さわさわと音を立てながら草は揺れ、音も立てずに水はゆらゆらと揺れる。俺たちは口さえも動かさず、ただ呼吸を静かにしていた。大きな目は大きく見開かれたままで、俺も目を大きく見開いた状態で静止している。
久しぶりに見るいちはとても美人になっていた。昔から可愛かったけれど、可愛さとは違う奥ゆかしさと艶が生まれていた。そして着物も昔とは違う鮮やかで綺麗なものを身に纏っていた。昔は俺とよく遊んでいては泥をそこらじゅうに付けて家に帰るものだから、泥をつけても大丈夫なよう質素な着物を身につけていた。それだから令嬢だなんて思いもしなかったのだけれど。
お互いの間に長い長い沈黙が流れている。そういえば別れたあの日からもう何十年も経っている。久しぶりすぎて、何を話していいのかわからない。俺は意を決して口を開いた。
「ひっ久しぶり!元気そうだな、いち!」
ああどうしよう、思い切り声が裏返ってしまった…。だが緊張気味のいちはそんなこと気にも留めず、ギクシャクとした様子で「あ、ああ。守も元気そうだな」と震える声で言った。そうしてまた沈黙が流れる。あのときはこんなことなかったのに。そうか、俺はいちを意識しているんだ。女性らしくなった彼女を。そう気づくと顔を直視できなくなった。
「その…聞いたよ、お金持ちの令嬢なんだって?」
「あ、ああ…まあ…」
「ごめんな。そんなこと知らずに無邪気に遊んじゃって」
「そっそれは大丈夫だ!昔のことだし、すごく楽しかったから」
そういえば昔俺と遊んでいたせいなのか、口調が少し男らしい気がする。だからこそ、格好のギャップに戸惑ってしまう。中身はあのときのままに見えるのに、外見だけ変わってしまった。
未だに沈黙が流れ続けている。どうしよう、何か話さないといちは帰ってしまうだろう。ここで彼女の手を掴んでおかないと、もう二度と会えないような気がする。
「い、いち!この後って何か用事あるか?」
「ないけど…」
「その…少し話さないか?久しぶりに会えたんだからさ」
勇気を出して言った言葉にいちは少しだけ緊張がとけた笑顔で頷いた。
それから俺たちはいろいろなことを話した。しばらくすると話し込む様子はまるで昔のようだった。ころころかわる表情も相変わらずだった。
「そういえばいちは何でここに戻ってきたんだ?」
「…そ、それは…家を残しておいたからさ、久しぶりに戻るのもいいんじゃないかってお父様が」
俺は「ふうん」と相槌を打った。一瞬見せた陰りのある表情が気になったが、気に留めなかった。いちは何かを思い出したかのように立ち上がった。「まずい!早く帰らないとお父様が心配する!」着物についた草を手で払って俺のほうを向いた。「じゃあ…またな」寂しそうな顔でそう言うと俺に背を向いて走り出した。俺は焦って立ち上がる。
「いち!また明日ここで待ってるから!明後日も待つから!」
大声で言うと耳に届いたのかこちらを振り向いて花のような笑顔を見せた。鼓動が高鳴るのがわかった。
いちは走り続け、ついに姿が見えなくなってしまった。名残惜しく背中を見つめていたことに気づく。
いつまでも鳴り止まない速まった鼓動が教えてくれる。
おれは彼女のことが好きなんだ。