やはり、振り向こうとはしなかった。尚も必死に訴えようとする。

「……お前…すごい奴なんだろ?」
ジョーカーは否定もしなかった。返事もしない。
「俺の…俺の記憶を…いっそのこと消してくれ!」
生憎シュトーレンはまだ人並みの礼儀が備わっていない。また肩を掴み、人に物を頼む態度としてはあまりにも強引だったが、そんなことで口煩く咎める程器は小さくない。
「気安く触れるな。…出来ることがなんでも出来ると思うんじゃないぞ。」
腕を回して無理矢理手を払う。シフォンは居た堪れなかった。記憶を抹消することは造作でも作業だ。ジョーカーはつまり己の置かれた立場上、力にある程度の規制をかけているのだと。でなければ世界は均衡を崩してしまう。

…と、難しい事を述べたが事実、ただ単に面倒なだけのようだ。

「それに、本当に良いのかね?二度と甦ることの無い記憶が戻った、余程君にとって大切な想い出とやらなんだろう?私には罪深いよ。」
大切な想い出さえも一瞬で消してしまう張本人が言えた台詞じゃあないが間違った話でもない。
「………私の意思で君をどうすることもできない。」
遠回しにはこう言っている。「そこにいる人物に聞いてみればどうだ」と。出来たらとうにしているだろう、怖くて口を聞けないでいる。
「…それでもいいよ…それでも…いいから此処にいたいのに…。」
生気の欠片もない声は小刻みに震え、膝からその場に崩れ落ちた。
「ならもう誰のとこにも行かない、ひとりで大丈夫だから。…だったらいいんじゃないのかよ…。」
見捨てられたんだという絶望と悲哀に逼迫され胸が塞がれ息も詰まるように苦しくなる。
思い出さえ捨て、ろくな覚悟もないくせに独りで生きると決めてまで自分の居場所に戻りたいだけが何故叶わないのだろう。

本当は何も失いたくなかった。心の声が噎び泣く背中から聞こえてきそうだった。居るべき場所から追い出された先に居るのは自分でもないのだ。
「… いらないんならなんで俺は生まれたの?なんのために生きてたの?」
消えたら自分という存在は無くなってしまう。望んだことではないなら、どれだけ悲しいことか。

誰に問いかけても答えは返ってこない。否、己に問いかけたのだ。勿論、迷ったままで蟠るのみ。
「…誰か傷付ける奴になるぐらいなら消えた方がいい!でも…やっぱりここがいい!」
しまいには蹲って床に額を伏せる。嗚咽のせいでもうこれ以上声を張り上げることは出来なくなっていた。喉が熱く感じる。

「シュトーレン、お前…。」
我が儘な幼児のように泣き喚く彼は大人の姿をしているだけの子供にしか過ぎない。故にシフォンは今でさえ、どう接したら良いか戸惑っている。
「……なんで、はじめっから住んでたのに追い出されなきゃいけないんだ!!生まれたとこに居るのがどうしてダメなんだよ!!!」
とうとうシュトーレンは癇癪を起こし強請る行為を投げる。胸の奥に閉塞した思いを只管に慟哭の叫びに変えては形振り構わず当たり散らした。

願ってもどうせ叶わない。

「…またあの楽しかった時みたいには戻れないけど………楽しかった…そう思ってたのは…俺だけだったんだ…。」

どうせ無慈悲に消されてしまうのだ。此れが最後になるなら我が儘で別れたくはなかった。なんとか気持ちを落ち着かせ、顔を伏せたまま告げた。


「俺は楽しかった。お前のおかげでこの世界を好きになれた。ありがとう、シフォン…んぎゃあああああ!!!」
突然シフォンはシュトーレンの尻尾を強く蹴りあげた。尻尾に尋常じゃない痛みが襲い掛かり、バネ人形の如く大袈裟に飛び跳ねた。

「そういうことは面と向かって相手の目を見て言え、能無し。」
罵倒を添え見下ろすシフォンの真顔は氷より冷たい。
「…あっ、え…?居たいのに…痛い…あ、あれ?」
尻を押さえながら目を点にして見上げる様は大変滑稽だ。頭の中は驚きの白さである。
「能無しとは言ったが、あの馬鹿兎よりはずいぶん嘘が上手じゃないか。知らないことが多いだけで知能はお前の方が上なのかもしれないな。」
誉められているのか貶されているのかわからない。 お涙ちょうだいハンカチ必須の切ない雰囲気はぶち壊し。切ない悲劇から愉快な喜劇へと一変した。
「えーっと…シフォン…。」
見事に調子を崩され、座り込んだまま唖然として言葉を失う。このまま消えてなくなるのは納得のいくものではない。







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -