965 | ナノ


早く、ころしてころしてと懇願される。静かに、淡々と呟くその言葉は赤司も、勿論緑間も聞きたくも言いたくもない言葉であった。
 愛でよう慈しもうと思いはするその綺麗な肌に粗雑で、鋭く冷酷な刃を突きつけるのは気が狂いそうになった。生に執着しているわけではない。肌に刃を当てた。短刀を持つ手が情けなくも震える。
 我慢強いけど、痛いのは嫌だよと、くすり。いつも会いに来た時のように可笑し気に、けれどその高揚と歓喜の感情を悟られぬよう挑発的に微笑む。

すべてを委ね力を抜ききった赤司が結局、重ねることしか出来なかった手に少しばかり力を込め、真っ直ぐ緑間を見据える。緑間自身が嫉妬を覚えるくらいに好きだと何度も言ったその手を汚させることへの謝罪、そして。

「   」

 この朱が渇かぬうちに暖かさを失わぬうちに、震えなどは何処かへと消え去った腕を自らに突き立てる。確かに。痛いのは嫌だろうな。
 ただ一つ、赤司を先に手に掛けるということに緑間は満足していた。赤司本人や周りから聞いたのみではあるが、赤司はいつも残されていた。赤司を身売りしたという親からも、自分以外に赤司に会いに来ていた客も。そして、自分も。言いはしなかった。言えば赤司の自尊心を著しく傷つけることになる。そして言ったところで自分には何とも出来るはずもなかった。
 毎回名残惜しげに赤司の元を去る緑間に、からかうように話しかけてきていた赤司。だが悟られぬよう、その聡明な瞳の奥に怯えを滲ませていたことを緑間は知っている。また置いていかれる。そのような顔を赤司は客が来るたびにしていたのだろうか。もし自分が先に死にでもすれば、最期の時まで赤司は置き去りにされてしまう。
 ふいに降り出したにわか雨が、何だか暖かく感じる。木に寄りかからせたまま、いつも惹かれ、そして閉じていて欲しかった綺麗な目は今は穏やかに伏せられている。霞む視界と意識の中、襦袢の様に美しい朱に彩られた赤司を引き寄せる。仏を信じぬ罰か、とも一瞬よぎったが、それでも偶像に自らの生き死にを差し出す気にはなれなかった。生き方も、死に方も、自分で決める。

 ―――今度は全く対等に生まれよう。交わらぬ程まっすぐ平行に生まれよう。今世のようにならぬよう、お前は人の上に立つといい。そうすれば、世がまともでなかったとしてもお前は自由でいられる。描いた幸せには成れなかったけれど、それでも俺はお前をあそこから連れ出せた。今度はそうしなくとも、寧ろ俺がお前を追いかける位自由に生きるがいい。