「なら俺が教えましょうか」
「え?」
獄寺君の場合
学校の帰り道。
私の隣を並んで歩いていた獄寺君は、あっさりと言った。
その言葉に私は耳を疑う。笑顔を浮かべる獄寺君を思わず睨み付けるように見てしまった。そうすれば途端に獄寺君は表情を曇らせ肩を落とす。
「す、すみません。俺、差し出がましい事を……!」
「ちっ、違う違う!」
深々と頭を下げてくる獄寺君に、私は慌てて否定の言葉を吐き出す。別に私は嫌だなんて言うつもりは無かった。
「獄寺君。私、数学が全然分からないって言ったんだよ?」
「はい」
「私三年生だよ」
「はい」
「獄寺君は?」
「二年です」
当たり前のような表情で獄寺君は言ってのけるので、私の口は開いたまま閉まらない。
「獄寺君、三年生の数学分かるの?」
「はい。中学生レベルは普通に。だからソラさんの受験勉強のお手伝いも出来ますよ!」
ですから、幾らでも頼ってください! と、獄寺君は瞳を輝かせて笑う。その表情からして、無理をしたり見栄を張っている訳では無く、本当に分かるから申し出たというのが伝わった。
やっぱり獄寺君は頭が良いんだなあと、感心してしまう。ツナから聞いていた、いつも獄寺君はテストが満点とか、リボーンが出した中学生レベルを超えている訳の分からない問題もさらりと解いた、と言う信じがたい話が今なら納得できる。この子の頭の造りは、私と全く違った物なのだろう。
「獄寺君が忙しくないなら、お願いします」
「勿論です。いつでも大丈夫っすよ! ソラさんが都合の良い時に呼んでくだされば、飛んで行きます! 今日からでも大丈夫っす!」
私がお願いしたら、獄寺君は嬉しそうに主張した。ならば甘えてしまおう、と私は続ける。
「なら、今日から教えて貰っても良い?」
「勿論です!」
伺うように獄寺君を見ると、二つ返事で了承してきた。それがなんだか可愛らしくて、思わず笑ってしまう。
「じゃあファミレスでも入ろうか。家だとランボ君達に邪魔されちゃうから」
「はい!」
元気の良い答えが戻って来て、私達は帰宅ルートから逸れた道を歩き出した。
さて。今まで何ともないような素振りでいたけれど、実は私の心臓は今現在激しく音を立てていたりする。それもパンク寸前な程に。
当たり前だ。だって現在私は、隣を歩いている獄寺君に、片思い中なのだから。
獄寺君には、多分ばれてはいないと思う。今の所、私のポーカーフェイスは完璧だ。
獄寺君と私は、友達のお姉さんと、弟の友達という関係にある。いや、正確には獄寺君からしたら、自分の守るべきボスの姉という認識の方が正しいだろう。
そのせいもあってか、彼は出会った時から私に優しく、いつも守ってくれて、いつでも笑顔を向けてくれていた。
普段の獄寺君は気性は荒いし、すぐ人と喧嘩するしで手に負えないような人物なのだが、私に対してはそういった態度を欠片も見せない。ツナが特別だから、その姉である私に対しても真摯に接してくれているのは分かっていた。
けれど、普段厳しい目付きで周囲を見ている彼の目が、私に向けられる時に柔らかい物に変わるその瞬間。たまらなく胸が苦しくなる自分がいる事に、気が付いた。それからは、あっという間に彼に惹かれていき、夢中になってしまい現在に至る。
思いを伝えてみようかとは、何度も思った。でも、分かっているのだ。彼が私に優しいのはツナの姉だからと言う事は。
実際私達の距離は遠いもので、呼べば振り向く距離であるにも関わらず、決して近くない。友達でも先輩後輩の距離でもない。ツナありきの関係。
それに、気持ちを伝えた所で、一番気まずい思いをするのは獄寺君だ。恐らく私の事を何とも思っていないだろう獄寺君が、今後私の事でツナに気負いを感じてしまったら困るし、それは嫌だ。私はツナと仲の良い獄寺君が好きなのだから。
「教科書見せて貰っても良いですか」
レストランに入り、注文を頼んだ所で獄寺君は私に言った。教科書を渡せば軽くページをめくり始める。
「今どこをやってるんですか」
「50ページあたり」
私の返事に頷きながらページを捲る獄寺君をじっと眺める。普段と違った眼鏡姿が珍しくてどきどきしてしまう。私は別に眼鏡好きでもないんだけど、獄寺君なら何でも好きなんだなあ、と改めて思った。
後ろで一つに括られた髪の毛は、細くさらさらとしていて、輝いている。真剣に教科書を眺める、その整った顔立ちは、幾ら見ていても飽きない。美人は三日で飽きるなんて嘘だ。私は一年以上彼を見てきたけど、いつでも格好良いと思ってしまう。
「ソラさんが分からない部分はどの辺りですか?」
「わっ、あっ、えっとここら辺……っていうか、全体的に分からないから一から教えてくれると有難いです」
突然話をふられて慌てて答えた。少しどもってしまったけれど、獄寺君は変だとは感じなかったらしい。普通に微笑んでくる。
「了解っす。じゃあ、こちらから教えますね」
そんな感じで極自然に、お勉強会が始まった。折角の機会だ。獄寺君に見とれていないで頑張らないと。
私は気合いを入れて机に向かった。