「ま、待って笹川君……!」

     必死で笹川君の後を追っていたら、まあ予想通りと言うか、ボクシング部の部室前にたどり着いた。
     部室のドアを開けている笹川君の表情は、とても生き生きとしている。あんな速さで走っていたというのに、まるで息を切らしていない。化け物だ。間違いなくこの人化け物だ。

    「女と言えど勝負を挑まれたら全力で行くぞ!」

     意気込む彼に対して、久しぶりに全力疾走した私は酸欠を起こしかけていた。いや、生まれて初めてかもしれない。こんなに必死に走ったのは。情けない事に膝が笑ってしまっている。

    「沢田、どうした。勝負前にダウンか?」

     よろける私を見かねたのか笹川君が近づいてきて、右手で肩を支えてくれた。
     優しい。
     じんわりと胸が温かくなる。心臓が煩いのは走ったせいなのか、笹川君との距離が近いからなのか、はたまた両方なのか、最早よく分からない。
     って、待て待て。
     今私が、ふらふらしてるのは笹川君が突っ走ったせいだ。そんな元凶ともいえる彼に優しくされて喜ぶなんてどうかしている。
     だというのに、私は、この距離で笹川君の顔を見たら心臓が止まってしまいそうな気がして、視線を足元に落とす。訳が分からない。今の私はちぐはぐだ。思考と体の反応が完全に食い違っている。


    「……悪いが勝負は延期だな。病み上がりのお前と勝負しても、勝敗は極限に見えている。出直して来い!」
    「いやいやっ、違うの……私、勝負をしたい訳じゃないんだってば!」

     未だ勘違いしつつも労わってくれているらしい笹川君に、息も絶え絶えながらに必死に訴えた。病み上がりでなくても勝負なんかしたくない。こんな超人と勝負なんてしたら殺されてしまう。

    「これ、一昨日、家まで送ってくれたお礼……」

     口を挟まれる前に、右手に持っていた包みを笹川君に押しつけた。左手で笹川君がそれを受け取るのが見える。今彼はどんな表情で包みを受け取ったのだろう。それを確認したいけれど、どうしても勇気が沸かず顔を上げられない。

    「…………」
    「あの、本当、感謝してて、お礼がしたくて、えーと、でも、その……何をあげたらいいか分からなくて、とりあえずお菓子を買ってきたんだけど」

     沈黙が妙に怖くて、早口にまくし立てる。

    「笹川君甘いの嫌い? あ、もしかして減量中だった?」
    「いや、好き嫌いはないし、今は試合を控えてないから平気だ。気を使わせてしまったみたいで悪いな。ありがたく頂戴するぞ!」

     恐る恐る笹川君の顔に視線を移せば、彼は眩しいくらいに生き生きとしていて、何だか酷く安心してしまった。


    「これは並盛堂の限定カスタードシュークリームだな」
    「知ってるの?」

     昼休みが終わるにはまだ時間があるのと私が疲れ切っていたという事もあって、私は笹川君に促され部室内にある椅子に腰かけていた。
     笹川君は私の前で、先程渡した包みを広げながら目を細める。

    「京子が好きでな、よく買ってきて食べているので覚えてしまった」
    「京子?」
    「俺の妹だ!」

     嬉しそうに笑う。彼がお菓子に詳しいなんて意外だ、と思ったがなるほど、妹さんがいたのか。さっき包みを渡した時に黙ったのも、もしかしたら妹さんの好きな銘柄が刻まれた袋に意識がいっていたのかもしれない。

    「じゃあ丁度良かったかな。家族の人と一緒に食べてもらおうと思って多めに買っておいたから、是非妹さんにもあげてね」
    「おう! そうさせてもらうぞ!」

     そしてまた、笑顔。
     余程妹さんが大切なんだろうか、彼女の名前を出してから笹川君の表情はとても穏やかな物になっていた。普段は見せない笹川君のそんな表情を見ていたら、嬉しさがこみ上げてくるのと同時に、何だか胸が苦しくなってくる。苦しいのにも関わらず、どうしてか私はもっとその表情が見たくなって、話を続けた。

    「笹川君、妹さんいたんだね。年は? 近い?」
    「一昨日この中学に入学した、中学1年だ」
    「あ、そうなの? 私の弟も中1だよ。クラスは何組?」
    「京子は確か1−Aだと言っていたな。沢田の弟はどのクラスだ?」
    「弟もA組だよ、同じクラス!偶然だね」

     ツナってば羨ましい。私は笹川君と別のクラスになってしまったのに、ちゃっかりツナは笹川君の妹さんと同じクラスになっていたなんて。

    「なるほど、ならば一度沢田弟にも挨拶したいものだな」

     シュークリームを一つ手に取りながら笹川君は笑った。そのまま口を開いたのでかぶりつくのかと思ったら、考える様な表情をしてシュークリームから口を離し、私を見た。
     どうしたのかと見守っていると、彼はシュークリームを半分に割って、片方をこちらに差し出してくる。

    「食え、半分こだ」
    「え」
    「女子は甘い物を食べると元気になると京子が言っていたからな。病み上がりに無茶をさせた詫びだ。早く元気になって俺と勝負だぞ、沢田!」
    「……ありがとう」

     私は受け取ったシュークリームを眺めながら呆けてしまう。笹川君はそんな私にはお構いなしに、お前から貰ったものだから詫びにもならんか、なんて言いながらシュークリームに豪快にかぶりついた。
     甘い物を食べると元気になる。その言葉に間違いない。私も甘い物は大好きだ。
     でも、今、そんなもの必要ないくらいに元気なの。目の前にいる人の表情を見ているだけで、もう、お腹がいっぱいなくらいで。


     どうしよう、私。
     ヤバイ。

     笹川君がすごく好きみたいだ。




    太陽に恋をする



     ……とりあえず。勝負だ! なんていう言葉は聞こえなかった事にしとこう。

    (2011.05.02)

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