「すずー」

「あれ、亜美?どうしたの?」



放課後、すずがランキング戦の仕度をしていると、今日は部活が休みだから彼氏とデートだと言っていた亜美がやって来た。美人な親友の不満げな表情を見上げて、すずは首をかしげた。



「聞いてよ、もー。竜也ってば私との約束忘れて友達と遊びに行っちゃったんだよ」

「あらら」

「教室に行ったらもういなくてさ。ムカついたからこう送ってやった」



言いつつ亜美は、すずに向かってスマホの画面を見せた。映し出されたLINEのトーク画面には『テニス部のエースと浮気してやる』とのメッセージが送信されていて、まだ既読は付いていない。すずが読み終わったのを察すると、亜美はそのままスマホの電源を落として、拗ねたように鼻を鳴らした。



「可哀想に、中村先輩」

「少し困ったらいいのよ、バカ竜也。せっかくお互いの顧問の出張が被って、久しぶりに休みが合ったのに」



亜美の彼氏の中村竜也はすず達の一つ先輩で、確かサッカー部のエースである。その彼氏に“テニス部のエース”と浮気してやるなんて。この美人は相当怒っているらしい。口をへの字にして不満げな表情だった亜美は、しかし突然笑顔になって、すずに言った。


「だからさ、浮気しません?テニス部のエースさん」

「へ?」



すずがにっこり笑う親友をきょとんと見つめると、亜美はさらに笑みを深めた。要するに、亜美の言う“テニス部のエース”とはすずの事らしい。



「“テニス部のエース”マネージャーでしょ?」

「マネージャーは1人しかいませんけどね」

「でも嘘じゃないし」



邪魔はしないから、と亜美はどこから持ってきたのか、すずの分とは別に椅子をもう一つ準備して、そこに座ってしまった。今日はスコア番が主な仕事なので、話し相手が出来るのはすずにとってありがたい事だが、しかしどうなのだろう。親友とはいえ部外者である。なんというか、授業中におおっぴらに私語をしているような、そんな気分だった。すずは迷った末、亜美に提案した。



「ねぇ、亜美。だったら試合観ない?」

「試合?ランキング戦の?」

「うん。ここで座ってるより楽しいと思うよ」



亜美が少し興味を惹かれたような表情をしたので、すずは今日の試合予定を確認した。手塚vs大石、菊丸vs桃城、そして越前vs乾と、どれも興味深い対戦カードだ。生徒会長を務める手塚はもちろん知っているだろうし、同級生の桃城とは亜美も顔見知りだ。知り合いの試合なら楽しめるだろう。それに今日は海堂の試合はないようだし、交渉次第ではルールをあまり把握していない亜美に付き合ってくれるかもしれない。



「手塚先輩とか桃の試合もあるし...リョーマの試合もあるよ」

「リョーマ?って、この間言ってたアメリカ時代の幼馴染み?」

「そう!薫くんにも勝っちゃった我部期待のルーキーです!」

「ふーん、それはちょっと気になるかも」



話している間に準備も終わり、そろそろ試合が始まる時間になった。第1試合の選手達は既に自分のコートでスタンバイしているのが見てとれたし、遠くの手塚vs大石のコートには既にたくさんのギャラリーが詰めかけている。



「亜美、ルールあまり分からないでしょ?薫くんは今日試合ないから、付き合ってくれるか頼んでみよう」



言って海堂を探しに歩き出した2人だったが、目当ての人物はすぐに見つかった。部室裏のドリンクブースに座っていた彼は、その鋭い目つきのせいか、女子生徒に怯えられていて、すずが声をかけると海堂はふいっと顔を逸らした。



「薫くん?どうしたの?」

「チッ...なんでもねぇよ」

「あ、あの、テニス部の方ですか?」

「あ、うん、そうです...なにか御用ですか?」



さっきまで怯えていた女子生徒はどうやらリョーマの応援に来たようで、試合が行われるコートを探していたらしい。その最中にテニス部のレギュラージャージを着た人と遭遇したために声を掛けたが、生憎、レギュラーの中でも愛想の悪い海堂に当たってしまったという訳だった。



「リョーマの試合はDコートなんだけど、分かるかなぁ...」

「と、ともちゃん!待ってよ〜」



すずがコートの場所の説明に迷っていると、ともちゃんと呼ばれた女子生徒を追いかけてきたらしい女の子が走ってきた。その少女をどこかで見たことがある気がして、すずは記憶の中を探り、そして首を傾げながら声を掛けた。



「あなた確か...竜崎先生のお孫さん?」

「え?あ、はい!竜崎桜乃です」

「やっぱり!私、テニス部でマネージャーをしてる2年の園田すずです。先生にはいつもお世話になってます」



いつだったか、すずは教科係の仕事で職員室にいた時に、桜乃が竜崎をおばあちゃんと呼んでいるのを見たことがあった。テニスウェアを着ていたし、可愛らしい子だなぁと羨ましく思った覚えがある。厳しいスミレの孫娘なだけあって実際とても礼儀正しく、すずが自己紹介すると桜乃もこちらこそお世話になっています、と丁寧に頭を下げた。ついでに友達だと言う小坂田朋香のことも紹介され、すずは後輩に知り合いが増えた、と少し嬉しくなった。



「薫くん、この子たちをコートに案内してあげて」

「なんで俺が!」

「怯えさせたお詫び。あとついでに亜美もよろしく」

「はぁ!?」



すずの後ろにいた亜美の存在に今気づいたらしい海堂に亜美が、よっ!と片手をあげると、海堂の眉間にシワが増えた。なんでお前がここにいるんだと表情で語る海堂に、亜美はお得意のにっこり笑顔で対応した。



「すずと浮気しに来たんだけど、この子仕事があるしさ。海堂ヒマなんでしょ?代わりに私と浮気しよ」

「お前と浮気なんて死んでもしねぇ」

「失礼な。光栄に思いなさい」

「ふざけんな」



亜美は海堂の睨みに怯えない数少ない女子の1人、かつ2年連続のクラスメイトであるという気安さも相まって、この2人は挨拶がわりのように棘のある言葉の投げあいをするのが常だった。亜美と仲良くなって以来、目の前で繰り広げられる光景に最初こそオロオロしたすずも既に慣れ、戸惑う1年生女子2人にいつものことだから、とにっこり笑ってみせた。



「はいはい、2人とも。ゆっくりしてると試合始まっちゃうよ。薫くんだってどうせ試合見に行くんでしょ?浮気云々は置いといて、早く行きなって」

「そうそう、早く案内しなよ海堂」

「それが人にモノを頼む態度か、テメェ」

「ほら!ケンカしないで!さっさと行く!」



未だ火花を散らす2年生2人に少し怯える1年生に、2人とも根は優しいから大丈夫だと声を掛けつつ、全員に熱中症に注意するよう言い聞かせて、すずは4人を送り出した。










試合を済ませた部員達に労いの言葉をかけ、スコアを記入する。単純作業だが大切なマネージャーの仕事である。一つ一つのスコアを書き入れながら、すずはコートでプレイする部員達に思いを馳せた。

1年生の夏明けに青学に転校してきて年明けからマネージャーになったすずは、まだまともに公式戦を見たことがなく、もうすぐ始まる地区予選がすずにとっての言わばデビュー戦になる。年に一度、全国大会まで続く大きく大切な大会で、3年生達にとっては最後の舞台。その始まりを飾るレギュラーが決まる今回のランキング戦は、青学の命運を分けるといっても過言ではない。

実力主義を貫く青学レギュラーの枠は8つ。今まで3年生6人と頭一つ抜きんでた2年生2人がそれを埋めてきたが、今年はリョーマがそこに割って入った。誰が苦汁をなめる結果になるのだろう。

ぼんやりと座りながら考えていたすずの耳に大きな歓声が届いてそちらに目を遣ると、しばらくして1人の選手が歩いてきた。


20161006

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