目の前にはベル君。昨日の朝までは会いたいなー、なんて思っていた彼が立っている。
     しかし生憎、現在の気持ちは昨日とは違う。ベル君は、今一番見たくない人間のトップランカーを爆走中だ。
     部屋に一歩、ベル君が踏み込んだ。私はと言えば、腰を抜かし、その場に座り込んでいる。

     ――逃げなければ。

     回らない頭でそれだけ思いついたけれど、力が入らず立ちあがる事が出来ない。仕方が無いので、私は包まっていた毛布を頭からかぶって隠れた。

    「なにそれ。馬鹿なの?お前が馬鹿なのは分かってたけど、これはもう底なしの馬鹿じゃね?」
    「まったくだね。理解に苦しむよ。お前達よくこんなのと一緒にいられるね」
    「こいつも馬鹿だが、弟はもっと馬鹿だからな。こんなの可愛いもんだ」
    「ちょ、どういう意味だよ!リボーン!俺はこんな事してないだろ!」

     人の気も知らずに、言いたい放題言ってくれている。

    「っつーかさー、お前なんなの?王子から出向いてやってんだぜ。なのにその態度は、なんな訳。会いたいとか言っといてさ」
    「えっ、何、ソラ姉、そんな事言ったの?」
    「お前のアネキの初恋相手、俺らしーよ」
    「えっ、ええ?!二人は会った事あるの?」
    「八年くらい前に、こいつ泣きながら鼻水たらして」
    「ぎゃああああ!やめて!ツナにそんな話しないで!」
    「文句があるならとっとと出てこいよ」
    「そ、れは無理です」
    「お前面倒くせー、マジ殺してー」

     明らかにイラついているベル君の声を聞いたら、尚更毛布から出る訳にはいかなくなる。というか、もう恥ずかしくて出られない。この人ツナに何を言ってるの。

    「っていうか、そもそもさ。お前俺の事覚えてたのかよ」
    「それは私の台詞です。ベル君が私の事覚えてたなんて聞いてません」

     毛布の中に丸まっていると、背中にぎゅうっと重みが掛かった。どうやら誰かに――いや、どう考えてもベル君に――踏みつけられているみたいだ。

    「だって言ってねーもん。何で俺がお前に声かけなきゃなんねーの?沢田綱吉の姉なんかに」
    「だったら私だって同じです。別にベル君に用なんて無いんで」
    「うぜー殺してー」

     踏みつける力が強くなり、私はじたばたともがく。

    「すいません、ごめんなさい、今のは言いすぎました、反省してます」
    「あ、そ。じゃあ、とっとと出てこいよ。別に殺さないから。っつーか殺したいけど殺せないから」

     ぐいぐいと体が揺らされる。感触からして、手で転がしている訳ではなく、足で転がされているらしい。仮にも乙女にこの扱いは無い。

    「出たらベル君、私に酷い事しますよね」
    「殺しはしねーっつってんじゃん。死にたくなるだろうけど」
    「嫌ですよ、出ません」
    「そうだよ、ベル。彼女を痛めつけるのも問題になるからね。ボスの立場が悪くなる」
    「はあ?マジかよ。本当、こいつなんな訳?うぜーんだけど」
    「ベル君。そんなにウザイなら帰ってください」

     踏みつける感触が軽くなった。

    「私も流石に殺したい殺したい連呼されると、やり切れません。一応、悔しいけれど、認めたくないけど、悲しい事にベル君は私の初恋の王子様だから、綺麗な私の思い出をこれ以上崩されたくありません」
    「………………かわいくねー」

     ならほっといてくれ。と、思った傍から体が宙に浮いた。何かと焦っていると、毛布がバナナの皮のようにめくられる。
     開かれた視界。目の前にはベル君。
     どうやら私はベル君に抱きかかえられているらしい。
     それに気づいた瞬間、逃げ出そうと私はもがいた。彼の腕の中なんて悪夢の様だ。今すぐ逃げ出さなくては酷い目にあわされる。そうして暴れた勢いで、ベル君の髪がさらりと揺れた。
     隙間から、彼の瞳が、見えた。
     私は息をのむ。
     初めて見たその瞳は、涼しげでいて、優美で。真っ直ぐ私を見ている、その瞳は、なんだかとても優しかった。
     ど、きりと、してしまう。
     あ。まずい。ダメだ。見つめちゃ。流される。

    「なんだすぐ出てくんじゃん」

     そういうと、ベル君は私から手を放す。支えを失った私は、地面へとダイブした。お尻に重い衝撃が走る。痛い。痛みと一緒に、ときめきも吹っ飛んだ。

    「ちょっと何するんですか!」
    「寿司食いに行くから」
    「はあ!?」

     ベル君に襟首を掴まれる。かと思えば、彼はそのまま歩き始めてしまった。私はずるずると引き摺られていく。

    「つ、ツナ!リボーン君!フゥ太君!助けて!」
    「無理」
    「良かったな。たらふく食って来いよ」
    「ソラ姉、ごめんね……」

     皆に助けを求めるも、あえなく切り捨てられる。何て薄情な子達なのだろう。フゥ太君は仕方ないけれど、ツナ、後で覚えてなさい。

    「ちょっと!ベル君!待って!自分で歩きます!流石に階段を引きずりおろされたら怪我じゃすまないので、放してください!」
    「はあ?だってお前逃げんじゃん」
    「もう逃げませんから!」
    「この子煩いから、放してあげなよ、ベル」

     マーモンちゃんの一言に、ベル君は私から手を放す。解放された私は、怒鳴られる前に立ちあがって、ベル君の後ろを歩いた。そのままベル君は何も言わず、家から出て行く。マーモンちゃんがふわふわと宙を漂いそれについていくので、私もそのまま後に続いた。


     暫く無言で、私達は道を歩いた。
     沈黙が重い。

    「お前素直じゃねーよな」

     ふと、先行するベル君が呟く。私はむっとして、その背中を睨みつけた。

    「素直です」
    「本当は王子が迎えに来て嬉しい癖に」
    「嬉しくないです。迷惑してます。ベル君に私の何が分かるって言うんですか」
    「分かるよ。だって俺王子だもん」

     何ですかそれ、意味が分りません。と続けたい所だったけれど、言葉が上手く出てこない。何故なら、彼の言う事は全て図星だったからだ。こうなると、私はもう観念するしかなかった。
     だから、この、勝手に繋がれてる手も振り払うつもりはない。
     マーモンちゃんが、私達の頭上で、ふわふわと揺れた。



     こうして私は、狂気に満ちた王子様と、何だかよく分からない内に幸せになってしまいましたとさ。

     めでたしめでたし。




    「ベルも大概素直じゃないよね」
    「はあ?何ソレ、笑えないんだけど。殺されてーの?鼻タレ小僧」
    「ソラが覚えてくれてたから嬉しい癖に」
    「何適当な事言ってんの?今すぐ殺してやろうか。俺、ソラを殺れなくてイライラしてるから、加減出来ねーよ」
    「喧嘩は止めてください。お寿司はどうしたんですか、お寿司は」
    「じゃあ寿司食ったら殺す」
    「殺すとか平気で言わないでください」
    「暗殺部隊の幹部に何を言っているんだい、君は」
    「本当に馬鹿だよな、ソラ」
    「その馬鹿の手握って、にやにやしてんのは誰だい」
    「殺すぞチビ。これ引き摺ってるだけだから」
    「だから人を馬鹿馬鹿言うのも、喧嘩するのも止めてください」
    「お前注文多すぎ」
    「誰のせいですか」
    「俺は良いの。だって王子だもん」

     め、でたし?

    (2011.07.05)

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