俺、剣城京介は先ほど、とんでもないことをされてしまった。思い出しただけでも、布団の中に逃げ隠れてしまいたい。穴があったら入りたい、というのはこういうことなのか。
ただそういった言葉を使うとき、使う本人が「何か恥ずかしいことをしでかした」ときなど。だが俺はそういったことをしたわけではない。むしろ俺にしたあいつがそういったことをしたのだが。
あいつというのは、同じサッカー部で同じ1年生の松風天馬だ。兄さんのことやサッカーのこと、フィフスセクターのことではお世話になったが、特に恋愛感情を持ち合わせて居るわけではない、はず。少なくとも俺は。
『剣城って何気に可愛いよね』
『男に言っても意味ねーだろ』
『無愛想だけど意外と仲間思いで、あとすぐ真っ赤になるし』
『聞け』
俺は松風と一緒に帰ることになっていた。理由は俺が兄さんのお見舞いに行くと言ったら、『じゃあ俺も行く!』とか言ってついてきやがった。そのまま家に帰る予定で、帰る方向が途中まで一緒だったからこんなはめになってしまった。
『…剣城は俺のこと、好き?』
『はあ!?何言ってんだよ』
『俺は好きだよ、剣城のこと』
またこいつはおふざけでそういうことを言う。一喝入れてやろうかと、松風の方を向くと想像していた表情していた。満面のへらっとした笑顔を浮かべているのかと思ったが、サッカーをしているときとも違う、真剣な表情をしていた。まるで本当に、一世一代の告白をしているのかのように。
俺が女だったら期待のひとつでもするだろうけど、あいにく俺は男だ。告白なんかされるわけない。されても困るけど。
でも後から俺はこう思うんだ。告白の方が数倍マシだった。いや、すでに告白されていたのかもしれないけど。実際真剣な顔で言われたわけだし。
目力のある眼で見つめられると、松風は俺の手を力強く引いた。何をされるのか、そんなことも考えられないくらい一瞬の出来事だった。
気付いたら俺の唇と、松風の唇が重なり合っていた。さっきまで聞こえていた雑音が一切無くなった感覚に陥る。不思議な感覚で、まるでここに居てここに居ないような、よくわからない感覚だった。柔らかい唇の感触が、唇に伝わる。
唇を離したあと、ぽかんとした俺に『…ごめん』と言い放って走って去って行ってしまった。
そのあと、多分3分間ぐらいは動かなかったと思う。俺には永遠にも等しい時間に思えたけど。
そして俺はおもむろに頬を抓った。もちろん痛い。夢じゃない、のだ。頭の中は、状況を必死に飲み込もうとしているのだろうが、全く処理速度が追いつかない。
『…まじ?』
返してくれる相手もいないのに、一人でぽつりと疑問を口にした。でも頭の中のもう一人がこくんと頷いた気がした。
「あー!!思い出すだけで恥ずかしい!!」
なんて恥ずかしいんだ。今の俺はきっと耳まで真っ赤なはず。
松風は俺にキスをしてきた。つまりそれって、そういうことなのだろうか。俺が、好き?まさか。俺は男だ。いやまず好きという感情を上手く理解することができない。
とりあえず、寝る。
翌日になっても答えは出なかった。今日も今日とて、学校だ。…いっそのことサボりたいけど、部活はサボれない。でも部活に出れば嫌でもあいつに会う。ならば、堂々と登校して、松風に問いただすほうがいい。それがいい。
と、思いながら登校して雷門中に着くと、さっそく松風がいやがった。いつもはいないのに、今日に限ってタイミングが悪い。だが逃げるのは俺らしくない。
俺は松風に近寄り、肩をポンと軽く叩いた。びくりと身体を跳ね上げさせると、こちらを向いた。途端に青い顔をし、ものっすごい速足で逃げ出した。たまらず俺は追いかけた。
「待てコラァ!!」
こいつ逃げ足も早すぎる。
そもそも、なんで俺こんな汗かいて、ぜえはあと息を乱してまで、こいつを追いかけているのだろう。第一知らん顔してればいい。「そんなことあったか?」とかわからないふりすればいい。でもきっとそんなこと言ったら、あいつは悲しむんだろうな。そう想像しただけで、胸が張り裂けそうだ。
やっと追いついて、松風の手を掴んだ。お互いへとへとで、話すのもしんどい。それでも松風は気力を振り絞って「…なんで追いかけるんだよ」と聞いてくる。俺も息を整え、松風に向き直った。
「…昨日のこと、聞きたくて」
「何も話したくない」
「てめえらしくないな。…なんでキス、したんだ」
「…ごめん。俺が一方的に剣城のこと好きで。…ほんと、ごめん」
「別に謝れとは言ってないだろ」
「…返事とか、欲しいと思ってないから。あと、もう話したりも…しないほうがいい」
は?言葉にならない。なんでこの流れでそこに行き着く。意味がわからん。意味がわかっても困るけど。「多分このまま友達でいるの、無理だから」松風へらへらとした笑顔とか、ちょっと凹んだ顔とか、真剣な顔とかしか見たことない。こんな風に思いつめた表情は見たことがない。
いつの間にか、松風は目の前から消えていた。
「あー!!むっかつく!!」
保健室に荒々しく入るなり、ベッドに飛び込んだ。先生がいなくて良かった。じゃなかったら摘みだされるだろう。でも、授業受ける気にはなれなかった。
だいたい、あいつは何なんだ。勝手すぎる。犬みたいに尻尾振って寄ってきたと思えば、俺のこと助けたりして、急にキスしてきて、挙げ句の果てに「話さないほうがいい」だ!?ふざけるな!!
…なんであいつごときに、ここまで振り回されなきゃならないんだ。何度も枕を殴る。苛々が溜まると物に当たりたくなるのは人間の本能のようだ。
「おーおー、剣城くん荒れてるねえ」
「うわっ!?…てめえ、狩屋おどかすな」
「ごめんごめん。具合悪いの?心の病?」
「うるせえ」
このいけすかない野郎こそなにしているのだろうか。そう聞いたら体育の時間で軽い怪我をしてしまったらしい。その治療をしていたら、枕を殴る音が聞こえてきたらしい。
「まあ悩みがあるなら聞いてやってもいいよ?」
狩屋は澄まし顔でベッドに座ってきた。まあこんなやつだが、相談するだけしてみるか。そう思い、口を開く。
「…好きって、どんな気持ちだ?」
「…ぷっあはは!何を言い出すかと思ったら!」
「うっうるせえ!早く答えやがれ!」
「簡単だよ。相手が嬉しいと自分も嬉しくて、相手が悲しいと自分が悲しくなる、それが好きっていう気持ちじゃない?」
…よくわからん。いや、言葉の意味はわかるのだが、それが好きということなのか。やっぱりわからん。
「でも驚いたなあ。俺、剣城くんは天馬くんが好きなのかと思ったよ」
「…はあ!?ど、どうして…」
「だって剣城くん、いつも天馬くんのこと見てるし、彼に触られたりすると照れてるし、話し掛けられただけで嬉しがってるしさ」
「それって、…好きということなのか」
「どうみてもそうでしょ…」
俺が、松風のことを好き?まさか、ありえないありえない。確かによく見てたけど、それは視界に入るだけで。照れるのはそういうことに慣れてないだけで。話し掛けられただけで嬉しがるのは、
「じゃあ剣城くん、俺はもう行くよ」
「あ、ああ…ありがとな」
狩屋はベッドから降りて、歩き出した。しかしもうひとつの閉め切られたベッドの前で立ち止まる。何か忘れ物でもしたのだろうか。
「天馬くん、いつまで隠れてるの?」
…はい?
狩屋はさっさと保健室から出て行った。それも楽しそうに。あいつ、楽しんでやがる。
それよりも松風だ。俺は隣のベッドに恐る恐る話しかけた。
「…松風、いるのか?」
するとカーテンがめくられ、奥から松風が出てきた。本当にいた。多分こいつも俺と同じことを考えたのだろう。思考回路が同じとか。
突如、松風はすたすたと俺のベッドの前まで来て、そのまま倒れこんで来た。俺は下敷きになったが、反論出来ずにただ顔を真っ赤にさせていた。顔、近い。
「…剣城は、俺のこと好き?」
昨日と同じ質問をふっかけてきた。俺は、どうなのだろうか。好き、なのだろうか。でも、わかったことがひとつある。
「昨日俺、嫌じゃなかったんだ。キス」
「…え」
「多分相手が狩屋とか、キャプテンとか、マネージャーでも嫌だったと思う。なぜか、お前だと嫌じゃないんだよ。なんでだろうな」
「…それって、好きってことなんじゃないの?」
「さあな。わからねー。だからもっかいキスしてくれ」
ぽかんと、まん丸い目をさらに丸くさせて俺を見下ろす。そのあと小さく吹き出して、大きな笑いになる。「いいよ」愛しい、愛しい、そんな目で俺を見たあと唇を重ねた。俺、今この瞬間でわかった。しばらくこの気持ちは迷子になってきたけど、ようやく戻ってきた。愛しい、愛しい。長いキスが終わり、唇を離すなり俺は言い伝えた。
「俺も、松風が好きだ」
松風はいつものような綻ばせた笑顔をした。俺たちはまた、唇を重ねた。