「……ここは?」
「これはですね、……が、……で」
獄寺君の説明は分りやすい。分からなくても、素直に言えば、嫌な顔一つせず詳しく説明してくれる。
彼なら、なろうと思えば立派な教師になれるんじゃないだろうか。まあ、マフィアの獄寺君には無縁の話だろうけれど。
しかし。この体勢は、ちょっと教わり辛い。私達は今、向き合って座っている。その為、教科書を横向きに置いて、体を軽く捻り説明を受ける形となっているのだが、それが中々にきつい。ファミレスのテーブルは広く、そこそこ距離があるので軽く体を乗り出す体勢にならないと教科書が見にくいのだ。
辛いと言うのは獄寺君も同じなのだろう。時折首を振ったり肩を回したりと体をほぐしている。
申し訳なく感じて来た所で、獄寺君が短く息をついた。
「ソラさん、すいません。首が痛くなってきたんで、ちょっと失礼しても……」
「え、あ……そっか」
疲れたような声で獄寺君に言われ、私は突き放されたような気持ちになった。立ち上がる獄寺君に、顔を向けられない。
まさか、彼からそんな冷たい言葉が放たれるとは思わなかった。いつも優しいからと、私は甘え過ぎていたのかもしれない。只でさえ急に頼んで、しかもこんな座りにくい体勢で長時間いてくれたのだ。正直、まだ帰って欲しくなかったけれど、これ以上獄寺君を拘束する権利なんて、私にはない。
「あの、ソラさん。隣に座るんで席詰めてもらっても良いですか?」
「え?」
気がつけば獄寺君は私の隣に立っていた。てっきり帰ってしまうものとばかりと思っていたので、拍子抜けしてしまう。どうやら、帰る訳じゃなく、私の隣に移動しようとしただけらしい。
私の表情に気付いたらしい獄寺君は首を傾げた。
「どうしました?」
「あ、ううん。獄寺君帰るのかと思って」
「ええ!?」
獄寺君は目を丸くしてから、勢いよく首を左右に振った。
「何でですか! ソラさんを置いて帰ったりしないっすよ!」
「だって、結構長い時間教えてくれてるから疲れたのかと思って」
「まさか。俺は幾らでもつきあい……」
言葉を詰まらせ、獄寺君は息を飲んだ。途端にその表情が険しくなる。
「すいません! ソラさん、お疲れでしたか!? 配慮が至らず申し訳」
「ううん、私は大丈夫! 獄寺君さえ良ければ続けて欲しいくらい!」
慌てて否定すれば、安心したかのように獄寺君は息をついた。そして、そのまま私の隣に座ってくる。
私の座る席は壁際のソファータイプ。獄寺君が隣に座ると、私は自由に席を離れる事が出来なくなる。一つ一つの椅子では無く、阻む物がない為、教えてくれる獄寺君との距離が物凄く近い。その気になればすぐに肩を触れさせる事が出来るくらいだ。
これは、ちょっと。
息苦しい。心臓が止まりそう。
そう思ったら、もう気になって気になって、獄寺君の言葉が頭に入って来ない。
駄目だよ。獄寺君は時間を割いて付き合ってくれているのに。集中しないと。
それは分かっているのだけれど、獄寺君の肩も、顔も、凄く近くて、意識するなと言う方が無理だった。
けれど、獄寺君は、全く気にした様子はない。どうしてだろう。気にならないのだろうか。私だったら、相手が獄寺君でなくとも少し焦ってしまうと思うのに。私はそんなに女として意識されていないのだろうか。
「ソラさん、どうしました?」
流石に落ち着いてはいられないので、俯いてしまえば、獄寺君から不思議そうな声が聞こえた。
「ごめんね、あの」
「はい」
「獄寺君が近すぎて、集中出来ない……」
「えっ」
このままでは拷問過ぎるので素直に伝える。まあこの場合、不自然ではないだろう。変に勘ぐられる事もないと思う。
妙な沈黙が私達を包む。
暫く間を置いてから、獄寺君が弾けるように身を引いた。その勢いで、私と獄寺君の手が軽くぶつかる。
「わあっ!?」
大きな声がしたかと思って隣を見れば、獄寺君が真っ赤な顔をして両手を挙げていた。
「獄寺君?」
「ち、ちが、ちが、違います! し、ししっ、し下心があった訳じゃなく、俺は、ただ本当に教え辛くて!」
「わ、分かったから、落ち着いて」
「ごめんなさい! すいません! ソラさんの気持ちも考えず!」
獄寺君は林檎のように顔を赤くして、大慌てで席に戻ろうとする。しかし勢いが良すぎて、テーブルに太股を強かに打ちつけた。
「だあああ!?」
跳ね返されるように、獄寺君は隣に座り込み、私を見てまた慌てて立ち上がろうとする。
「ちょっと獄寺君、落ち着いて!」
「は、はい!」
またテーブルにぶつかったら可哀想なので、私は獄寺君の腕を掴み、隣に座らせる。
慌てふためく獄寺君を見ていたら、流石に冷静になって来た。
獄寺君が暴れないのを確認して、私は彼の腕から手を離す。彼はがっくりと頭を垂れて、こちらに顔を向けようとはしない。
「ごめんね、変な事言って」
「違います」
隣に座っていなかったら、聞こえなかったと思うくらいに、小さな声が戻って来た。
「俺が悪いんです」
心底申し訳なさそうな声。何が悪いと言うのだ。訳が分からない。
「今のは獄寺君が悪い訳じゃないでしょ?」
諭すように言うと、獄寺君は静かに首を振った。
「違うんです」
「何が?」
聞くと、獄寺君は自身の膝の上に乗せている拳を固くした。
「……あったんです」
「うん?」
「……下心」
え。
「いつもソラさん、俺と一緒にいても顔色一つ変えないので」
ええ。
「少しくらいなら、平気かなって」
えええ。
「俺ばっかりどきどきしてて、何だか悔しくて」
そう言って、顔を上げた獄寺君の表情は、酷く真剣で、酷く赤くて、目がうるうるとして
「本当にごめんなさ」
「私、獄寺君が好き」
ときめいた勢いで、つい口走ってしまった。