06、



 電車が揺れる。ガタタン、ガタタン、という振動が、ミカサは嫌いではなかった。落ち着くのだ。考え事をするにはちょうどいい。
 ミカサが今日、精一杯おしゃれして知らぬ沿線に乗っているのは、人に会うためだ。相手はリヴァイではない。──エレンだ。
 エレンが見つかった、と知らされたのは、リヴァイとミカサがイルミネーションデートをした翌日のことだった。スミス家に招かれて、エルヴィンと再会したのもつかの間、とても真面目な顔をしたリヴァイに告げられた。落ち着いて聞けよ、と前置きされる。
「エレン・イェーガーは結婚している」
 自分でもぽかんと口を開けたのがわかった。リヴァイが何を言ったのか理解できなかった。多分、脳が理解を拒んだのだろう。
「そうなんだろう、エルヴィン?」
 リヴァイがすっと視線を走らせると、エルヴィンは頷いて調書らしき紙をめくった。
「エレン・イェーガーは現在二十五歳。妻の名前はヒストリア、とある」
「ヒストリア?」
 ミカサは混乱する。それはあのヒストリアだろうか。かつての同期を思い描く。ヒストリアが、エレンの、妻?
「ふたりが結婚したのは一年ほど前で、付き合いは大学時代からのようだ。同窓生だったようだね」
「……エレンには、記憶が、ないんですか?」
 手が震える。鼓動がどくどくと脈打つ。
「それがわからない。本当に記憶がない場合を考えると、何も知らないエージェントに接触はさせられなかったからね。あとは私たちの領域だ。……ミカサ、君自身が確かめるしかない」
「は、い……」
 ミカサはうつむく。
「君が望むなら、私かリヴァイが確認しに行ってもいいんだが……」
「駄目だ」
 エルヴィンの気遣いを、リヴァイがばっさり切った。
「確認はミカサにさせるべきだろう。……そうしなけりゃ、こいつは前に進めねぇ。過去に囚われたままになる」
 ミカサは弾かれたようにリヴァイを見た。この人は、また。
 この人は、いつだって真実を突く。遠い昔、巨大樹の森で初めて会話を交わしたあの日から、リヴァイはミカサに真実しか言わない。真実だけを見せる。その真実はどれもミカサのためのもので、ミカサは何も言えなくなる。
 リヴァイと初めてデートした日も、そうだった。
 俺から逃げないでくれ。
 抱きしめられながら言われた言葉に、ミカサはどきりとした。逃げる。そう、確かにミカサは逃げようとしていた。リヴァイから、自分の心から。自分の心の変化を見たくなくて、必死に顔を逸らそうとした。その方が楽だから。
 だってリヴァイは、エレンだけだったミカサの世界に入ってこようとしている。そしてリヴァイという名の空は、エレンという名の空の色を染め変えようとしている。ほかの何者にも不可侵だったミカサの心をリヴァイなら侵すことができると、きっとリヴァイの告白を断れなかったあの瞬間から直感していたのだ。だから知らぬふりをした。怖かった。変わることが。リヴァイならミカサを変えられると思ってしまったことが。それで逃避しようとした。けれど。
 ミカサに楽しい思いだけをさせたかったというリヴァイ。海に憧れていたミカサに、せめて近しいものを見せたかったと。胸がきゅうと苦しくなった。優しい人だ。自分のことでいっぱいいっぱいのミカサと違って、リヴァイはミカサのことを思いやってくれている。余裕がないと言いながら、ミカサの意思を尊重してくれている。これが大人であるということだろうか。
 この人から逃げることは、とても失礼なことのような気がした。それでミカサは、リヴァイの言葉に頷く代わりに、彼の肩に顔をうずめたのだ。
 秋が過ぎ、冬が来て。その間にデートを重ねた。学生のミカサには社会人のことがまだよくわからないが、リヴァイがほかに類なく優秀であろうことは想像に難くない。忙しいはずなのに、ミカサのために時間を作ってくれるリヴァイの気持ちが、素直に嬉しかった。愛されているのだ、と実感した。ひどく照れくさかった。
 今日もこうして、ミカサのために時間を作ってくれている。それがどんなにか思いやりにあふれているかをいまさらに感じて、胸がまたきゅうと苦しくなった。リヴァイにはなんのメリットもないのに、ミカサのためだけにエレンを見つけてくれた。
「会います」
 ミカサは言っていた。
「エレンに会って……見つけてきます、答えを」
 リヴァイからしばらく会えなくなると言われたとき、ミカサは確かにさびしさを感じた。それがどういう意味なのか、わからないほどミカサはもう鈍くない。
 エレン、あなたのことが好き。大好きだ。愛している。──でも。
 私はこの人に、冷たそうに見えて結構優しいこの人に、惹かれてもいるのだろう。
 エレンに記憶がないかもしれないことも、結婚していることも少し忘れて、ただ会いに行こう。自分の心を知るために。そして答えを出すのだ。自分のために。ミカサを愛してくれている、リヴァイのために。
 リヴァイは頷いて「行ってこい」とミカサの背中を押してくれた。こんなときさえもミカサを思いやってくれるリヴァイに、泣きそうになった。
 エレン、待っていて。あなたに会いに行く。
 エルヴィンから教えてもらったエレンの家は、住宅街の中にあるアパートだった。ここでエレンはヒストリアと暮らしているのだ。ちりり、と胸を焦がすものがあった。
 それにしても、とミカサはアパートの前で立ち尽くした。勤務形態まで調べ尽くしてくれていたリヴァイたちのおかげで、エレンが今日家にいることはわかっている。しかしどうやってエレンに会ったらいいのだろう。
 十中八九、エレンには記憶がないはずである。そうでなければ、エレンがヒストリアと結婚するはずがない。ミカサのことも調査兵団のことも何もかも覚えていなくて、だからヒストリアを愛して……結婚した。衝動に駆られてここまで来たが、急にミカサが訪ねていっても困惑させるだけだ。下手をしたらおかしな人間だと思われる。エレンからそんな目で見られるのは避けたい。
 頭を悩ませていると、ガチャリと目の前の扉が開いて人が出てきた。ミカサの鼓動が跳ねた。エレンだった。どうしようと迷う間もなく、エレンがミカサに気づく。金の瞳が見開かれた。
「……ミカサ?」
 ガツンと、頭を殴られたような衝撃がミカサを襲った。目眩がした。息が苦しい。吐き気までする。
 嘘だ。だったらどうして、エレンは。
「ミカサだよな?」
 ミカサは口許を覆った。リヴァイさん、と無意識に呼んでいた。

 エレンは、ミカサを!



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