「今はちょっとタイミングが悪いのよぉ……」
「言い訳は良い、とっととしろぉ。出来ればボスが帰ってくる前になぁ」
「カナタをどうにかしてくれるなら、直ぐに渡すわよ!」
「あ゛あ?」
ルッスーリアの言葉で、ようやくスクアーロはソファの後ろで殺気を放って隠れているカナタの存在に気付いた。明らかに様子のおかしい彼女の姿を見て、スクアーロの眉間に皺が寄る。
「何してんだぁ、カナタ」
「寄るな、ロン毛。鬱陶しい、死ね」
ドスの利いた声と共にカナタが花瓶を床に叩き付けて割る。何をしているのかとスクアーロが疑問に思った矢先、カナタは花瓶の破片を拾いスクアーロ目掛けて投げて来た。
それは真っ直ぐ、スクアーロの喉元に向かって来る。スクアーロは寸での所でそれをかわすも、その表情には驚きと戸惑いが浮かぶ。
明らかに急所を狙っていた。そして痛いくらいに感じる、この殺気。これは牽制ではない。本気だ。
しかし何故?スクアーロは頭を捻る。自分は彼女をここまで怒らせる事をした覚えはない。というか、ここまで怒らせた事が一度もない。ボスの話で無意味に殴られたりする事はあったが、それには殺意なんて籠っていなかった。
自分に心当たりが無いのなら、原因は他にあるはずだ。
「う゛お゛ぉい!なんだぁ、アレ!お前ら何したぁ!」
「投げる物がなくなったと思ったら、カナタも考えたよね」
「ああん、もう。全部マーモンのせいよ!」
「無視してんじゃねぇえ!何したんだって聞いてんだ!答えやがれぇ!」
ぎゃいぎゃいと喚くスクアーロを鬱陶しそうに見てから、マーモンは次々と投げられてくる破片に注意しつつ、事のあらましを説明した。
説明を終える頃にはスクアーロの眉間に皺が深くきつく刻まれていた。
「何て馬鹿な事してくれたんだぁ!テメェは!」
「彼女が好きで飲んだんだ。僕に文句を言うのはおかしいんじゃないかい」
「けしかけたのはテメェだろうが!」
「まあまあ、飲んじゃった物は仕方ないじゃないの!それにしても来たのがスクアーロで良かったわ〜。ベルちゃんやボスが来たものなら、どんな状態になってた事か」
ルッスーリアの言葉で、スクアーロはベルフェゴールやザンザスが立ち会った光景を想像する。
自分の欲望に忠実な彼らの事だ。事の説明をした所で大人しく彼女の行為を流すはずもない。間違いなく大暴れし事態は悪化するだろう。
特にザンザス。カナタが普段は盲目的なまでに惚れこんでいるのだ。今の状況で遭遇したら、カナタは問答無用で殺しにかかるのではないだろうか。
自分達でさえ、この反応なのだ。きっと彼相手ならもっと酷い事になる。
「あああああああもう無理!こんなヤツらと同じ部屋に閉じこもってたら死んじゃう!!」
我慢の限界に達したのか、カナタは嫌悪感たっぷりに叫んだ。髪を掻き乱し、息が荒い。その瞳は血走っていて今にも飛び掛かってきそうなくらいだ。
「はあ、私達って本当に愛されてるのね〜」
「嬉しくともなんともねぇぞぉ」
全然嬉しくない。今は。
「ムッ!」
とかなんとかやっていたら、マーモンが唸った。その視線は扉の方へと向けられている。
しまった、油断した。スクアーロとルッスーリアは表情を歪ませる。
会話に集中している間に、カナタが談話室から飛び出してしまったのだ。
「いやあん!待ってちょうだい、カナタ!」
「やべぇぞぉ!行っちまった!」
「困ったな、そろそろトライデント・シャマルが来る時間だったのに」
二人が叫ぶと、マーモンはむぅと唸る。
ちょっと待て、こいつは今トライデント・シャマルと言わなかったか?スクアーロはカナタを追いかけようとした足を止め赤ん坊を睨んだ。
たたみ掛けるようにルッスーリアがマーモンに詰め寄る。
「トライデント・シャマルゥウ!?今イタリアに来てるっていうのは知ってるけど、何でそんなヤツ呼んだのよぉ!」
「カナタが痴漢行為を繰り返す彼を嫌っているからだよ」
「はぁ?」
「一応仕事だからね。嫌いな相手にどんな反応を示すのかも確認しておかないと」
「こんな時ばっか真面目に仕事すんじゃねぇ!」
「報酬を貰った手前、手を抜くわけにはいかないだろう?」
かなしいかな、金の亡者は仕事熱心な赤ん坊だった。
***
ベルフェゴールは上機嫌だった。久々に手応えのある任務にありつけたのだ。
それだけではない。任務地にいた地元の殺し屋もなかなかに腕が立ち殺しがいがある奴だったのだ。良い事づくしの任務だった為か、玄関ホールを進む彼の足取りは軽い。
部屋に戻ってシャワーでも浴びて寝ようか。ああ、でもカナタが今日は休みだと言っていた。彼女の相手をしてやるのも良いかもしれない。任務明けだが、余力はある。
何しろ、それだけ今の彼はご機嫌なのだ。
「あれ?カナタじゃん」
この後の過ごし方を考えていたら、前方からカナタが走って来る。
丁度良い、このまま相手してやるか。そう思って声をかけたら、返って来たのは舌打ちだった。
「かっちーん。カナタの癖に何その態度」
上機嫌から一変して、ベルフェゴールの表情が不機嫌な物となる。下々の人間にこちらから声をかけてやったのに、あの態度だ。不愉快極まりない。
もしかしたら彼女は今機嫌が悪いのかもしれないが、そんな事はベルフェゴールには関係ない。舌打ちするなど、どんなに機嫌が悪くても王子に対して取って良い態度ではないのだから。
「うっさいわね、馴れ馴れしく話しかけないでくれる?虫唾が走るんだけど」
「はあ?誰にそんな口聞いてるわけ」
「目の前にいる、王子気どり」
「うわー、何ソレ。可愛くねー。もしかしてお前自殺志願者?」
「どっちが。ここで殺しはまずいかなって思ってたけど、もう限界。全員殺る」
「言ってる意味わかんねー。でもまあ良いや、今からお前死ぬんだし」
張り詰めた空気がホールを包む。二人は殺気を隠しもせず放ち、睨み合う。
ベルフェゴールはナイフを取り出した。すかさずカナタもホルスターから銃を抜く。それを確認し、ベルフェゴールの機嫌はさらに悪くなった。
今ならボスもいねーし、殺しても問題ねーよな。だって向こうも殺る気みたいだし。
舌打ちだけなら謝れば許してやろうと思ったけれど、最早彼に許してやる気等毛頭無かった。謝る所か銃を抜いて来たのだ。この後泣いて謝罪して来たとしても、半殺しは確定だ。痛めつけ組み敷かせないと気が収まらない。
先に緊張状態を解いたのはベルフェゴールだった。
彼のナイフが空を切る。それを弾くようにカナタは銃を撃った。間髪いれず放たれた三本のナイフも一本は撃ち落とし、もう一本は銃の柄で叩き落とす。最後の一本は腕を掠めたが何とか避けれた。
服が刻まれカナタは忌々しげに舌打ちをする。
カナタはナイフが厄介だと踏んだのか、距離を詰めるよう突っ込んでくる。元々彼女の戦闘スタイルは銃を合わせた足技での接近戦だ。
いや、距離なんて関係ない。だって距離があろうがなかろうが、勝つのは王子の俺だし。
「なめんな」
ベルフェゴールがナイフを構え、カナタが足を思い切り引いた。カナタが蹴りを繰り出すのとほぼ同時に、ベルフェゴールもカナタの足目掛けナイフを滑らす。
しかし、どちらの攻撃も割って入って来た第三者の手により、互いに届く事は無かった。