地区予選を翌日に控えた日。明日に備えて練習が早めに切り上げられたため、いつもならまだ誰かしらいる時間でも、部室にはもう誰もいなかった。すずは一応声をかけつつ部室に入り、救急箱やらスコア表やら、試合に必要なものをバッグに詰めた。ふと顔をあげると、ホワイトボードにトーナメント表が貼られていて、左上に“1.青春学園中等部”の文字を見つけた。



「第1シードか...」



こうして言葉にしてみると、彼らは強いんだと改めて思う。テニスをしていない普通の中学生の姿の彼らも知っているから、そしてもちろんテニスに打ち込む真剣な眼差しとその実力を知っているから、とても不思議で、そして誇らしかった。しかしそれと同時に不安にもなった。



「私、マネージャー、なんだよねぇ」



3か月前、テニス部のマネージャーになりたいとスミレに申し出たのは、すず自身だった。転校してきて4か月。とにかくテニスに関わりたい、というただそれだけの思いで、必死にスミレに頭を下げた。最終的にすずに根負けしたスミレが出したテストをなんとかクリアして、年明けから始めたマネージャーという仕事は、思ったより忙しかった。それでも日々テニスに触れ、テニスに打ち込む人々に触れ、気づけばマネージャーである自分が普通になった。

成長したと、思う。部員達との信頼関係も築けたと、思う。それでもやはり、もっとなにかできるのでは、なにか足りないのでは、という不安が消えなかった。ドリンクやタオルを渡す度、ボールやコートを綺麗に掃除する度、ありがとうと言ってくれる部員達に、すずはいつも嬉しくなった。だからこそ、自分を仲間として受け入れてくれる人達のために何かしたい、一緒に目標に向かって進むためにもっと、もっとと欲張る気持ちが消えなかった。



「私に何が出来るんだろう」



スミレみたいにアドバイスはできない。乾みたいに正確なデータを提供することもできない。まして練習相手になんてなれない。ドリンクやタオルを渡して、頑張れと励ますことしか出来ない。なにか、他に、もっと―――。



「まだなにかするつもりなのか」

「...手塚部長?」



聞こえた声に驚いて振り向くと、扉の傍らに手塚が立っていた。制服姿でカバンも持っているところを見ると、これから帰るところらしい。



「驚かせたならすまない」

「い、いえ...でもどうして?もうお帰りになったかと」

「生徒会の仕事を済ませていたんだ。さっきようやく終わって帰ろうとしたら、部室に明かりがついていたから」



明日が地区予選だろうとなんろうと、“生徒会長の手塚”には関係ないらしい。明日のために練習を早めに切り上げたはずなのに、結局残って仕事をして、それをさも当然のことのように言ってのける目の前の先輩に、すずは改めて尊敬の意を抱いた。



「で、園田はそれ以上まだなにかするつもりなのか」

「え?」

「さっき言っていただろう。私に何が出来るんだろう、と」



手塚はすずの隣に腰を下ろしつつ、問いかけた。心配の色が滲んだ手塚の声色に戸惑いつつ、すずは考えていたことをぽつりぽつりと手塚に話した。すずの話を黙って聞いていた手塚は、少し考えるような間を置いて、そして言った。



「園田、真面目なのはお前の長所だ。その真面目さに俺も部員達も先生も、いつも助けられている」

「そんな、」

「しかし何事にも限度がある。真面目なのはいい事だ。でも真面目すぎるのはよくない」



手塚の言葉にすずは目を瞬かせた。それを言う手塚こそ“真面目”を具現化したような人なのに。



「園田は真面目故に少しストイック過ぎるところがある」

「そうですか?」

「重いものも周りに助けを求めず一人で運ぼうとするし、練習の準備や片付けもほとんど一人でやってしまうだろう」

「そっ、それはマネージャーの仕事だから、」

「部活外でもそうだろう。廊下や特別教室でよく一人で働いているのを見かける」



それを聞いて、すずはギクリとした。確かに調理実習や実験の準備はなんとなしに請け負ってしまうし、先生に頼まれごとをすれば余程の理由が無い限り断らない。悪いことをしている訳では無いし、責められているふうでもないのに、手塚の声色はどうも居心地が悪かった。



「園田、お前は何をそんなに怯えている?」

「...え?」

「園田を見ていると時々思う。まるでなにかに怯えているようだ、と」



“怯え”という言葉が、すずの記憶の中の声と重なった。その声はとても暖かくて、大切で、しかし遠かった。すずはまだ怯えているのだろうか。周りに悟られてしまうほど、怯えているのだろうか。すずの奥を覗き込むような手塚の目には、声と同じように心配の色が滲んでいた。



「話したくなければ、話さなくていい。しかしこれだけは覚えて置いてほしい」

「...?」

「園田は歴としたうちの部員の1人だ。もっと何かしなければ、なんて考えなくていい。今まで通り、そのままの園田で、そこにいればいい」



言って手塚は立ち上がり、すずが救急箱やスコア表を詰めたバッグを手に扉に向かって歩いていく。すずは手塚の言葉をゆっくりと咀嚼しながら、その姿を呆然と見つめていた。動かないすずに気づいた手塚は、首だけですずを振り返って言った。



「何をしている。明日は早いんだから、さっさと帰るぞ。初戦からマネージャーがいないのでは困る」

「っ、はい!」



すずは自分の通学鞄を持って、手塚の背中を追った。“そのままでいい”とそう言った手塚の言葉が、また記憶の声と重なって、すずは背中を押されたような気がした。

いよいよ明日。全国大会への第1歩、地区予選が始まる。


20161009

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