一人じゃ息も出来ない癖をして | ナノ


水中で溺死する魚ほど、愚かな存在は無いだろう。

産まれた時から当然のように、当たり前にしていた呼吸の仕方を忘れてしまうのだから。

愚かで滑稽。

そして哀れ。

赤ちんと初めて会った時、俺は赤ちんの目しか見てなかった。
大きくて猫みたいな目。
そしてまるで、いちご味の大玉の飴みたいな目が美味しそうだなって思った。

初対面の相手は大体が俺の慎重に少なからずは驚いた表情をしたり怯んだりしていた。でも赤ちんは特にどうといった顔もせずマイペースに、俺にバスケの才能があるなんて言ってきて。

「敦、お菓子はほどほどにしろよ」
「えー、美味しいよー赤ちんも食べる―?」
「人の話を聞いているのか…。俺はいいよ」

赤ちんは何でも出来た。
出来るだけじゃなくて、全てにおいて一番だった。勉強でもバスケでも、とにかく赤ちんに何かで勝ったなんて人は聞いたことも見たこともない。
まぁ、身長は別だけど。
そのことを言うと赤ちんは怒って練習メニューを倍増してくるから、赤ちんの前で身長の話は禁句。練習は嫌いだから、ただでさえ赤ちんの出すメニューはきついのにこれ以上にされたらたまったものじゃない。
でも、試合で赤ちんの指示通り出来て完璧に勝てた時とか褒めてくれるから、それがなんとなく嬉しかったし、赤ちんにもっと褒めて欲しいから嫌いな練習も頑張る。

一年の時から俺と峰ちん、そして赤ちんは目立ちまくっていた。
間もなく一軍に上がって、それから直ぐにミドチンも一軍になった。峰ちんはともかく、俺とミドチンについては赤ちんが見出したからなんだと思う。
”才能”ってやつを。
一年だっていうのに、赤ちんは妙に威厳が半端無くて、度々三年の先輩とか主将から意見を求められてたりしてた。それを良く思わない先輩もちらほらいたみたいだけど、実力主義の此処じゃ、どうにかできるはずもなく。
才能を見出す才能、なんて前の主将は言ってたような気がする。
とにかく帝光バスケ部には赤ちんが拾ってきた奴もいた。
黒ちんは、元からいたらしいけどよく覚えてない。その影の薄さ自体が才能なんだとか赤ちんが言ってた気もするけど、難しいことは解らない。
でも赤ちんは正しく、そいつらは皆確かにバスケが上手かった。でも、その中の一人を俺はどうしても気に入らなかった。
黒ちんも一軍に上がった二年になって、時期主将確実と言われる赤ちんが拾ってきた、灰崎とかいう奴。
見るからに不良みたいな感じの奴でこんな奴がバスケできるのかなんて思ったけど、灰崎のバスケの腕は確かなものだった。
峰ちん程じゃなかったけど、下手したらそのくらいは行くんじゃないかってくらい。

「ねーねー赤ちん」
「?どうした」
「灰崎だっけ。あいつ一軍に入れちゃっていいわけ?」

拾ってきた身として、一応灰崎の教育係である赤ちんに灰崎がよく絡むのは何もおかしくは無いんだけど。でも何となく、何となく少し嫌だった。
一発入れることができたらバスケ部に入ってやるって言ったら、容赦なく右ストレート入れてきやがった上に思いっきり組み倒された。とは半分呆れ気味の灰崎自身から聞いた話だったけど品行方正の赤ちんが喧嘩慣れした灰崎に完全勝利するくらいに腕が立つとは、正直思っていなかった。

「確かに生活態度には問題があるが、多少なら目を瞑るよ。手綱はしっかり握っておくけどね」

二年になって少ししたら、黄瀬ちんが入部してきた。赤ちんも彼は良い物を持っているね、なんて言って少し楽しそうだった。
正直俺は赤ちん以外はかなりどうでも良く思っていたんだと思う。

赤ちんは普段こそ人前で気を抜くことは絶対にしないけど、一度抜いたときはとことん無防備だった。
昼休み、いつものように赤ちん補充してたら、珍しく赤ちんが俺の腕の中で眠りこけてしまった時があった。規則正しい寝息を聞いて、赤ちんの顔を覗き込むと、今でも美味しそうと思ってしまう目は長い睫毛が降り閉じられている。赤ちんの寝顔なんて珍しい物を見れた。

―――髪さらさらー…あ、ほっぺ柔らかい。

でも、その時後ろから聞こえた声は、俺の機嫌を悪くさせるには十分だった。

「あーれ。アツシじゃん」

赤ちんを起こさないよう首だけゆっくりとそっちへ向ければ、不適な笑みを湛える灰崎の姿。
なんで今こいつが来るわけ?赤ちんと折角過ごしてたってのに。

「…何、おサボり?」
「ははっまだ昼休みだぜ?ま、そのつもりだけどな」

大方タンクの辺りでサボるのだろう。どうでもいいのであっそ、と言えば、灰崎の興味は俺の腕の中に移ったようだ。

「……それ、征十郎か?」

灰崎が除き混もうとするが持ち前の大きな手で大事なものを隠す。こんなの、他のやつに見せるわけ無いじゃん。

「俺のだし。勝手に見ないでくれる?」

そう言ってやれば、灰崎は一瞬目を細めた後吐き気がするような笑みを溢した。この顔は知ってる。人の物を欲しがる奴の顔。

「へぇ……いいなぁ」

呟くように言うと、灰崎は何事もなかったかの様にサボタージュに向かった。
だが何か思い出したように振り向く。

「許可なんてとる必要ねーと思うけど、まぁ、欲しくなったら取りに行くからよ」

何の事を言っているかなんて考えなくても分かる。灰崎はの姿が消え、それから少しして昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

「赤ちん、起きて」

そう言って赤ちんの額にキスを落とす。寝付きは良いが、寝起きが中々悪い赤ちんに更に何度か髪にキスを落とせば、やっと覚醒が始まる。

「おはよ。赤ちん」
「……おはよう」

一つ欠伸をすると、猫みたいに体を伸ばし意識を完全に覚醒させる。

「…敦、誰か来たか?」

本当に、ただ本当に何となく聞いていたのだろう。
狸寝入りの可能性もあるが、赤ちんの狸寝入りは俺には通じない。

「、誰も来なかったよ?」

何の負い目も感じる必要など無いし、正直に灰崎の事を言ってサボりを粛清してもらってもいいはずだ。でも俺は赤ちんに嘘をついた。
赤ちんに嘘つくのはこれが初めてだったかもしれない。
いつもつこうとしても赤ちんはなんでもお見通しだから嘘をつくことさえ出来ない。この時は赤ちんが寝起きだったからなのか、それとも俺の嘘のつき方が上手かったからなのかはわからなかったけど、でも俺はほっとした。
これ以上、赤ちんが俺以外を見ることが嫌だった。

恋とか愛とか、それがどんな言葉であっても興味ないし意味がない。
抱き締めれば暖かいし、別に赤ちんが特別とか、遠い存在だなんて嘘っぱちだってのがわかるから。

「敦」

赤ちんが俺の名前を呼ぶ。

「敦、見えないよ」

こんなに近くで。

「見えないよ」



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