「………………。」
言葉を失う。一人ならば膝が折れそうなのをなんとか耐えてみせた。鏡は硝子のような透き通った画面に変わる。そこに流れてくるのは複数の映像だった。外の世界を見る時は常にこうだ。視覚、聴覚情報で把握する。そこで流れてきた景色のひとつは牡丹雪がしんしんと降る東欧のとある田舎町。赤いレンガ造りの二階建ての小さな家の中庭でアーガイルのセーターを着た中年の男性とエプロン姿の同年代の女性が酷く心の平静を失って見苦しく一人の名前を叫んでいた。
「×××!×××、どこにいるの!?…なんてこと…あの子がいなくなって「10年以上も経っている」ということなの…?」
あまりのショックの大きさからその場に女性はへたりこんでしまうが男性は気でも狂ったかのごとく、ついには家を飛び出して何処かへ行ってしまった。
もうひとつの映像は、学校の教室。筆記用具の散乱した机や椅子、教壇だけでなく建物のほとんどが木で出来ていてこちらは田舎を思わせる。天気は快晴、窓から差し込む光が眩しく子供たちの賑やかな声が外の方から聞こえる。
「暑くてボケてるのかねえ私も。あっはっは…。」
教室に入ってきたのは水色のアロハシャツを着たこちらもまた中年の男性だが、髪の毛はわざと綺麗に剃られ体型も肥満気味で大きく膨れた腹が特徴的だった。どうやら教師…であるのだろう。彼の破天荒な服装が学校の自由な雰囲気を一番よく醸し出しているといっても過言ではない。
「名簿名簿…んん?なんだこれは、いつの名簿が入ってるんだか…。」
教壇の中から薄茶色の紙の束が出てきた。探しているものとは大分違う、今から二十年前の名簿が出てきた。
「ははは、懐かしいなあ。………ん?」
彼は当時も在任中でしみじみと懐かしんでいたると、あるおかしな点に気づく。
「×××…?二十年前とはいえ生徒の名前を忘れてしまうとはね…いや、待てよ?×××…は確かに居たぞ?」
難しい顔でしばし考え事をしていると途端に血の気が引いていった。
「………×××はそもそも「卒業」したところを見ていない…。いつから×××を見ていない!?」
そこで更に別の映像が上に重なった。砂漠の集落、都会のビル街と環境は全く違えど共通するのは「一人が相当昔に行方不明になっており、その事自体に周囲が無自覚または忘却していた」ということ。名前が同じの少女。
「×××!!」
「いままで×××は何をしてたの!?」
ジョーカーには聞き覚えがあった。
「……そうだ!」
彼は走馬鏡に指を滑らせると、二つの新たな映像が映った。見たい世界を選ぶこともできるが、そこでジョーカーがわざわざ選んだのはイギリスのとある屋敷と日本の中心の都市の一軒家だった。何故そのような場所かというと、この件について確信を得るには最も相応しかったからである。


イギリスのとある屋敷。人が住むにしては無駄に大きい白塗りの家の、芝生が青くとても広い庭で紫のワンピースを身に纏った金髪の美少女が「何か思い当たる節でもあるみたいに」悲痛に名前を呼ぶ。
「アリスちゃん!ああ、何処へ行ったの?また悪い人に知らない国へ連れていかれたの、ねえ!!」
「人聞きの悪い…。」
と悪態をつくジョーカーはすぐに片方に視線を移した。悪い人を思い出しつつ。

日本の中心の都市の一軒家。東京の渋谷区。把握する必要のない詳細情報は覚えるつもりもない。時間帯は夜だが、幸いにも近くに数多の店があれば出歩く者もいるようで、一軒家から白いジャージ、生え際だけが黒いものの不自然なまでに鮮やかな髪を伸ばした女性もまたそのうちの一人だろう。
「あー超だるい〜あたしもバイトで疲れてんだからもうちょい労ってよ。えっと…ママとパパと姉ちゃんのと〜…。」
気だるげに指折りながら呟く。
「……莉奈姉ちゃんと…あれ?有栖姉ちゃんの聞いてなくない?」
と、再び家へ戻る。しばらくして「有栖はどこにいるの!?」などと絶叫にも似た声がここまで聞こえたのだから室内まで覗き見る手間が省けた。

「…信じられん…。」
ジョーカーはその場でとうとう深く項垂れる。小さく丸くなった背中からは神と呼ばれた者の威厳は微塵もない。
彼が多数の世界に発動した「存在消失(エクシスト=ディスペア)」は対象者もろとも残してきた様々な跡も、関わった人物の記憶からも消えてしまう故に術者にしか解除どころか干渉も不可能の究極魔法。一度発動すれば術者を失っても効果は永続する。

しかし、例外としては術者と同格の力を持ち、対象者との誰とも接点がない者に無効化されること。すると当然魔法によって続いていた効果も切れる。

「…ふふふふふ…あはははははははは!!!!!」
背後で狂ったようにジャバウォックは笑う。
「はははっ、はははは…貴様の神隠しは案外脆いものだな!!」
とは言うものの彼の感情の昂りは絶対的な力を打ち砕かれた強者の無様に対するものだった。
「…………。」
返事はない。どうやら、まだ物事の全てを理解できてないのだと察したジャバウォックが笑うのをなんとか抑えて説明する。
「貴様が何者か、何処にいるか、偶然にも出会った貴様の下僕が事切れる寸前…記憶に干渉して知り得た情報だ。多数の世界を常に管理下に置く存在…野望を叶えるには邪魔でしかない。」
と、余裕じみた笑みは何処か邪念めいた感情は含んでいた。無言のジョーカーに一歩ずつ、ゆっくりと歩み寄る。剣を片手に。
「私の魔法がある程度…即ち修復に相当な時間を必要とする程度に貴様の魔法を崩壊するまで時間を稼ぐ。一刻も争う事態に貴様の優先順位が魔法の修復に切り替わる。それはもう必死に…。」
距離を縮めるが振り向きもしない。
「あとは語るまでもないだろう。」
すぐそばにまで迫る足音。もう、ジョーカーが何をしようと身構えているジャバウォックの手にする剣の切っ先はすぐに到達してしまうだろう。

「……………今すぐ…私の……れ……。」
ジョーカーが小声で独り言を呟いている。だがジャバウォックに慈悲はもとより無い。
「真の神の前で詫びるがいい。」
そう言って静かに刃を、ジョーカーの長い髪に隠れた首めがけて振った。








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