オルカ・オルカ | ナノ





 放課後の図書室、んふふ、と緩んだ口元から漏れる締まりのない笑みに、今日も絶好調の友人から訝しげな視線が飛んでくる。しかし今回ばかりは、どうしたって全身から溢れ出てしまう幸せオーラを止めることなんて出来やしない。
 私の手のひらの上に鎮座するおかしなシルエットのマスコット、その名もイワトビちゃん。我々が住む岩鳶町のクセが強すぎるゆるキャラだ。そのゆるキャラを模して作られたこの木彫りのマスコットは、何を隠そう、橘くんのお手製なのだ。
 新入部員を獲得すべく七瀬が大量生産を始めたと耳にしたときには正気か? と首を捻ったものだけど、橘くんが作ったとなれば当然話は異なってくる。

「見て、この味のあるフォルム……! 左右離れた深淵のごとく深い色をした瞳はこの汚れた俗世すべてから目を逸らさず見つめ続けるという強い意志に溢れてるし、分厚い翼からは冷たい人間の心すら包み込んであたためるという天使そのものの優しい思考が見て取れるよ……すごい……まず橘くんが彫刻刀で削った木だよ? 間違いなく数百年後には聖遺物だよ……」
「橘ってほんっと美術苦手なんだね」
「だまらっしゃい」

 確かに橘くんは英語と美術が苦手だけど、それとこれとは話が別だ。そもそも橘くんが手ずから作ったものに点数を付ける現代の制度がおかしいのだ。橘くんが作ったらそれはもう百点に決まってるのに。むしろ百点満点なんて枠に当てはめること自体が烏滸がましい。後世に遺すべく美術館を用意しろ。この世の宝はしっかりと保護するべきだ。
 そもそもどうして私ごときがこんな貴重なものを手にしているかというと――これはもうひとえに、渚くんを渚さま、と呼ばなければならない。



「そういえば、せっかく応援団長をやってくれるのにつーちゃんに渡してなかったよね? はい、これ! 入部特典のイワトビちゃんストラップ!」

 朝一番、校門前でちょうど鉢合わせた渚くんが、手持ちの大きな紙袋から取り出した一つの木彫りのストラップ。プールに入りたい七瀬が部員獲得に燃えた結果量産されたそれらは、気付けば私の想像を遥かに超える量に到達していた。
 大きな紙袋いっぱいに入った虚無感に満ちた顔をした鳥らしき生き物のストラップ、しかも海パン姿というのは場合によっては正気度を失いかけそうなほど禍々しい。いくら渚くんの好意とは言え丁重にお断りしようとしたのだ。しかしその後に続いた言葉は、いとも容易く私からそんな理性を奪っていった。

「これね、マコちゃんが作った試作品なんだ! 不恰好だからってマコちゃんはボツにしちゃったんだけど、つーちゃんはこっちの方が嬉しいかなって思って!」
「たっ、たち……っ?!」

 橘くんの手作りストラップ……?!
 その言葉に惹かれないはずもなく、こちらを見つめるやたら出来のいいブラックホールじみた双眸を向けて来る存在から本能的に目を逸らしていた私は、即座に手のひらを返し、渚くんへと視線を戻した。本能より欲望が勝った歴史的瞬間である。
 渚くんが手渡してくれたそれは、確かに紙袋を埋め尽くすそれらとは様子が違っていた。売り物か、と思う程のクオリティで色付けされたそれらと異なり、私の手に乗せられたものは途中で断念されたのか、顔にだけ深いグレーを纏っている。身体は彫刻された木そのものだ。
 こんなの、――こんなの。

「ありがとう渚くん、家宝にします……!」

 ――国宝にするしかないじゃないか!



「ということで我が手に至宝が渡ったわけよ……渚くんにはこんど購買で好きなもの買ってあげなきゃ……」
「いやもうそれ廃品の整理に近いんじゃない?」
「こんな、こんな素敵なものが廃品だなんてとんでもない……! 見てよ、この味のある彫り跡! 簡素なデザインの中に力強さを感じるこの一閃! ここから感じる趣はかの仏師、円空をも凌ぐよ……」
「顔だけしか塗られてないのも怖いんだけど」
「ばっ……! もう、分かってないなぁ! 橘くんが彫った彫刻に全てを色付けなんてしちゃったらダメに決まってるでしょ……!」
「……一応聞くけど、なんで?」
「だって生命、宿っちゃうじゃん……」

 百年間大事にされた器物には付喪神が宿るというが、橘くんが想いを込めて作った彫刻なんて完成された瞬間から神に転じてしまいかねない。だからきっと橘くんはこの汚れた下界にあまりに明確な影響を与えるのはまずいと、その天使の本能で新たな神の誕生を自ら阻止したのだ。
 まぁこの世界に神的存在は橘くんだけで事足りてるしね。そしてたとえどんな神が誕生したとしても私は橘くん一神教だから問題ないんだけどね。いやでもこの場合は橘くんの眷属ってことになるのかな……だとしたら崇拝対象かもしれないな……。
 ふふ、と溢れる笑みを隠しもせずストラップを見つめる私に友人が言葉を失っていたが、多分今の今になって橘くんの崇高さの片鱗に触れてしまったがために違いない。あれだけ頑なな友人の心さえも溶かし始める橘くんは、やっぱり只者ではないな……初めから知ってたけどね、へへ。

「お話中ごめん。これ、借りたいんだけどいいかな?」
「あっ、ごめんね! もしかしてうるさかった?」
「いや、ひそひそ声だったから全然大丈夫。むしろ水を差しちゃってごめんな」

 頭上からかかった声に慌てて顔を上げると、眼鏡をかけた男子が本を片手に微笑んでいた。いけない、人があまりいないから油断していた。
 そう、そもそも私たちが今こうして図書室にいるのは、私が司書の先生がいない間の受付作業を頼まれてしまったからだった。友人はその付き添いだ。
 慌てて貸し出し作業を始める私に、急がなくていいよ、と眼鏡の男子――世良くんが笑う。

「なんかやけに楽しそうだったけど、何話してたの?」
「えっ、な……内緒……」
「人に言えるようなことじゃないからね」

 意地悪げに目を細めた友人を横目で制すが、確かにその言葉通り他人に言えるようなことではないので返すことの出来る言葉はない。無念なり。そんな私たちに「相変わらず仲いいなぁ」と微笑んだ世良くんが、私の手に包まれたそれを見つけて、あ、と声をあげた。

「安土、水泳部に入ったんだ?」
「一応、正式な部員じゃないんだけど」
「ふうん? いや、さっきグラウンドに水泳部が来ててさ」
「へ?」

 予想外の名前に間抜けな声が出た。世良くんは陸上部員だから、その時に目に付いたのだろう。それにしても、なんでグラウンド? 基礎体力をつけるためのランニングとか? 友人を見ても、私が知るかと首を横に振られるだけだった。そりゃそうだ。
 と、そこでようやく、思い当たる節に行き着いた。

「あっ、そういえば四人目の選手を探してるって言ってた」
「四人目? 確かつばさの知ってる女の子がマネージャーとして入ったから、部活としてはオッケーなんじゃなかった?」
「それはそうなんだけど、秋に部費を支給されるためには結局どうしてもあと一人は選手が欲しいんだって。まぁ今のままだとリレーにも出れないし……」
「へぇ、詳しいんだな」
「いやまぁ、うん。ちょっとね」

 感心したような世良くんからそっと目線を逸らす。別に私は大して水泳に詳しくなどない。ただどうしてもリレーだけは見たことがあるから知っている、その程度だ。けれどそれを一から説明するのは億劫で、曖昧に誤魔化してしまった。うう、申し訳ない。
 申し訳ないついでにダメ元で水泳部に勧誘してみたけれど、そこはやはり陸上部の有力者、丁重にノーをいただいてしまった。ごめんなさい、橘くん。無力な私は力になれそうにないです……。
 そうこうしているうちに、貸し出し作業は終了。一応マニュアル通りに返却日を伝えるが、勉強熱心な世良くんとは良く図書室や図書館で出くわすので今更だろう。
 ありがとう、と爽やかに手を振って去っていく世良くんに手を振り返して、貸し出し作業に使ったハンコをしまいながら、考える。
 水泳部、ということは橘くんもいたのだろう。だとしたら世良くんには申し訳ないが、明日には陸上部員が半数ほどこちらに来てしまってもおかしくないな、なんて。
 まぁそれでも橘くんお手製の入部特典は残念ながら私の手にあるんですけどね! 羨ましかろう!
 未だ入ってもいない新入部員にマウントを取る私を友人が可哀想な生き物を見る目で見ていたのは、ごくいつも通りなので特筆する必要はないだろう。


素敵ちっくな毎日

 これがまさか、私が最後まで頑なに入部を断った際の最終手段として確保されていただなんて、浮かれきった私が知るはずもない。


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20190617


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