一人じゃ息も出来ない癖をして | ナノ


これっきりで、終わり。
情事後そう短く告げれば灰崎もそれについては了承していた。灰崎が出て行き一人残された赤司は、微温湯が緩く出たままのシャワーのコックを捻り冷水を自らの上に穿つ。頭の先から冷やされることでクリアになっていく思考で赤司は、特に何かを考えるということはしなかった。
 赤司にしては珍しく、ただただ、そこに存在しているだけ。
 このままこの冷水が足元から凍って、自分を氷漬けにしてくれないかなとか荒唐無稽な事が頭を過る。次第に目を開けているのも億劫になり、静かに目を閉じると自分を包む水音を脳に送り込む。

まるで、自分の為に雨が降っているようで。


 京都の夏は暑い。盆地で風もあまり無く、蒸されるような暑さとは正にこの事。
一年を通して嫌が応でも人混みができる駅はその人混みで更に蒸し暑く感じる。というよりも実際暑い。滝の様に、とまでは行かないものの汗がじわりじわりと伝う。季節が一つ、二つと巡っていきまたこの季節が訪れた。

「赤ち〜ん、何で京都こんなに暑いの…俺まじ死んじゃうし」
「…秋田の方も充分暑いと思うけどね?」

 あっちは風があるからまだマシなのだと反論されそれもそうかと納得する。
 こちらの暑さに慣れてない紫原はクーラーが適度に効いている部屋に着くとやっと一息付けたようだった。電話やメールでのやり取りはあるものの、秋田と京都は遠い。ある程度の長い休みがなければ行けるものではなく、ましてや赤司は休日でさえも自主連に使ってしまうような性質。必然的に行くのは殆どが紫原からだった。

「暑いというのなら、なんでくっつく」
「いや、ここクーラー効いてるし」

 それとこれは別だと屁理屈を言う紫原。
 すり、と甘えてくるこの巨大な子供に赤司は弱い。否この場合、赤司が弱くなったと言うべきであろうか。
 汗を洗い流させた後、そのまま紫原に抱きすくめられベッドに転がる。紫原の為に用意したベッドは普段赤司が使うにはかなり広すぎるものだった。
それまですりりと甘えていただけだったが、段々とその動きが怪しくなり、キスをしたがる。

「ん……。ん」
「…ね、赤ちん。良い?」
「ん、ぁ…駄目、だ」

啄まれる様なキスに意識を持って行かれそうになるが、既のところで静止をかける。紫原と赤司は恋人であるが、今のようにキスはしてもその先まで行ったことは中学時代を含め、この約三年間一度も無い。行こうにも赤司がそれを許さなかった。本音を言えば生殺し状態が続いた紫原にはそろそろ限界。しかし赤司の同意無しで行為に至るのは紫原には出来なかった。子供っぽい正確だとよく言われるが、子供は子供なりに大事な人の合意の上と我慢していたのだ。
 今までも何度か迫ってみたものの、直前となっても赤司に拒否の言葉を突きつけられた。理由は何となく分かっていた。といっても、確信出来たのは一年のウィンターカップが終わった後であったが。

――――やっぱ、まだ怖いよね。
 
紫原が力を抜いた事で、赤司は紫原を押し返し起き上がる。夕食はどうするかと聞かれる。それは努めて普段の声だったが、紫原には赤司の中に確かに存在する怯えを感じ取ることができた。そして赤司は罪悪感を滲ませる様な表情をするのだ。

「赤ちんが作ったのが良い。この間来た時の美味しかったしそれがいいな」

そうか、それじゃあ。とベッドから立ち上がろうとする赤司。しかしそれは未だベッドに寝そべったままの紫原に腕を掴まれたことで阻まれる。一瞬びくりとした後再び体を埋もれさせる赤司。

「…どうした」
「赤ちんさ、中学の時、一時期こうやって触るのも駄目な時あったよね」

 腕を掴んでいた手を滑らせ、赤司の手に重ねる。ぴくり、と指が跳ねたがそれはごく小さな動きだった。

「今、大丈夫だよね」

赤司は何も応えなかった。紫原の話を聞いている、というより今の赤司は空っぽの状態に近かった。
 体が震え出さないだけマシだったのだろう。重ねられた手から紫原の体温が流れ込んでくる。

「赤ちんは、俺のことこわい?」
「……。怖くない」

良かったぁ。そう言いへにゃりと笑う紫原に手を引かれ、その上に倒れこむ。ベッドの柔らかい感触ではないから多少の衝撃はある。手を付き起き上がろうとすると、丁度眼下に紫原の顔。

「正面から言ったことって、そういや無いよね」

ふと思う。紫原を見下ろすなんてこの体勢くらいではないだろうか。

「赤ちん好き」
「それは…前にも聞いたよ」
「だから正面からやり直し」

それに何回だって言ってあげる。
 言葉は同じことを言えば言うほど、その重みがなくなっていく。しかし紫原にとっての赤司の言葉はいつも同じ位の質量を持つ。
赤ちんは?
 オウム返しの単語を聞きたい。もしこのまま無理に行為に及び赤司の口から直接聞いたとしても、赤司はそれを認めないだろう。
赤司自身にもはっきり自覚して安心して欲しかったのだ。

「好き、…僕は…敦が」

言葉を搾り出す赤司は、言ったことが正しいのか単語ごとに大人を伺う子供のようだった。
 いいの。好きで、いいのか。そう小さく呟く赤司の表情は逆光で半分ほどが暗闇に包まれていた。唇が言葉を紡いでいくのをじっと待つ。

「うん。ね、赤ちんの目が見たい」

頬に手を添えそっと引き寄せる。苺の飴玉のようだと思った瞳は片方溶けたように色が和らいでいる。またそれに飴玉の味を当てはめながら、前よりもよく見えるようになった綺麗な一対を味わう。
キスをしてもいいかと聞けば、拒否の言葉は返ってこない。口端をかすめると、首に何度も口付ける。
 紫原が喉元にまるで噛み付くように食むと、赤司はふるりと震える。喉仏の動きを楽しむように何度かそれを続けると、赤司の口からは我慢するかのような引きつった声ともならないものが漏れる。

「っ、ん」

もしもこのまま喉元を噛みちぎったら、赤司はきっと息ができないだろう。息ができなければ人は窒息してそのまま死んでしまう。
――――窒息って苦しいのかな。

「敦」
「んー?」
「愛してる」

アイシテル。
 手前勝手だが、紫原はその言葉を赤司が使うことはないと思っていた。世界一最上級で、世界一陳腐で面白みのない言葉。でも、赤司はその使い方を少し誤っているのではないのか。だって。

「赤ちん。なんで、泣いてるの」

その言葉はおおよそ、好意であり泣いたり、痛みを堪えるような顔をして言うものではないはずだ。目線を上げた紫原が見たのは、ただ静かに涙を伝わせる赤司。
 体を起こし赤司を自らの中に閉じ込めると強く抱きしめる。痛いだろうか。怒られてしまうだろうか。

「…敦、息が出来ないよ」

紫原の胸に押し付けられている赤司がくぐもる声で言う。

「じゃあ俺がキスして赤ちんに酸素送ってあげる」

口移しじゃあ送られてくるのは二酸化炭素だよ。なんて生真面目に反論する赤司だったが、紫原は至って真面目だった。

「だって、赤ちん一人で呼吸してるといっつも辛そうだもん。呼吸しても吐き出さないで溜め込んでばっかで、そんなんじゃいつか窒息死しちゃうよ?」

紫原の突飛な発言には流石の赤司も時折驚かされる。しかし、それが人間に言う台詞だろうか。

「僕って、呼吸が下手なのかな」

紫原の服に水滴が染み込み染みを造る。しかし中々止まらない涙はまた新たに染みを広げる。訂正と追加、涙腺管理も下手なのかもしれない。
かもねぇ、なんて間延びした相槌を打つ紫原。窒息死してしまう、そう言われたが案外死ぬならそっちの方が良いのかもしれない。劇的な最期を望んでいるわけではないが、殺されるならいっそ首締めがいい。意識が切れるその時まで体温を感じられる。
 抱きしめられているので体は動かず、首を少し捻る。
――――敦の手は大きいから、そんなに苦労もしないかな。
なんて物騒なことを考えている赤司に紫原はある提案をする。

今までに何度、肺の動きを止めたいと思ったことか。二つもいらない。

「じゃあ、赤ちんができるようになるまで、俺と一緒に呼吸していようよ」

肺は一人一つでいい。




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