―場所「最果ての館」―


「幸せとは、他人が決めるものではなく己が幸せと感じたならそれが幸せなのだ。」
誰もいなくなり、たった一人の孤独な空間。しかし空間、最果ての館の主であるジョーカーはそれさえも楽しんでいるように思える。綺麗に整理された机に頬杖をついて退屈な時間を趣味でもない読書で潰していた。

片手でページを捲る。本の名は「鏡の国のアリス」。彼が呟く言葉はどのページにも載ってないただの独り言だ。
「このようなものが有るとはな。いやはや…アイツは知っていたのだろうか。」
余程暇だったのだろうが、ジョーカーが何をきっかけにどのようにして探し当てたかた誰にもわからない。ひたすら長々と綴られた文字を目で追う行為に更ける。
「鏡の国と相対の国には類似した部分が多数在る、そこにアリスのお出ましと来た…私は何一つ介入してはないと言うのにこれは傑作だ…。あっ?」
いくら片付いているとはいえジョーカーの不注意により、端に置いてあるまだ中身の入ったグラスはうっかり動かした肘に当たって机の外に放り出されてしまった。結果はどうなるか?ご覧の通り、ガラスは破片となりおさまる所を失った葡萄酒は床にぶちまけられた。

「………なんということだ。」
だがこれ幸いにも書物の上に傾くことはなかった、それだけで今の平静を保っていられる。染みたら残る紙の上と拭いたらどうにでもなる床の上とでは話が違う。
「拭くものは何処だ…。」
メイドに任せきりなジョーカーは雑巾等の掃除道具がどこにあるのかさえ知らない。渋々椅子から腰をあげ、自ら探すことにした。そこにちょうどよく、もう一人の足音が聞こえる。高く軽やかな足音、それと気配。確信する。この空間には限られた者のみ好きな時にいつでも出入り出来るのだから。

「拭くものならあるじゃないか。自分の服が。」
主人に対する尊敬のかけらもない辛辣な言葉もなんら疑うことではない。いつものことだ。そうではない。
「今日はどこまで出掛けていたんだい、ノア。」
扉から入ってきたのはご主人に忠実で従順なメイドではなく、ジャッキーだった。だがジョーカーは彼を疑うどころか違う名前で呼ぶしまつだ。二杯目の葡萄酒だが彼は酔ってはいない。(関係は薄いが)長い長い時間を潰すために本を読んで目を悪くしたわけでもない。彼の視力は両方とも2. 0もある。
「ああ…ちょっと寄り道をしていたら遅くなってしまったよ。…しょうがないなあ、私が拭く。それよりいい土産があるんだ。」
一方ノアではなくジャッキーはいかにも前から親交があったかのように気さくに話しかける。
「さすがノアは気の利く召使いだ。」
ジョーカーもまた、彼が恰もノアのように褒めあげる。
彼が彼女なのか、彼女が彼なのか。冗談か本当、だとしたらどれが本当なのか。ノアと呼ばれ続けあっさり通されたジャッキーの姿をした何かは彼のもとへ懐に手を入れて自然に歩み寄った。一歩、二歩…すぐ目の前にまで距離を縮めた。その時だった。
ジャッキーは素早く懐から銀に光る細身のナイフを取り出し相手の心臓に当たる部分めがけて突き刺そうとしたが、ジョーカーはなんと素手で刃を掴んだのだ。
「……うっかりかな?やれやれ…これはお仕置きどころでは済まないぞ?ジャバウォック。」
ようやく真の名で呼ばれたジャッキーは更に力を込めた。余裕の笑みを浮かべる両者だが、ジョーカーの掴んだ側の手は痛みと相手の力に押され気味で微かに震え、鋭い刃が食い込んだ所はそのまま傷となり滴り落ちる鮮血はまたも足元の床を汚した。
「存在認識魔法が効かないとは…。」
ジャッキーは疑心の目で睨む。物を破壊するだけが彼の能力ではない。存在認識魔法といわれるうち使用したのはその中の「存在介入」という魔法で、自分の存在を刷り込ませる事が出来る。
例えば、顔見知りの人の外見、性格等が次の日には違う人のようになっても、周りからは「この人は元からこういう人だったんだ」と記憶すら塗り替えられてしまうのだ。
「どんな小細工をしたか知らないが、そのようなもので私を騙せると思うなよ。」
歪な笑みを満面にぐっとナイフを押し返し、魔法で召喚した両方のふちに刃がついている長さ50センチ程の剣を反対の手に握っては幾度となく振り回すが横に後ろに軽々とかわされる。
「あははは、神様は違うなあ!こんなにあっさり失敗したら君のメイド達にも申し訳なくなってくるよ!」
可笑しいところは何処にもないのに随分と楽しそうに笑うジャッキー。いつのまにやらジョーカーの笑顔も消えていた。
「貴様…何をしてくれた。」
当然、悪びれる様子など微塵もない。
「まあそうだな、君に仕える従者だけあって中々私を頼ませてくれたよ。二人から選ぶのは大変だったがな…。」
存在介入の魔法を成功させるには条件があった。まず「誰にもその瞬間を見られてはいけない」、次に「対象が息絶えてすぐの状態にあること」だ。存在認識魔法では時間を戻すことは出来ない。
「まさか神であろう者が一人や二人の死に感情的になるわけないよなあ?」
次の瞬間、ジョーカーの振る剣が彼に当たった。刃が触れた長い髪は僅かに床に散る。空まで切り裂かれたよう。二人の時は刹那の間だけ止まる。
「ジャバウォック…貴様は井の中の蛙大海を知らずという言葉をご存知かね?神話もろくに知らないのだろう?その様な者が神を語るではない、愚か者。」
今度はジョーカーの方から攻撃を仕掛けるようだ。達観者な彼の怒りの沸点は極度に低く、それらしき態度を見せた所で心では冷めきっている事が多い。では今の感情はなんだと問われたら哀れみと蔑みの二つとほんの少しの見栄。彼は笑った。

「それに、神とは人が勝手に呼んでいるだけだ。この手が筆を執る為だけにあるのではない事を見せてあげよう。」










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