本命とはなんぞや
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「犬吾、お母さんの受け売りだがな本命とはとても大事な意味なんだ、覚えておくんだぞ?」
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昔っから‘普通’と言われて来た。顔も頭も運動神経も可も無く不可も無く平均的。
あえて言うならば、その平凡が俺の取り柄だった。
…そう、今は過去系。
俺は知らなかったのだ。
平凡はちょっとしたことで非凡に変化してしまう事があるという事を。
昼休みの人気の無い屋上。5月半ばの爽やかな風が俺の黒髪をさらりと撫でる。
ああ、なんて有意義な午後………………な訳無く、気分は最悪だったりする。
「けーんーごー……」
「…あー…何んだよ松川?」
「うわ、すっげぇ面倒そうな目で見られた。もういい俺は死ぬ、死んじゃうからな!?」
「だああああああっ!!いちいち気にすんな!そしてフェンス乗り越えようとすんなボケ!」
「犬吾にボケとか。やっぱ俺死「あーっ、わかったわかった、話聞くから戻んなさい松川広樹君」
「いえーいっ、やっぱり犬吾素敵ー!」
「…気持ち悪いっつたら泣くか?」
「うん、ついでに死んじゃうぞ」
「………」
……もう、やだコイツ。
染めるのがめんどくさくて黒いままの髪を軽くセットして、適当に制服を着崩してる俺の姿はどこにでもいる普通の男子高校生だ。そんな俺なんかかすむくらい煌びやかな男がこの松川広樹。
母親がフランス人だかで髪なんか金髪のサラッサラでワックスなんか付けなくても目立つくらい綺麗だ、目は黒、おまけに長身で美形。
一緒に歩いてこいつにスカウトがかからなかった試しが無い。
ただやっぱりこういうののお約束はあるもので、性格はかなりアレだ。
「で、また彼女に振られたのか…」
「だってさー…私意外の女の子とあんまり仲良くしないで!浮気しないで!って五月蠅いし。俺だって男だよ、やっぱり色々我慢出来ないじゃん」
「………お前は本命とかつくんなそーだな」
これは、無理だよな。
女の子も振っちまうよこれは。
思わずため息を吐く。
この二言目には死んじゃうからなとほざく馬鹿男に惚れていた女の子に酷く同情した。
俺の性別が女ならぜっっったいにこんな奴には引っかからない。
まあ…、友達な時点で引っかかってるんだけどさ!
「本命って、犬吾はいんの?」
「今はいねぇよ、昔はいたけどさ」
昔と言っても中学の時だけど。
そう言えば松川はぱっと顔を輝かせておかしそうに言った。ああ、こいつには前に話したっけ。
「お兄さんの彼女だっけ?ばっかだよねぇ犬吾は」
「…五月蠅いな」
平凡な俺とは対照的になんでも出来た兄貴がある日彼女を紹介すると連れて来たのは俺が昔から憧れてた先輩だった。
あの時は、流石に兄貴を恨んだけど今は普通に先輩とも仲良くやってるし、先輩も吹っ切れてる。…ただ、まだ兄貴への引け目は消えなくてまともに話してはいない。向こうも下宿から大学へ通っているから家に帰ってくることもめったに無いし。
「つまり、本命がいるとなんか違うんだよ。他に見向きもしなくなるし、むしろ俺は幸せになって欲しいって思ったね。
兄貴みたいな人に愛されて幸せだとは思うけどさ」
やっぱり大切に思ってくれる人がいると違うんだ。
そう言ったら、何故か松川は黙り込んでしまって、戸惑う。
なんでだろう、俺何かしたか?
「つまり、大事に想ってくれる人を本命にすれば面倒な男女のやりとりしなくてすむって事か!」
……この男は…!
「なんでそうなんだよ!おかしいだー…」
「じゃあ、俺の本命きーまり」
「は?」
「俺が死んじゃうぞっ言うたんびにいちいち止めてくれたり、愚痴聞いてくれたり、俺みたいな派手なのといるせいで非凡って言われてんのに構わず話してくれる」
…まさか、いや、そんなまさか………!
「犬吾は、俺を大事に想ってくれてるよね」
意味合いが違う。
そう叫びたいが声が出ず、冷や汗がたらりと落ちる感覚がする。
いつの間にか、松川の顔が目の前にあった。
その眼は何故か、前からこの状況を待っていたかのような錯覚を起こさせる程に嬉しそうで。
「犬吾を本命にしたら、誰も好きになったことない俺でも人を特別に好きになれるかもしれないよね」
すみません、神様。
本命とは好きになってる前提じゃないんですか…!?
そんな疑問を空に叫ぼうとした俺の口は、一瞬で得体の知れない柔らかい何かで塞がれていた。
01・end