《不動峰が去年出場辞退した話は知ってる?》

「うん、さっき河村先輩から...暴力事件のせいだって」

《うん、あのね...》



亜美の話はこうだった。先代の不動峰中テニス部の2、3年生は不良の集まりのような人達で、当時の1年生は日常的にイジメを受けていた。それは外部から見ていても分かるほど顕著で、顧問も柄の悪く、さらに教育委員会のお偉いさんにコネのある人だった為に、誰もその状況を正すことが出来なかった。

そこに転校してきたのが、当時2年生で現・部長の橘桔平。彼は1年生達の盾となりながら改善策を模索し、自分たちだけのテニス部を作ろうと考えた。しかしそれが先輩達の耳に入ってしまい、件の“暴力事件”が起きた。

橘は殴り込んできた先輩達に対して、やり返さずただひたすら耐えた。橘の指示で1年生達も我慢していたが、そこに現れたのが顧問だった。彼は橘達を嘲笑い、しかしそれだけでは飽き足らず、コートにタバコを捨てたのだ。その行為は橘にとってこの上ない侮辱で、到底許すことの出来ない愚行だった。



《それで、橘さんが顧問に殴りかかったってわけ。新聞にも載っちゃったし、元々当時の3年生はやる気もなかったから、大会はそのまま出場辞退したみたい》

「そんな、酷いことが...」

《だからさ、今の不動峰はそこから這い上がって来たってことだよ。自分たちの力だけで、ノーシードから、決勝まで》



さっき少しだけ見えた不動峰の団結力はそこから来ているのだと、すずは確信した。地獄のような日々で成す術のなかった1年生にとって、現れた橘という存在がどれだけ大きかったことか。どれだけ頼もしく見えたことか。その大きな存在への信頼と憧れを胸に、彼らは1度絶たれたかのように見えた全国大会への階段を這い上がってきたのだ。思いの強さは、きっとこの会場にいる誰より強いのだろう。



「そう、だね」



現に今行われているダブルス2、青学は両者ともに3年生なのに対し、不動峰は2年生ペアである。にも関わらず、引けを取らないどころか青学が押される展開だった。思いも実力も、決勝にコマを進めるに相応しい強さだ。自分たちの力だけで上がってきたという自信や精神力も、大きな武器になる。―――でも。



「でも、青学だって負けない」

《...》

「不動峰は強い、それは分かる。決勝に出てるんだからそりゃ強いよ。でもそれは青学も同じだもん」



不動峰の団結力が目を瞠るものだということは紛れのない事実でも、すずは青学のそれが不動峰に劣るとは思わなかった。仲間に対する信頼も、勝利への思いも全部、青学だって誰にも負けない。



「勝つよ。青学は勝つ。勝って、優勝して、それで都大会に進むの」

《...ふふ、うん。そうだね、青学が負けるはずないね...ふふ、ははは》



電話の向こうで亜美が突然笑いだしたのがわかって、すずは少し困惑した。



《それだけ真っ直ぐ信じてくれるマネージャーが近くにいて、負ける訳ないよね》

「それは...そんな、」

《頑張ってね、すず》

「...うん」



親友からの激励を受けて、すずは通話を切った。



「...よしっ」



自分に出来るのは信じることだ。ただひたすら彼らを信じて、そばで声援を送ること。すずはパチンと自分の両頬を叩いて、青学のベンチへ走った。










「お、すず。お前どこ行ってたんだよ?」

「ごめんね、ちょっと急用で。試合どう?」

「さっきまでちょっと危なかったけど、今追い上げてるところだ」



桃城に少し責められながらベンチに入ると、乾が試合状況を教えてくれた。押されていた展開から不二・河村ペアは追い上げを見せ、カウントは40-30。青学はブレイクチャンスを迎えていた。次のワンポイントを取れるかどうか、勝負所だ。しかしその最後の1球、目に見えて不動峰の石田のオーラが変わった。



「なに...?」



胸のざわめきの理由がわからないまま、すずはラリーを見つめた。そして不動峰のベンチから部長の橘がなにやら合図を出した瞬間、石田の構えが変わった。



「行け、石田!」

「波動球!」



波動球―――それは大切なものを壊してしまう程、強烈な1打だった。


20161020

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