04、



 ──デートでもするか

 その、言葉に。

 ──…………はい

 どうして、頷いたのだろう。
 ミカサは鏡の前に立って、ぼんやりと思った。
 自慢じゃないが、ミカサは告白されることには馴れている。軽い軟派なものから真剣なものまで、ひととおりを経験してきた。でもミカサの胸にはいつだってエレンがいたから、いつだってすぐに断ってきた。友だちとしてからでも、と言われても、そういう対象で見ることは絶対にないからと首を横に振った。そのつれなさすぎる態度が一部の女子からは反感を買っているようだけれど、ミカサには関係ない。ミカサが気にしなければ意味のない行為なのだから。
 エレン。あなたしか、私は見えない。
 それなのに、どうして。

 ──惚れた女のために尽くすのは、当然だろうが
 ──俺は、お前に惚れている
 ──人類最強の本気、なめるなよ?

 思わぬ相手からの言葉に、うろたえて、まるで宣戦布告のような告白を、どうしてすぐに断らなかったのだろう。断れなかったのだろう。
 どうして、頬が熱を持つのだろう。どうしてこんなに──心揺れるのだろう。
 リヴァイ兵長、あの日からあなたの顔ばかりが浮かんで、頭から離れない。私はエレンが好きなのに、エレンを愛しているのに、あなたのことを考えている。
 ミカサは自分の周囲に散らばった服を眺めやった。もう約束の時間まであまり間がないというのに、着ていく服を決められなくて困っている。そんな自分にも戸惑いを覚えて、ミカサは落ち着かない気分で時計を見上げた。ああもう、本当に時間がない。
 だけどリヴァイに会うのだ。生半可な格好はできない。悩んで悩んで、ようやく服を決める。ワインレッドのコートに、白のタートルネックのセーター、黒のフレアスカート。シンプルだが品よくまとまる……はず。
 もう一度鏡でチェックしてから、ミカサは時間に押されて部屋を飛び出した。まるでこの前のよう。
 ミカサは実家暮らしだ。父がミカサを手放すことを嫌がって、大学卒業までは実家で暮らすことになっている。今日は日曜日で、父も母も家にいた。慌ただしくリビングに飛び込んできた娘を母は一瞬驚いた顔で見、ははあんと笑みを形作った。
「めずらしくいつまでも部屋から出てこないと思ったら、そういうことね。ミカサ、あなた今日はデートでしょう」
「なにぃッ!?」
 ミカサが返すより早く、新聞を読んでいた父の方が大げさに反応した。彼はかわいいかわいいひとり娘を溺愛しているので、妻の言葉に必死になって反論した。
「どうしてそうなるんだ。ただ友だちと遊びに行くだけかもしれないだろう」
「甘いわね。すぱっと潔いまでにファッションを決めるこの子が、明らかに時間をかけたふうにめかしこんでおいて、相手がただのお友だちなわけないわ。女が着飾るのは男のためよ。少なくともこの場合は。これ女の、主婦の勘ね」
 母はやたら確信ありげに言いきった。そんなことはない、と言いたかったけれど、リヴァイとデートなのも、リヴァイのためにめかしこんだようなものなのも事実なので、ミカサは黙っていた。
「……行ってきます。約束に遅れる……から」
 ここは撤退するにかぎる。
「行ってらっしゃい」
「ミカサ!? 待ちなさい! あ、相手は誰なんだ!? ミカサー!?」
 父がミカサを呼ぶ声が、むなしく木霊した。
 待ち合わせ場所は、ミカサがリヴァイと再会することになったあの駅だった。ミカサはブーツの踵を鳴らして駅前の広場に立った。約束の時間は過ぎてしまっている。きっとあの人のことだ、時間は厳守してるはず。
 きょろきょろと辺りを見回す。すると噴水の向こう、柱に寄りかかるリヴァイを見つけて、ミカサは叫んだ。
「兵長!」
 幾人かの通行人がミカサを振り返る。視線の先のリヴァイがぎょっとしたように組んでいた腕を崩して、駆け寄ったミカサを小声で叱った。
「馬鹿野郎、こんな公衆の面前で兵長なんて呼ぶんじゃねぇよ。何事かと思われるだろうが」
「でも……だったらどう呼べば」
「普通に名前で呼べばいいだろうが」
「名前……」
 ミカサは目の前のリヴァイをじっと見つめた。名前、ということは。
「リヴァイ……さん?」
「……おう」
 リヴァイさん、リヴァイさん、リヴァイさんと繰り返す。よし、これで多分大丈夫。
「お待たせして、すみません」
「別にそんな待っちゃいねぇよ。……まぁ、少し不安はあったけどな」
「不安?」
 小首を傾げたミカサに、リヴァイは余計なことを言った、とばかりに顔を逸らしながら早口で言った。
「もういい。お前は来たからな」
 ミカサは目を丸くする。リヴァイは、ミカサが待ち合わせ場所にちゃんと来てくれるかが不安だったのだ。
 刈り上げた髪の間から覗く耳は、真っ赤だった。それを見て、ミカサは思う。この人は、本当に自分を好いていてくれるのだ。ただただ漠然とした不安に捕らわれるほどに。
 そう思うと、胸がきゅんとした。……きゅん? きゅんって、なに。
 静かに動揺していると、リヴァイが「行くか」と促してきたので、ミカサはこくりと頷いた。
「どこに行くんですか?」
「行けばわかる」
 そう言うリヴァイに従って、切符を買ってもらい、ホームへの階段を上る。上る途中でリヴァイが急に、
「そういえば、その格好、似合ってるな」
 なんて不意打ちを食らわせてくるものだから、ミカサの胸はまたきゅんとして、しばらくリヴァイの顔を直視できないのだった。
 それから電車で五駅ほど揺られた。そうして連れてこられたのは。
「水族館……?」
 真新しい建物を見上げ、ミカサは呟く。そういえば、新しい水族館がオープンするのだとどこかで聞いたような気がする。
「……海は遠いからな」
 リヴァイの言葉に、ハッとした。
 外の世界を見ること。海へ行くこと。それはエレンと、アルミンの夢だった。ミカサ自身はそう憧れていたわけではないが、ほかならぬエレンと、アルミンの夢だったから、それはいつしかミカサの夢にもなった。とくに海はミカサも見てみたいと思った。だけど人類が百数年の屈辱から解放されたとき、エレンはもう海になんて行ける状態ではなくて、ミカサも結局海を見ることはなかった。
 現代に生まれて、海というものを知ってはいる。でも、それだけだった。
「兵長……」
「……リヴァイ、だ」
 ミカサは今日、初めて微笑んだ。
「何から見たい」
 入場口でもらったパンフレットを広げて、ふたりで覗き込む。この水族館は三階構造で、川の魚から海の魚、イルカやペンギンまでいるらしい。
「……ペンギン」
「ペンギンか。あっちだな」
 ペンギンは小さくてかわいかった。「リヴァイさんみたいだ」と言ったら怒られた。ペンギンを皮切りに、いろんな魚を見て回った。マンボウ、フグ、エイ、ラッコ、イワシ、サメ、ほかにもたくさん。タイやヒラメがいるところではリヴァイが「うまそうだな」なんてお約束を呟いたりして、ミカサは笑った。
 日曜日でオープンしたてとあって、人が多かった。家族連れもカップルも、いろんな人がいる。途中の休憩室で休憩していると、仲良く手を繋いだカップルが目の前を通っていって、ミカサは、昔エレンともこんなふうに手を繋いだ、と思い返したりした。
 締めはイルカとアシカのショーだった。イルカやアシカが見せる芸に、ミカサは手を叩いて喜んだ。リヴァイはそんなミカサを見て笑っていた。
 イルカの水槽内が窓から見えるレストランで食事した。研究のことや仕事のこと、エルヴィンのことなんかを話した。ここまでリヴァイに言いくるめられておごってもらってばかりだったので強固に割り勘を主張したら、その代わりにと大きなイルカのぬいぐるみをプレゼントされた。
「兵……リヴァイさん、こんなの、もらえない」
「嫌いだったか? イルカ」
「好きだけど……でも」
「いいからもらっとけ。俺はその分お前が笑ってくれたらいい」
 リヴァイがあんまりにも優しく笑うので、ミカサはそれ以上、言えなかった。この人は、私を甘やかしすぎだ。
 こんな人だったろうか。ミカサが覚えているリヴァイは、とにかく横柄で、エレンをいじめてばっかりいて、乱暴なところもあって。……でも、確かに誰より強くて、高く飛ぶ人で、公平にすべきところは公平に、気遣うところは気遣って、見るところは見て、たくさんの部下に慕われていた。多くを語らないから、そのせいで疑問を抱いた者も最後にはリヴァイを慕って、憧憬のまなざしを向けていた。自分だけが頑固に反抗的だったのだな、と改めて思う。
 リヴァイと並んで水族館を出ながら考えていたミカサは、ぴたりと足を止めた。
「ミカサ?」
 リヴァイが振り返る。ミカサはもらったイルカのぬいぐるみをぎゅうと抱いて、リヴァイを見つめた。
 そうだ、ミカサはずっと反抗的だった。リヴァイを信頼していなかったわけじゃない。でもミカサの大好きなエレンはいつもいつもリヴァイのことばかり口にして、それが面白くなくて、リヴァイ相手にはとかくツンツンしていた。かわいくない部下だったと自分でも思うミカサを、リヴァイはどうして好きだと言ってくれるのだろう。
「どうした」
「リヴァイさんは、私のどこが好きなんですか?」
 人の流れに逆らってミカサのところへ戻ってきたリヴァイに、ミカサはそう尋ねていた。リヴァイがミカサを見つめてきたので、ミカサも視線を逸らさなかった。
「……こっちに来い。ここじゃ邪魔になる」
 リヴァイがミカサの手を引いた。外は風が冷たかった。繋がれた手だけがぬくもりを伝えてくる。
 人の流れから外れて、人気のない方に足を向ける。
「……私、私は、かわいくなかった。いつもあなたに反抗してばっかりで」
「ああ、そうだな。顔を会わせるたびガンつけやがって、そりゃあかわいくない部下だった」
「だったら、」
「けど、お前は俺をよくわかってくれてた。お前と飛ぶときは、正直言うと気分が高揚したもんだ。俺についてこれて、しかもあんなに高く飛べるやつはお前が初めてだったからな。お前となら、もっともっと高く速く飛べるような気さえしていた。お前と見る世界は、特別だった。できればお前もそうであってくれたならいいんだが」
 リヴァイが足を止める。
「……それに、かわいいと思っちまったんだよ。お前の笑顔が」
「えが……お?」
 手を繋いだまま、リヴァイがミカサを見上げる。
「そうだ。お前がエレンといるときに見せた笑顔が、心底綺麗だと思った。ああ、こんなに綺麗に笑うのか。かわいくなるのか、って」
 ふっとリヴァイが瞳を伏せる。何かを思い出すように。
「一目惚れみてえなもんかもしれねぇな」
 なぁ、ミカサ。
 その声に、ミカサはぞくりとした。少しかすれた、熱のこもった声音。
「俺は、エレンといるお前に惚れた。お前をそんなふうに笑わせられるのがエレンなら、何があってもエレンを捜しだしてやる。……けど、俺がお前をそんなふうに笑わせてやりたいとも思う」
 リヴァイがミカサの手を持ち上げる。
「余裕ぶっこいてるように見えるかもしれねぇがな、これでもいっぱいいっぱいなんだよ。お前の笑顔が、心がほしいと、切望しちまう」
 ちゅ、と、指先に口づけられた。とたんに触れられたそこから熱を帯びたようなしびれが走って、ミカサは混乱した。これはなに。
「考えてみてくれ、ミカサ。エレンとではなく、俺と生きる未来も」
 逃げなきゃ、ととっさに思った。このままでは危険だから。何が危険かなんてわからない。とにかく危険なのだ。
「……あなたといるのは楽しかった。それは本当」
 楽しかった。エレン、あなたのことを思い出さなくなるくらい、兵長といる時間は楽しかった。
 でもそれは、いけないことだ。だってエレン、私はあなたのものだから。あの美しく残酷な世界で誓った。あなたと夫婦であることを。あなただけを愛することを。
「私も、あなたと飛ぶと高揚した。何も言わなくても、あなたは私の意を汲んでくれて、とても飛びやすかった。本当に背中に翼があるような気さえしていた。多分、あなたと私は、同じ世界を見ている。同じものを分かち合える。……でも」
 泣きたくなった。どうしてこんなに胸が苦しいの。
 エレン、エレン。

 私が好きなのは、エレン、あなただけなのに。



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