「やあ」

     背後から声がし、私は背筋をぴんと伸ばす。
     聞き覚えのある声がした。しかも、あまり会いたくない部類の人間の声だ。出来る事なら逃げ出したいけれど、このまま黙って立ち去るなんて、その後の事を考えるだけでも恐ろしいので絶対に出来ない。
     意を決して、私は鞄を抱えるように抱きしめ、振り返る。

    「おはよう、雲雀君」

     私の後ろに立っていたのは、予想通りの人物だった。
     昇降口前を通る人が、私達を避けるように距離を取って移動していく。許されるのなら私もその輪に加わりたい。しかしそれも叶う訳が無い。
     身を固く強張らせていると、雲雀君が私の方へと近づいて来ていた。
     緊張から手が汗ばむが、彼からは敵意を感じられないので、心の中で安堵する。

    「赤ん坊は元気?」
    「すごく元気だよ」
    「そう」

     それだけ聞くと雲雀君は、興味を失ったかのように私から目を逸らした。
     実を言うと。先日雲雀君の家にお邪魔してから、毎日のようにこんなやりとりを繰り返している。
     雲雀君はリボーン君が気になっているみたいなんだけど、彼に会いたいとは決して言わないのだ。会いたいと一言くれれば、私だってすぐ取り次ぐつもりでいるのに、雲雀君は絶対にそれを言わない。用事が無いなら会う気はないのか、会いたくてもそれを自分から言うのはプライドが許さないのか、彼の心の内は分かりかねるが、何かが雲雀君の邪魔をしているらしい。
     これじゃあ以前の雲雀君とリボーン君の関係と何も変わっていないのではないだろうか。もしこうなる事を分かっていて交換条件を持ち出したのだとしたら、リボーン君は本当に鬼だと思う。いや、あの子の事だ。きっとこれも計算の内なのかもしれない。

    「おはよう、ソラ! どうした、そんな所でぼうっとして! 遅刻するぞ!」
    「了平君。おはよう」

     元気な声と共に、了平君が昇降口に飛び込んでくる。
     朝から了平君の顔が見られるなんて、なんだかんだで今日はついてるかもしれない。

    「おお、雲雀ではないか! おはよう!」

     了平君に声を掛けられ、雲雀君が顔を顰めた。彼は瞳だけを動かし、了平君の姿を確認する。

    「どうした! 返事が無いぞ、雲雀!」
    「君、うるさいよ」

     苛立った声を雲雀君が発した。
     正直、またかと苦笑せずにはいられない。
     雲雀君と交流を取るようになってから分かったのだが、どうにもこの二人は相性が悪いらしい。
     了平君は雲雀君と友達のつもりみたいなんだけれど、生憎雲雀君は彼を友達とは思っていないようだった。そもそも群れるのが嫌いで煩いのも嫌いな雲雀君にとっては、了平君は鬼門に近い。この二人が揃うと必ず喧嘩なりなんなりが始まってしまうのだ。
     いや、それは了平君に限った事ではないか。雲雀君は誰とでも喧嘩する。

    「了平君、早く行こう! 遅刻しちゃうから!」

     雲雀君が今にも咬み付きそうな表情で了平君を見ていたので、私は慌てて二人の間に入り込んだ。

    「ん? ああ、そうだな」

     あっさりと了平君は雲雀君から目を逸らす。本当、了平君って素直だ。
     了平君が意識を放した為か、雲雀君は踵を返した。明らかに校舎外に向かっているけど、まあ、雲雀君だし突っ込まないでおこう。これ以上何か言ったら咬み殺されるかもしれない。リボーン君に私を傷つけないと約束したとは言え、雲雀君はリボーン君を呼び出したりしないし、実質あの約束なんてあってないようなものだ。どうなるか分からない。

    「どうした、悩み事か?」

     靴を履き替え下駄箱から顔を上げると、了平君がこちらを見ていた。どうやら、考え込んでしまっていたらしい。
     私は革靴を下駄箱に押しこんで、笑顔を作る。

    「大丈夫、何でもないよ」
    「なら良いが。何かあった時はいつでも俺に言え! 力になるぞ!」

     握り拳を作って、了平君が笑った。その瞳は真っ直ぐ、私を捉えている。
     何とか「ありがとう」と返事をするものの、私の心中は穏やかではない。
     ああ、もう。
     悔しいなあ。
     朝から、きゅんとしちゃうじゃないか。
     自分の頬が熱くなっていくのに気づいた瞬間、助け船を出したかのようにチャイムの音が響いた。

    「まずいぞ、ソラ! 極限に遅刻だ!」
    「う、うん! 急ごう!」

     赤くなる前に了平君が私から顔を逸らしてくれた事に感謝をしつつ、私達は急いで昇降口を後にした。



     先生が黒板にチョークを滑らす音だけが響く教室内。
     静まり返った室内には、たまに外で体育の授業をしている生徒の声が入ってくるくらいで、誰一人言葉を発していない。
     気を逸らす物なんて何も無く、授業に集中するには絶好の環境だと言うのに、私の意識は完全に飛んでいた。
     だって仕方ない。仕方ないのだ。
     朝の了平君を思い出すだけで、にやにやしちゃうんだから仕方が無い。
     ああ、どうして私ってこうなんだろう。了平君の事で振り回され過ぎな気がする。
     それとも、恋ってこういうものなんだろうか。人を好きになったら、皆こんな感じにそわそわして、その人のことばっかり考えてしまって、頭がぐちゃぐちゃになる物なのだろうか。
     あ、でも京子ちゃんの事でいっぱいいっぱいになっているツナはそんな感じかもしれない。
     いや、私とツナは姉弟だし、考え方が似通っているだけとも言える。世間一般ではどうなのか。すごく気になる。出来れば誰かに聞きたい。希望を言えば、同年代の女子で。
     でも、行き成りこんな事聞くのって変だよね。恋愛相談なんて、柄じゃないし、クラスの子に聞くなんて私には出来ない。だって「あー、ソラって笹川好きなんだー」みたいな目で見られて学園生活を送るなんて、そんな、恥ずかしくて無理。
     けれどこれ以上一人で抱え込むのも……あーどうしようどうしよう。

    「沢田」

     ツナに相談するのもなあ。姉の威厳と言う物があるし。大体、姉弟揃って、笹川兄妹が好きってどうかしてないか。

    「沢田」

     ビアンキさんは……何か次元が違いすぎて話が合わないような気が。とても良い人なんだけど、彼女の言う所の「愛」ってやつは、正直私にはよく分からない。もちろん了平君が好きなのには違いないのだけれど。何だかビアンキさんとは重みが違うような気がする。相談するのには申し分ない相手だけれど、どちらかというと今は共感できる相手が欲しい。

    「沢田!」
    「ちょっと、さっきからなんですか! こっちは考え事して」

     机に突っ伏していた顔を上げると、机の前には数学教師が立っていた。冷たい目で私を見下ろすその額には、青筋が浮き立っている。

    「あ、せ、せんせ」
    「考え事があるなら、廊下で考えろ」

     明らかに怒っているだろうに、先生は笑みを浮かべて言い放った。有無を言わさぬ雰囲気に、私は「はい」と絞り出すように答えて廊下に出るしかなかった。


    「はあ……」

     放課後。
     一人とぼとぼと帰路を歩く。
     まずい。非常にまずい。
     結局今日一日中、了平君の事ばかり考えていた。いや、悩んでいるとかいう訳じゃないのだけれど。とにかく、朝の事で浮かれてしまったのか、よく分からないけど了平君の事が頭から離れないのだ。
     これって、軽いように見えて、結構深刻な問題なような気がする。集中は出来ないし、気づくとにやにやして周りから変な目で見られるし、私の沽券にかかわるのではないだろうか。まあ、了平君に片思いし始めてから、集中出来ないのもにやにやしているのも、ずっと続いてはいるのだけれど。

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