俺は今、大きな壁を目の前に佇んでいる。
大きな壁、それは木枯らし荘のチャイムを押すことだ。それだけならできる、問題は秋さんらがいないことだ。
昨日、松風から電話があった。内容は「イチゴのショートケーキを秋姉から貰ったんだけど、一緒に食べない?」とのことだった。承諾したけど、その後「実は明日秋姉も他の住人もいないんだ」とか意味ありげに松風は言った。軽く受け流しておいたが、電話の外では心臓をばくばくとうるさく鳴らしていた。今もうるさく鳴っている。やっぱり、そういうことなのか?まさか、まだ早すぎるだろう。いくら付き合っているからといって。
そう思ってるうちにドアが開く。開いたドアからひょこりと松風が顔を出し、こちらを不思議そうに見た。

「どうしたの?チャイム押せば良いのに」
「ご、ごめん。よくもう来てることがわかったな」
「窓から見えたんだー。とりあえず中入ってよ」

お邪魔します、と言って木枯らし荘にあがる。本当に誰もいないようだ。いつもなら「どうぞどうぞ」と奥から柔らかい声が聞こえてくるのに。改めてこれから何が起きるか想像してしまった。いやいや待て。まだそういうことをすると決まったわけじゃないし。何お盛んになってるんだ、俺は。

「なに立ち止まってんの?」
「おぅわっ!」

いつの間にか前の方に居た松風は後ろに居て俺の背中を叩いた。思わず変な声で叫んでしまった。すると松風も驚いてしまい、「ごめんね」と一言謝られた。俺のほうが悪いのに、俺も同じように謝った。「先部屋行ってて」大分行き慣れたおかげで、一人でも部屋に行けるようになった。ということは何度もあの部屋を訪れていることなのだけど。ギシギシと軋む階段を上り、さらに奥に行って松風の部屋に入る。ギィ、という音がした後に「わん!」という声が聞こえた。サスケの声だ。俺は犬が嫌いではないほう、むしろ好きなほうなのでサスケの柔らかい毛並みを撫でる。サスケは目を細め、また眠りについた。
しばらくサスケを撫でながら待っていると、2つのショートケーキとジュースを乗せたお盆を持った松風が来た。慎重に床に置くと、俺の向かいに座った。…何だろう、この変な緊張感は。それとも感じてるのは俺だけなのか?

「お待たせ。食べよ?これ美味しいらしいよ〜」

どうやら感じてるのは俺だけらしい。少しだけ顔が熱くなるが、構わず「いただきます」と言ってフォークを手に取った。ケーキにフォークを入れる前に松風の顔をチラリ見してみる。至って普通、意識してるのは俺だけか。溜息をつきたくなった衝動を飲み込み、ケーキを一口サイズに切る。そして口に運んだ瞬間、生クリームの甘さとスポンジの柔らかさが一気に口の中で溶けて弾ける。確かにこれは美味しい。その感想を直接伝えたら松風は嬉しそうな顔をしてケーキを頬張った。こいつは何でも美味しそうに食べるな、と思いながらまた一口食べる。

「ねえ剣城、お願いがあるんだけど」

いつもなら「美味しー!」とか言いながらもぐもぐと食べるのに。ちょっと真面目な顔をして俺を見据える。少しだけ心臓が弾んだけれども、「なんだ?」と冷静を保ったふりをする。すると松風は緩く笑いながら「あーんしてくれない?」と言った。気がした。
俺は松風が何を言ってるのかわからなかったけども、また冷静を保つふりをして口を開いた。「やだ」「なんで!」松風は眉間に皺を寄せる。嫌に決まってる。どこのバカップルだ。そんなことを言うと今度はほっぺたを膨らませる。まるで風船がふたつあるみたいだ、と思いながらケーキを一口サイズに切った。全く、本当にこいつはうるさい。ぎゃんぎゃん鳴いたと思えば勝手にキスしてきたり、「つるぎ」と甘い声で囁いたりする。それだから、お前のことが嫌いなんだ。
俺は一口サイズに切ったケーキをフォークに挿して松風の顔に向ける。松風がぽかんと間抜け面をしたあと、太陽が輝くような笑顔を見せて俺のフォークに刺さるケーキを頬張った。こいつの嬉しそうな顔を見ると、思わずこっちの顔も緩んでしまう。だから、嫌いだけど、大好きなんだ。
松風はケーキを食べながらこちらを見て、目を細めた。松風はケーキとジュースが乗っているお盆をどけて、俺の顔に手を添える。このパターンなら知っている。やばい、

「剣城ももっとケーキ食べなよ」
「え、もう食べ」

た、と最後の一文字を残して唇を塞がれた。角度をずらしながら何度もキスされる。その度にリップ音と吐息が部屋で響いて、妖しい空気に包まれる。名前を呼ぼうとしても、息を吐く暇すら与えられない。
すると、今度は口を割られて舌が入り込んできた。舌と唾液と熱が混ざり合ってくらくらする。唾液が首を伝い、シャツの襟元を濡らす。ようやく唇が解放されたけど、まともに息継ぎが出来なかったから荒くなった息を整えるのに精一杯だ。
ようやく息が整ってくると、お腹をつつ、となぞられ思わず身体をぴくりと揺らし、甲高い声を出した。松風はにやりとし、手をシャツの中へと侵入させる。「ちょ、待った待った!」手の動きを止めさせようとするものの、お腹を撫でられるので力が入らない。

「剣城はいや?ねえ、…いや?」
「いや、というか…心の準備が…」
「大丈夫、優しくするから」
「ま、待った!しょ、ショートケーキ食べ終わってないじゃないか」
「後で一緒に食べよう?」

そして松風の桜色の唇は俺の唇を塞いだ。これだからこいつは、と思いながらそのまま押し倒された。溜息を小さくついて、俺は松風の首に手を回した。

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