「さてと」
カナタの膝の上にスクアーロが頭を落とすと、彼女は舌舐めずりをしながら袖をまくった。若い女性に膝枕されるという美味しい状況のはずであろうに、スクアーロは背筋がぞわぞわとするのを感じる。
「大丈夫よ。ボスにやってるんだと思って優しくしてあげるからね……」 スクアーロが身を強張らせるのを感じ取ったのか、カナタが優しげな声を落としてくる。しかしその後、うっふっふっふっふ、と怪しげな声を上げながら笑うカナタには不安しか覚えない。
「クッソォ……やるならひと思いにやりやがれぇ゛!」
まるでこれから処刑でもされるかのような言い回しをして、スクアーロは瞳を閉じた。
頬に直接あたるカナタの太ももの感触等楽しんでいる余裕などない。
鼓膜をマジに持って行かれるかもしれねぇ。そんな覚悟を胸に秘め、スクアーロはカナタの動きを待った。
するり、と何かが右耳の中に入ってくる感覚。
来たか……!
スクアーロは思わず身を強張らせる。しかし、予想していた痛み等はとくにやってこない。むしろ、かりかりと耳の内側をこする耳掻きの感覚が気持ち良いくらいだった。
おお?
想像と違って、何やら心地よいそれにスクアーロの緊張も解けてくる。握りしめていた拳の力も解き、先程とは違った意味で意識を耳に集中させる。
なるほど、これは。
来るべき時とやらが来たらザンザスも喜ぶかもしれない。これは普通に嬉しいし気持ち良い。
スクアーロがそうして素直に耳掻きを楽しんでいると、するりと耳掻きが耳の外へと出て行ってしまう感覚がする。それに多少の名残惜しさを感じていると、右頬にビンタが飛んできた。
「いっでぇええ!? な、何すんだ、テメェぇえ!」
「左耳やるから、方向転換してよ」
「普通に言えば良いだろうがよおぉ!」
「はいはい、じゃあ早く向き変えてって」
「……チッ……ったくよぉお゛……」
カナタが乱暴なのは今に始まった事ではない。観念したスクアーロは仕方なく叩かれた右頬を押さえながら、向きを変えようとして――――動きを止めた。
「どうしたの、ほら、早く」
「いや、待て、ちょっと、これはまずいだろぉ」
「何が」
「何がって、その」
このままスクアーロが向きを変えてしまうと、その視線の前に広がるのは、カナタの腹部というか、股間というか、まあ、なんというか、その。
「やらしー顔して何考えてるの、カス鮫先輩」
「あっ、あ゛あぁあ!? やらしい顔なんてしてねえだろぉが!!」
「やらしくてもやらしくなくてもどうでも良いから早く向き変えてってば」
「ぐっ、お、おう……」
全く欠片も意識していないカナタの態度に何だか負けた気持ちになり、スクアーロは素直に向きを変えた。
カナタはそのまま作業的に続きを始めようと、前かがみになる。
先程は外側を向いていたから意識等しなかったが、この体勢になると、どうにもカナタの胸が迫って来て何とも言えぬ背徳感に心を揺さぶられた。
これはある意味拷問なのではないだろうか。
先程の天国とは一変して、今は地獄に落とされる寸前のような気持ちだ。顔に触れるか触れないかの位置にあるカナタの胸から目をそむけながら、スクアーロは思った。
「テメェら、こんな所に集まって何してやがんだ」
本当に、突然だった。
頭上から気配も無くそんな声が聞こえて来た。
スクアーロが目を見開くと同時に、彼はカナタの膝上から思い切り突き飛ばされた。吹っ飛んだ先にはテーブルがあり、スクアーロは背中を強かに打ち付ける。
「ボボボボボボボボス、ど、どうされたんですか! い、いつの間にいらしたんですかっ!!」
自分を突き飛ばしさらには蹴飛ばして跳ねのけた女は、顔を真っ赤にしてソファの後ろから声をかけて来た男に熱い視線を向けていた。
その様子をぼんやりと見ながら、なるほど、そういう訳か、今日は平和に事が済むかと思ったら結局こうなるのか、とスクアーロは全てを悟った。
「えらくべったりしてやがったじゃねえか」
ザンザスがぽつりと言うと、カナタの顔が一気に青ざめる。ザンザスの表情はと言えば特に感情も籠っておらず、ただ本当に今見た感想を述べただけのようだった。
「ちっ、違うんです! 今のは誤解です!」
「……あ?」
何が誤解何だ? とでも言いたげに首を傾げるザンザスに、カナタは只管おろおろと動揺している。これが先程まで「鼓膜破ってやるわー」とか言っていた女と同一人物とはとうてい思えない。
「その、スクアーロと、特別な関係とかじゃなくて、その」
「テメェとカス鮫の関係何か、俺の知った事じゃねーよ」
素っ気ないザンザスの返事に、カナタの顔色はますます蒼くなる。
ザンザスは知った事ではないと突き放すような事を言っている物の、興味が無いとは言えない声色にスクアーロは表情を顰めた。
スクアーロとカナタの間に何も無い事等百も承知なのだろう。ただ単に、奴は面白がっているのだ。カナタの反応を。
「ち、違うんです、ボス! わ、私はあんなロン毛とは無関係で、本当ただの同僚で、全然これっぽっちもそんな、やましいことは、なくてですね」
「るせえな、どうでも良い」
「あああああ、ボスぅうう……」
話を打ち切られ、カナタがソファに正座したまま項垂れる。
がっくりと肩を下ろす姿は何やら同情を誘った。
テーブルにぶつかったままの体勢だったスクアーロは、ゆっくりと立ち上がり打ち付けた腰を撫でる。
「スク大丈夫?」
「おう、平気だぁ」
さして心配もしていなさそうなルッスーリアの問いかけに軽く答えてから、ちらりとカナタ達へと視線を戻す。
いつも通りの不機嫌そうな顔でカナタを見下ろすザンザスからは怒りは全く感じられない。寧ろ、表情とは違い楽しそうにも見える。
「それは何だ」
「あ、これですか? 耳掻きと言いまして、日本人はこれで耳の中を掃除するんですよ。そ、そうだ、ボスもいかがですかっ」
「んなもんを俺の耳の中に入れる訳ねえだろ、カスが」
「……あ、はい……そ、そうですよね……」
カナタは右手に持っていた耳掻きを嬉々として掲げた手を、ゆっくりと落として行く。
彼女が上目遣いでザンザスを盗み見ると、彼の口はいつも通りへの字に堅く結ばれているし、眉も険しい。のだが、その瞳の奥に優しげな、何かを感じ取ってしまって、カナタは言いようのないもどかしさに身をよじった。
そんな二人を見ながら、スクアーロはなるほど思った。
「来るべき時」とやらは案外そう遠い未来でも無いのかもしれない、と。
耳にも入れぬ
(2012.09.14)