もう長年使われていないとある湾岸の第2埠頭、そこに凛はいた。
薄暗く、蜘蛛の巣が張られた小さな街頭しか明かりはなく、大きなコンテナの影に隠れてしまえば凛の姿は見えなくなる。
コンテナに背を預け、胸ポケットから取り出した煙草に火をつける。
ため息をつくように大きく白い煙を吐き出す。
キツめのその匂いが鼻腔をくすぐり、妙に落ち着く。

ここは凛の所属するトーランティファミリーの縄張りであり、彼女の管轄地区である。
その為、同じ裏組織の人間は滅多に通ることはなく、大して広い地区と言えるわけでもないから、他の人間に狙われることが無いに等しい。
それゆえに、ここは凛の憩いの場となっているのだ。
今日もいつもと同じように休憩の為に立ち寄っただけであった。
しかし、突如耳に響いてきたのは、凛のものではない靴音。
それにいち早く反応した彼女は、持っていた煙草をすぐに常備されている灰皿に押し付け気配を消す。
右手は、太ももに取り付けられているバンドに挟んだ拳銃に触れさせている。
確実に近付いてくる足音に耳を澄ませていれば、それは凛の隠れているコンテナのすぐ近くで止んだ。

「いるのわかってるんスよ…出てきてもらえます?」

明らかに凛に向けられた言葉に、胸中で舌打ちをする。
凛が消していたはずの気配に気付くということは、それなりに“やれる”人間なのだろう。
そいつが同業の人間であると確信した凛は、取り出した口紅をさっと唇へ塗り、息を吐き出してコンテナの影から姿を見せた。
視線を上げれば、何よりもまず最初に目についたのは眩しい金色。
その金色の髪はどこかで見たことがあるような気がした。

「あれ、女の人スか…ここで何してるんスか?」

出て来た凛が女だとわかると、背の高いその男は目を丸めて首をかしげて問いかける。
男の視線からは凛を探るような疑心的な色が微塵も感じられず、凛は思わず眉をしかめつつ答える。

「ただ、煙草を吸ってただけ」
「そうっスか…」
「(あ…この人、知ってる)」

凛の脳内で思い出されたのは、数ヶ月前にボスからもらった書類。
今目の前にいるこの男は、その書類のひとつに載っていた。

「せっかくなんで、名前聞いてもいいっスか?」

笑顔で聞いてくる男に凛は簡潔に自身の名を告げる。
それの満足そうに頷いた男はたまも口を開く。

「凛さんっスね!俺は…「知ってる」

凛は男の言葉を遮るようにして太ももの拳銃を取り出し、真っ直ぐに男へと照準を合わせる。
男は驚きで目を見開くが凛は構うことなく、拳銃を下げることもしなかった。

「カイジェロファミリー、黄瀬涼太。1年前にファミリーに加入、あっという間にカポにまで上り詰め、元モデルのその人脈は計り知れない。人間の動きを一度見ただけで完璧に真似できる能力を持っている」
「…よく知ってるっスね」

凛に拳銃を向けられたまま、黄瀬という男は苦笑した。
それでも凛は表情を変えることはせず、ただ男を真っ直ぐに睨みつけている。
凛が口にした黄瀬の情報は、ファミリーである桃井から得たものであり、彼女の情報に間違いはない。
彼の所属するファミリーは現在凛のファミリーと縄張り争いを展開している最中である。
だから、ファミリーの一員である黄瀬が、この第2埠頭がトーランティファミリーの縄張りであることを知らないはずがない。
それを知った上でここに来たということは、“そういうこと”なのだろう。

「で?あなたが私の相手をしに来たわけ?」
「へ?相手?相手って何の相手っスか?」

殺気を隠すこともなく黄瀬に向けているのに、彼はそんなこと意に介した様子もなく、凛の言葉の意味がわからないとでも言うようにきょとんとする。
そんな黄瀬の態度に、今度は凛がきょとんとする。

「あんたたちはこの第2埠頭が欲しいんじゃないの?」
「そうなんスか?」
「え、私に聞かないでよ」

お互いに目を見開き瞬きを繰り返す。


埒が明かないことに先に気付いたのは凛で、黄瀬の純粋すぎる瞳に毒気を抜かれ、深いため息とともに拳銃を下ろした。
そのまま片手で煙草を取り出して口に咥える。
ライターを取り出して火をつけようとすると、顔に影がかかることに気付いた。
顔を上げればいつの間にか黄瀬がすぐ近くまで来ていて、驚く間もなく咥えていた煙草は黄瀬によって奪われた。何をするのかと凛が眉を顰めれば、肩を竦めた黄瀬が自分の口にそれを咥え、あっさりと火をつける。

「女の人が煙草吸うの、好きじゃないんスよ」

凛の煙草を奪ったのは、自分が吸いたいからというようなわけではなく、ただ自分の好き嫌いのためかと知った凛は、余計に脱力して頭を垂れた。
その様子を、黄瀬は不思議そうに眺めて白い息を吐き出す。

「あんた…馬鹿みたいね」
「ちょ、初対面で馬鹿ってなんスか!」
「いい意味でよ…唇、舐めないでね。毒塗ってあるから」
「は?毒!?」

黄瀬の前に姿を現す前に凛が自身の唇に塗った口紅、あれには毒が仕込まれており、一舐めでもすれば即死に至る。
凛の口紅のついた煙草を口に咥えた黄瀬は、自分の唇にその毒が塗られているということだ。
驚きで危うく煙草を落としそうになって慌てて手に持つ黄瀬を見て、凛は笑った。
この世界で生きてきて、黄瀬のような馬鹿みたいに純粋な人間に会ったのは、驚くほど久しぶりだったから。
取り出したハンカチで黄瀬の口元を丁寧に拭ってやり、ぽかんとしている黄瀬の手から煙草を奪い取る。
まだほとんど残っていた煙草を灰皿に押し付け、手にしていた拳銃を太もものバンドに仕舞う。

「私、この時間はいつもここにいるから…気が向いたら来てよ」
「え…来ていいんスか?」
「うん。あたしの管轄地だし…また会いたい」

凛がそう言えば、黄瀬は丸めた瞳をキラキラと輝かせ、何度も頷いた。
そんな黄瀬がおかしくて、凛も笑う。
お互いが敵対するマフィアであることを忘れ、もう1度会いたいと願う気持ちは何を示すのか。
黄瀬にせがまれ子供のように指きりをする凛は、そんなことを考えていたが、答えは出なかった。








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