彼は何だかんだ10数年の付き合いになる。幼馴染というやつだ。彼の名前は風丸一郎太という変わったものだ。
幼馴染というくらいなのでなんでも知っているというまででもないが、ある程度のことは知っていると思う。例えば昔も変わらず男勝りだったこと。でもたまに泣いちゃうときもあったこと。俺を「守くん」と呼んでいたこと。足が速いのは昔からだということ。腕組みをする癖があるということ。考え込むと髪の毛をいじる癖があるということ…。
数えたらキリがない。でもそれは彼にとっての俺に対しても同じだと思う。いや、そうじゃないと困るのだ。幼稚園から中学二年生である今日までずっと一緒に過ごしてきたのだから。中学校に入学すると陸上とサッカーという別の部活動に励むことにはなったものの、家が近いので下校時間が合えば一緒に帰っていた。それに中学二年生で同じ部活になったからそれこそずっと一緒だ。
だから知らないことはあまりない。そう思っていたのだ。でも俺も彼も互いのことで知らないことがひとつあったのだ。俺たちはサッカーばかりで恋愛の話をすることがあまり無かったのだ。あるとしても「3組のあいつ同じクラスの子と付き合い出したらしいぜ」というありきたりな噂。それでも「それは良いことだ」という一言で片してしまうのが俺たちだ。そういう色めきたった噂よりもサッカー話の方が盛り上がることはお互い熟知している。だから恋愛の話をすることは無かった。だから彼の好きな奴とかは全く知らなかったのだ。というより、そういう好きな奴がいるということ自体知らなかったのだ。そういう話を一切しなかったし。「俺好きな奴が出来たんだ」と言ってくれてもいいのに、と俺は少し怒り気味だ。
でも相手は誰なんだろう。ちなみに好きな奴がいるらしいという噂はマックスから聞いたので若干信憑性が無い。でもなんだ。なんだか不思議な感覚だ。今まで一緒に居た、隣に居て当たり前だった彼が突然遠くに行ってしまうのではないかという不安感。言葉に出来ない感覚だ。俺はずっと彼女を作らないで、彼もそうして、ずっと友達として一緒にやっていくんだと思っていた。彼もそう願っていると嬉しいと思っていた。もちろんそんなことは無理だと心の底で思っていたが、少し残念だ。でもしょうがない。好きな奴がいるならしょうがない。応援しようじゃないか。そう思ってある初夏の放課後、部活帰りのときに彼に「好きな奴は誰なんだ?」と直球に聞いた。彼は深紅色の瞳を丸くさせてこちらを見た。まるでなんでそんなことを知っているんだと言いたげな様子で。その表情を読み取ってマックスから聞いたことを伝えると彼は肩をがっくりと落とした。
「…教えないからな」
「応援するよ」
「しなくていいから教えないぞ」
けちんぼ、と頬を膨らませて言っても「この件は忘れろ」と彼は俺に冷たく言い渡した。なんで俺に秘密にするんだろう。そう言われると一層気になるのが人間というものだ。
家に帰ると早速マックスにメールをして彼の好きな相手を聞き出すことにした。レスが速いのがマックスという男の特徴で「本人から教えてもらえないと意味がないよ〜」という間の抜けた返事が届いた。意味がないよって…意味がわからん。
幼馴染なのに。結構彼のことなら知っていると思っていたのに。なんだかマックスが知ってて俺が知らないなんて癪だ。というかもしかして将来彼とその好きな相手という人は付き合うのだろうか。想像できない。だって俺と彼はずっと一緒で、一緒で、ずっと隣同士だったから。どちらからか離れることなんて無かった。まあ部活動を別々にしたのは彼からではあるけれど。「走るの好きなんだ」と言って陸上部への部活動参加の紙を書いていた彼の笑顔はとてもきらきらきらめいていたのを覚えている。それでも俺たちは寄り添ってきたんだ。
もんもんと彼のことについて考えていた一日が終わり、お待ちかねの部活動の時間だ。ホームルームが長引いてしまったので走って急いで部室に向かうとまだ部員たちが部室で談笑をしていた。軽く喝を入れてグラウンドに向かわせる。それでもまだ携帯電話を弄っていたマックスに声をかけると、どうやら噂の彼とメールをしているらしい。そういえば噂の彼はまだ来ていない。どうやら宿題を忘れてしまい居残りらしい。「まだ行けないから円堂に遅刻するって伝えておいてくれ」というのがメールの内容だ。宿題を忘れるなんて珍しいな、と思いながら携帯電話の画面を見つめているとマックスがにやにやしながら「風丸から好きな相手の名前聞けた?」と根掘り葉掘り聞かれた。聞けてないと言うと何故かマックスがあからさまに残念そうな表情を浮かべた。ぼそりと「風丸は奥手だし円堂はにぶちんだしで進まないなー」と呟いていたがどういう意味かわからなかった。
「仕方ないなあ、最大のヒントをを見せてあげる」
携帯電話をカチカチと操作してそして俺に手渡した。画面に映っているのは大量の画像のサムネイルだ。その中には彼の青空のような髪色が映る画像もある。見終わったらロッカーの中にしまっておいてね、と言い残してさっさとグラウンドに行ってしまった。これが「最大のヒント」?とりあえず見てみよう、そう思って俺は迷わずボタンをぽちりと押した。
何枚か彼の写真を見たが、どれも窓の外を見ている彼の写真だった。風になびく青空のような色の髪の毛が綺麗だと思ったが着目するべきところは多分そうじゃないのだろう。俺はどこに「最大のヒント」があるのだろう、と思って目を凝らして写真を見つめたがどうしてもわからない。この中に好きな相手が映っているとか?ないない、それだったら彼が一途に見つめてるとかじゃないと好きな相手ではないだろう。というかそれっぽい人物が映って無い。
そう言えばこの写真たちで思い出したが、体育の時間や休み時間とかで校庭に居ると彼とよく目が合う気がする。ふと上を見ると空と同じ色をなびかせる彼が居て、こちらを見ているのだ。俺はそれが少し嬉しくて手を振ると決まって彼も嬉しそうに振り返してくれるのだ。でもそれっていつも外を見ているということなのだろうか?何故?何故いつも見ている?いや、外を見ているだけじゃ俺とすぐ目が合うのはおかしい。おかしいのだ。じゃあ俺を見ている?俺を探すために、俺と目が合うために外を見ている?何故?…これが好きな相手の最大のヒント?だめだ、わからない。でも何だか胸が高鳴る。なんなんだろう、この気持ち。気づいたら俺は部室を飛び出していた。
靴を乱暴に脱ぎ捨てて上履きも履かずに廊下を走る。靴下だから滑りそうになりつつもふんばって階段を一生懸命一段抜かしで登っていく。速く、速く、もっと加速しろ。もっと、もっと。そう願いながら全速力で教室へと急いだ。息を切らせながら教室にたどり着くとそこには背景にある初夏の空を同じ色の髪の毛を揺らしてこちらに振り向いた彼が居た。「お前、部活はどうしたんだよ」そう言って立ち上がった。息も切れ切れだけど、俺はじんじんと痛む足を前に向かせた。一歩一歩、確実に彼へと近づいていく。白いシャツが眩しい。俺は思わず目を細めたが、彼の目の前で立ち止まった。机一つ分の距離で俺は彼にこう言った。
「なあ、いつも俺が校庭に居ると目が合うよな。なんで?」
そう言うと彼は目を丸くさせた。ぱちくり、と元々大きい目をさらに大きくさせて何回か瞬きさせた。そして少しの間沈黙が流れる。じりじりと焼き付けるような暑さに俺は一筋の汗を流した。見つめあう目が焼けそうだ。彼の眼は燃えているように深く赤い。そしてその沈黙を彼の笑い声が打ち消した。突然笑うものだから身構えてしまった。ごめんごめん、と彼は軽く俺に謝る。ここ、笑うところだったのだろうか。それとも俺に何かついているのだろうか。思わず頬を手で撫でると彼は微笑みながらこう言った。
「円堂を見ていたからだよ」
それが答えなのか?よくわからない。マックスによるとこれが好きな相手の最大のヒントらしい、ということを彼に言うと「ああそうだな」と納得した。全然わからない。この答えがなんで好きな相手の最大のヒントになるのか全く理解できない。俺が馬鹿すぎるのか、それとも問題が難解なのだろうか。俺はまだわからないことを伝えた。
「わからなくていいって言ったじゃん。…円堂が気づくまで言わない!」
何故か彼は嬉しそうにはにかんだ。空色の髪が揺れた瞬間、俺は少しだけ脈拍数が高まったことを感じ取ったけれどその理由もわからなかった。ああわからないことだらけだ。でもなんだか、彼が嬉しそうなので俺も自然と笑顔になっていた。
結論からして、幼馴染でもわからないことはある。それでも彼が俺にとって大切な人であることは変わりないし、ずっと隣に居てほしいということは変わらない。まだまだわからないことだらけだけれど、この問題をちゃんと解いていこうと俺は彼の笑顔を見ながらそう思った。
title:無垢