいた。驚いたすずが固辞すると、「風邪引くといけないから」とまた微笑った。
「でも不二先輩が、」
「僕は今日はもう試合ないから平気だよ。それに...」
不二は微笑みを崩さずすずの耳に顔を寄せると、少し愉しそうに囁いた。
「園田が寒そうだと、手塚が心配するからね」
「...不二」
すずの隣に座っていた手塚の睨むような一瞥を頂きつつ、しかし穏やかな笑みを返す不二は、ベンチの空きスペースに腰をかけてコートに目を移した。すずは2人の優しい先輩にお礼を言いながら、少しダボつくジャージに袖を通した。
―――シングルス3。青学・海堂、不動峰・神尾。
ピリピリと敵意むき出しの海堂に対して、まるで嘲るような目線を向ける神尾。その神尾の態度が、海堂の闘志をさらに燃え上がらせていた。今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気に、すずはそわそわと2人を見つめていた。
「お前、マムシってあだ名らしいな」
「!」
「ピッタリじゃねぇか」
神尾が放った言葉が、海堂の張り詰めていた糸を切った。
「やめろ!海堂!」
「薫くん!!」
ラケットを握った右腕を振りかぶり、神尾の顔面に向けて思い切り振り抜いた海堂だったが、しかし神尾はさらりとそれを躱した。止めようと声を張り上げた手塚とすずは、ほっと胸をなでおろした。
「結構スイング早ぇじゃん」
「こら!何をやってるんだ!」
それでもなお海堂への挑発をやめない神尾に再び食ってかかろうとした海堂だったが、そこに審判が止めに入った。しかしそれに怯む海堂ではない。むしろ海堂の鋭い目つきに審判が怯んだ。
「海堂!」
「っ、...すみません」
「...気を付けるように!」
抑えに入ったのはやはり手塚で、海堂はバツが悪そうに顔を背けつつ、頭を下げて謝罪した。それを確認した手塚はベンチから立ち上がり、不動峰の部長・橘に向きあった。
「うちの部員がすまない」
「いや、挑発したのはこっちが先だ。うちこそすまない」
両者の謝罪をもってひとまず落着し、気を取り直して試合開始のコールがかかる。
―――ワンセットマッチ、不動峰・神尾トゥーサーブ!
雨で濡れたコートで睨み合う2人。ハラハラと周囲が見守る中、シングルス3が始まった。
20161112
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