チャイムが鳴る。5時間目の授業が始まる合図。生徒たちは次々と教室に戻って行くのに、僕は名前の手を引いて廊下を進んでいた。授業サボってしまった。そういえば名前とサボるなんて初めてだ。まあ授業をサボるってこと自体が初めてなのだけれど。なんて考えるほど僕は意外にも冷静だった。
「段差あるから、足元気をつけて」
「あ、うん…」
名前の手を引いてゆっくりと誘導すると名前は僕の顔をじっと見たあとにどこぞの王子様みたい、と言う。名前の王子様になれるなら光栄だな、なんて。錆び付いたドアを開けると一気に風が入ってきて髪が靡く。着いた先は旧校舎の屋上。こんなところあったんだ…、と関心してる名前は子供のようにかけて行った。
「前にテツヤが言っていたんだ。ここは人も来ないから静かでいい、と」
「ほんとに誰もいないね」
新校舎の屋上のほうは主に大輝や祥吾の巣と化しているし、そもそも使用禁止になっているから勇気のあるやつか余程のバカしか立ち寄らない。でも、ここは静かで落ち着く。僕は日陰に腰を下ろし、手摺りに寄り掛かって辺りを見渡している名前を呼んだ。
「名前、おいで」
自分の隣を手でトントン、と軽く叩くと名前は犬みたいにやって来て僕の隣に小さく膝を抱えて座った。その光栄が昔の記憶と重なって思わず笑いがこみ上げる。
「なに笑ってんの?」
「小学校のとき、ピアノの稽古をサボったこと思い出した。名前とふたりで僕の家のクローゼットに隠れてたんだ」
「あ!その後めちゃくちゃ赤司のお父さんに怒られたよね、懐かしい。なんかこうして赤司と一緒にいたら昔に戻ったみたい」
「でも、もう僕たちはただの幼馴染じゃないよ」
「あ、」
名前の手をぎゅっと握ると目を見開いて僕の顔を見つめ返してきた。僕は名前の顔を覗き込むようにして笑いかける。大きな瞳が瞬きを繰り返す。長い睫毛にガラス玉みたいな瞳。肌は白くて口は小さくて人形みたいな顔。昔と何も変わらない名前。優しいところも負けず嫌いなところも素直じゃないところもバカなところも泣き虫なところもムカつくところも全部ひっくるめて好きだと言える女の子。だから僕はもう名前と幼馴染という平行線を辿るのはもう嫌なんだ。
「で、さっきの話の続きだけど」
さっきの、というので名前も話の内容を察したのか、急に肩に力が入る。
「僕としてはもう名前と付き合ってたつもりだったんだけど」
「だって赤司あの時、付き合おうとか言ってくれなかったし!私一週間近く不安で死にそうだったんだよ?そのせいで勘違いして紺野さんにも迷惑かけちゃったし!どーしてくれんの!?」
「お前の鈍感さは僕の想像の斜め上を行くよね。まあちゃんと言わなかった僕も悪いけど鈍感すぎてたまに腹が立つよ」
「辛辣!!」
冗談だよ、と僕が言ってくれるのを期待していたらしいが本気で腹が立っていたのは事実。僕が口を閉じると「まじか」なんて苦笑いを浮かべる。
「だいたいさぁ!一緒にいてもその…チューとか、してくれなかったし、私の家に来たときも……と、とにかく!不安だったの!」
「へぇ…名前は僕にキスしてほしかったのか。あの時も襲ったほうがよかったかい?」
「ち、違っ!!そういうことじゃなくて…!」
真っ赤な顔で「ああああ、もう私なに言ってんだ!死ね私!!!」といきなりコンクリートに頭を打ち付けだした名前に落ち着け!と慌てて止めに入る。
「顔真っ赤だよ?」
「うるせー、近づいてくんな」
「でも僕なりに我慢してたつもりだったんだけど」
「え?」
「今まで傷つけた分、大事にしたいから。手を出すのはまだ早いと思って」
まあ祭りのときにキスしておいて今更な気もするけど、なんて小っ恥ずかしい話を掘り返したのはわざとです。ほら、あの時は勝手にキスして怒られたから。
「でも名前がいいって言うなら遠慮はしないけど」
「遠慮してよ」
「そういう照れ隠しはいらないな」
「や、照れ隠しじゃねーよ」
まじなトーンで返してきた。
「さて、それじゃあやり直そうか」
「何を?」
「告白」
「は?」
「どこかの鈍感女にはしっかり伝わってなかったみたしだし」
嫌味混じりにそう言って名前と向き合うように座り直す。前にも言ったっていうのに僕の心臓はバクバクと音を立て始めて、名前にまで聞こえてしまいそうだ。
「名前、」
「は、はい…」
「ずっと、好きだったよ」
ずっと昔からね、と笑えば「私も」と名前から返ってくる。覚えてないくらい昔から名前が好きだった。気づいたら僕の世界は名前でいっぱいだった。
「だから、これからも名前と一緒に居たい。僕と付き合ってくれますか?」
「…はいっ」
どうしよう嬉しすぎて泣きそう、なんて震えた声で言う名前。僕はそれを聞けただけで満足だ。ここまで来るのに僕たちはすごく遠回りしたよね。たくさん喧嘩して、たくさん傷つけ合って、たくさん突き離した。だけどやっぱり僕の隣にはいつも名前がいて、それが一番落ち着くんだ。だから僕には名前以外なんて選択肢は存在しないんだよ。
「名前?」
「な、なに…」
「キス、していい?」
「そ、そんなこと聞くな!」
「そう。じゃ、遠慮なく」
真っ赤な顔の名前に意地悪く笑ってから近づく。ゆっくりと縮まる距離にドキドキした。前にしたときはこんなに心臓が爆発するほどドキドキしなかったかもしれない。たまらなく苦しくて、でも嫌じゃない。むしろ苦しいほど僕は名前が好きなんだと思い知らされる。この僕の気持ちが名前に伝わればいいのに、なんてそんなことを思いながら名前の唇に触れた。
「ねえ、もう離さないでね」
「名前はもう僕のものだから」
嫌だと言われても離せる気がしないな、なんて自嘲するように笑った。
SHE IS MINE.
end