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冷たいキスのしかた

「…、んっ……」

体を起こせば、隣にいるはずの人は居ない。
既に温もりさえなくなっている、広いダブルベッドの空いたスペースを見つめた。


…もう、慣れたことだ。
毎晩毎晩私を自分勝手に抱いて…気が付いた時にはもう居ない。
毎日、この繰り返し。
だけど、苦痛ではない。
“身体だけ”だったとしても、あの方に必要としてもらえる、そう思えるから。

なのに…

「…ふっ……う………」

何故か最近、涙が零れる。
理由はわからない。
ただ、涙が頬を伝うだけ。
悲しくは、ない。
ただ、何故か苦しくて…胸がつまる…。




「あら、ルイちゃんおはよう♪」
「ルッスーリアさん、おはようございます」

一際大きいあの方の部屋を出ると、目の前の廊下をルッスーリアさんが通りかかった。
ルッスーリアさんは、ここの隊士でもない私の話を親身になって聞いてくれる、とても優しい方。
女の人がいないと言っても過言ではないこの城で、あの方の他に、唯一私が心を許せる人。

「…ルイちゃん、泣いてたの?」
「えっ…あ、コレは……」

ちゃんとバレないように顔を洗ってきたつもりだったけど、ルッスーリアさんには敵わない。
彼の顔を見ていると、自分でもよくわからないこの感情を、彼に聞いて欲しいと思ってしまった。
それを察したのか、ルッスーリアさんは私を談話室へと連れて行ってくれた。

「それで?朝から泣いちゃって、どうしたの?」
「えっと…自分でもよくわからないんですけど…」

自分でも理解できない感情。
ぐちゃぐちゃな心の中。
途切れ途切れに、単語だけを紡ぐように気持ちを語る。
ルッスーリアさんは何も言わず、ただ私の言葉を頷きながら聞いてくれた。




「……そうだったの」
「聞いてくれてありがとうございます…それだけで、随分楽になれました」
「それなら良かったわ…だけど、ルイちゃん」
「はい」
「あなたきっと、ボスに恋してるんだわ」
「え…」

恋…?
私が、あの方―XANXUS様に?
私の命を救ってくれた恩人にあたる方に、私がそんな感情を?

「こ、い…」
「えぇ」
「…XANXUS様に?」
「あなたはきっとボスを愛してるのよ」
「愛……私の恩人の方なのに?」
「あら、そんなこと関係ないわよ?人を好きになるのは、人としての本能だと私は思うわ」

信じられない、というか信じたくはないけど、私は人を愛するという感情を知らない。
誰かから愛された記憶なんかない。
人を愛するというのがどういうことなのか、私にはわからない。
ましてや相手はあの方。
私は生涯あの方の為に生きる。
あの方に忠誠を誓っている。
そんな私が、あの方を愛していいものなのか…。

「…自分では自覚できてないようね」
「え?」
「さっ、そろそろボスの仕事が片付く頃よ。部屋にいないとマズイんじゃない?」

ルッスーリアさんに言われて時計を見れば、もうそんな時間。
私は混乱した頭のまま、慌ててソファから立ち上がりルッスーリアさんにお礼を言った。
足早に談話室を出たところで、後ろから呼び止められる。
振り返ると、ルッスーリアさんは微笑んで言った。


「ルイちゃん。人を好きになることはいけないことじゃないわ」
「………」
「素直な気持ち、ボスに伝えてみなさい」

パタン・・・
ルッスーリアさんはそれだけ言って、談話室の扉を閉めた。
“素直な気持ち”…
私の、気持ちは……―



***




ガチャ


ルイが立ち去ったすぐ後、談話室の扉が開き、外から2つの人影が室内へ入り込んだ。

「あら、やっぱり2人とも聞いてたのね」
「しょーがねぇじゃん、アイツいると入るに入れねぇし」
「“ルイには近付くな”ってボスの命令だからね…それより、あの2人どうなんだい?」
「王子もそれ気になってた、しししっ♪」
「ベルちゃんたちも気になるわよね〜」
「ボスも素直じゃないよね、ルイは鈍いにも程がある」
「しししっ、ぐだぐだしてんなら、王子がルイもらっちまうぜ?アイツ結構可愛い顔してるし♪」
「ダメよ。あの2人は、確かに想い合ってるの」
「…傍から見てる人間として、とてもそうは思えないけれど」
「不器用なのよ、2人とも…人を愛することを知らないルイちゃんと、愛し方を知らないボス…とっても不器用な2人よ」
「不器用、ね…」

ベルとマーモンはルイが出て行った談話室の扉をただ見つめていた。
ルッスーリアの紅茶を啜る音だけが、部屋に響いた。




***




―…嗅ぎ慣れた強いアルコールの匂いで目が覚めた。
いつの間にかソファで眠っていたようで、慌てて立ち上がった。
部屋の電気は点いておらず、真っ暗なまま。
今は何時なのか…XANXUS様のお出迎えに間に合ったのだろうか…。
不安な心のままキョロキョロとしていると、暗闇の中から声がした。

「起きたか」
「!…XANXUS様」
窓から差し込む月明かりに照らされ、室内の様子が見えた。
大きなデスクの上に足を乗せ、いつものように酒を喰らうXANXUS様。
慌てて近寄れば、シャワーを浴びたのか髪が少し濡れていた。

「お帰りなさいませ、XANXUS様。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ございませんでした」
「…ふん」

深く頭を下げ、間に合わなかった出迎えの言葉を口にする。
だけど、XANXUS様がそれに何かを返したことはない。
いつも鼻を鳴らすだけだ。
気付けば、彼が手に持っているグラスは空だった。
私はそっと彼に近寄り、グラスにウイスキーを注ぐ。
XANXUS様は何も言わず、ただグラスに口をつける。
その様子を見ていると、胸が締め付けらるような、だけどどこか温かいような…言い知れぬ気持ちを感じた。

「XANXUS様…」

…気付いた時には、勝手に口が動いていた。


「…なんだ」
「私…XANXUS様を…愛して、おります」

その言葉を紡いだ途端、XANXUS様の手が止まった。
チラッと赤い双眼で私を睨んだ。
私はその視線を受け止め、言葉を続けた。
いや、続けたんじゃない。
止まらなかったんだ。



「私、今まで自分が抱いているこの感情が何なのか、わからなかったんです」
「………」
「でも、地獄のような生活をしてきた私は、辛いとか絶望とか、そういった負の感情は全部知ってるつもりです。だけど…たった一つ、“誰かを愛する”という気持ちだけは、知らなかったんです」
「経験したことのない、この込み上がる気持ちは…XANXUS様を愛している、そんな感情です」

思ったことを伝え、私は何も言わないXANXUS様を見つめ続けた。
何か答えが返ってくることを期待したいたわけではない。
考えるのは、伝えてしまったことでXANXUS様にとって邪魔な存在になってしまったら…そんな後悔にも似た恐怖だった。
XANXUS様は何も言わずにグラスのウイスキーを飲み干すと、静かに私の名を呼んだ。

「…ルイ」
「…はい、XANXUS様」

何を言われるのかと脅え、ぎゅっと目を閉じた。
だけど次の瞬間、力強く引き寄せられ、唇に温かいモノが触れた。

「んっ!……ふっ…」

一瞬、何が起こったのかよくわからなかった。
ただただ口を塞がれ、自分の口からはよく聞く喘ぎ声と似た甘美な吐息が漏れた。
酸素を求めてうっすらと開けた唇の隙間から、容赦なくXANXUS様の舌が差し込まれる。
ねっとりと私の舌と絡め、歯列をなぞった。

「んぅ…ぁ、……っ…」

…甘いキスに足が震え、力が入らなくなった頃に解放された。

「はぁっ…あの、XANXUS様……?」
「今のが俺の答えだ」
「え?答、え…?」

何を言われているのかわからず、目を瞬いた。
そして、漸く脳内で理解し始める。
今のは…口付けだった。
そして、それがXANXUS様の答えだと…。
…それは、まさか……私は、期待してもいいのだろうか。


自然と目に涙が浮かぶ。
声が震える。

「…XANXUS様、」
「なんだ」
「私の気持ちは…XANXUS様の邪魔には、ならないのですか?」
「…邪魔な人間を側に置く趣味はねぇ」
「私は…貴方様を愛していても、いいのでしょうか?」
「…勝手にしろ」

突き放すような物言いだけど、それが何よりも嬉しかった。
XANXUS様に拒絶されなかったことに、ホッと息を吐いた。
安心したことに腰が抜けて、ズルズルと壁に背を預けながら座り込んだ。
涙は留まるところを知らず、自分でも驚くほどに溢れてくる。
そんな私の姿を見て、XANXUS様は一つため息を吐いた。
そして、イスから立ち上がると真っ直ぐに私に向かってきた。
目の前でしゃがみ込み、私は首を傾げた。

「XANXUS、様?」
「…お前の涙は見たくねぇ。だから今すぐ泣きやめ」
「え…ぅ、わ!」

眉間に皺を寄せて、ぶっきらぼうに吐いた台詞。
頭の中で木霊して理解できずにいると、XANXUS様は私の涙を少し乱暴に拭ってくれた。


…好きだとか、愛してるだとか、言葉を私にくれたわけではない。
だけど確かに感じるのは、XANXUS様の愛。
言葉にされなくとも、私には伝わる。
自惚れなんかじゃなく、彼はきっと、私を愛してくれている。
その事実に、胸が熱くなる。
せっかく拭ってもらえた涙は、またも溢れ出す。
それを見て、XANXUS様が顔をしかめる。
私は、涙を流したまま微笑んだ。

「今、流れてる涙は、悲しいからではありません」
「…なら何故泣く」
「嬉しいから…幸せだから泣いています」

彼の手を自分の両手で覆い、その手の甲に口付けをした。
幸せで涙が出たのは初めてです、と。


…背中に回された腕は、しっかりと私を包み込んでくれていて。
私の耳に届くXANXUS様の心音がとても心地よくて。


私はその日、幸せな気持ちで彼の腕の中で眠りについた。




冷たいキスのしかた










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