「どうして私がこんなことをさせられてるの」
「マネージャーだからだろ」
「マネージャーは部員の勉強も見なきゃいけないのか小僧」
「誰が小僧だ」
目の前のガングロ男に睨まれるもそれに構うことなく「さっさと進めなよ」と開いてある教科書を指で叩いた。今、私は青峰大輝という目つきの悪いガングロ男と机を向かい合わせに並べ英語の勉強をしていた。正確には勉強しているのは青峰だけであって私は教科書とにらめっこしている青峰を見ているだけだ。なぜこんなことをしているのか。遡れば今日の昼休みになる。
「苗字、ちょっといいかい」
昼休み、ぼっち飯なうだった私のもとにやってきたのは赤司と青峰というなかなか意外な組み合わせだった。赤司の隣にいた青峰がご飯を食べていた私に「お前友達いねぇの?」と無神経な質問をしてきたので黙って足を蹴ってやった。
「で?なに?」
「苗字、お前に頼みがあるんだ」
「ヤダよ」
「俺はまだ何も言ってないよ」
「言わなくても面倒だってのは伝わってくるよ」
赤司がわざわざ直接私に頼み事なんて絶対めんどくさいことに違いない。ただでさえ面倒なマネージャーをやってしまったんだからこれ以上面倒なことはしたくない、という私の言い分を完全にスルーして「本題に入るよ」と赤司は言った。おい私の話聞けよ。
「今日の放課後、青峰に英語を教えてほしい」
「は?」
「だから英語教えろって言ってんだよ」
「お前それが人にものを頼む態度かバカ峰」
なんで私がそんなことをしなきゃいけないの。そもそもなんでそんなクソ面倒な状況になってしまったの青峰クン。
「授業中、寝てたらせんせーに怒られて大量に課題出されたんだよ」
「それは青峰が悪いじゃん」
「その通りだな。だが週末は試合がある。試合前に課題のせいで部活を休まれては困るんだ。だからお前に青峰の課題を見てやってほしい」
「何で私?赤司頭いいんでしょ?赤司が教えてやりゃいいじゃん」
「数年前までアメリカにいた苗字のほうが適役だと思うけどね」
「……」
そりゃあ英語なんて勉強しなくたって話せるけど。人に教えるとか無理だし。
「学食の1日5食限定定食を奢ると約束するよ」
「一生懸命やらせていただきますッ!!!」
「お前…」
1日5食限定定食と聞いてすぐに手のひらを返した私を青峰は呆れたように見ていた。だって1日5食限定定食と言えば、ありとあらゆる高級食材がふんだんに使われた定食なのだ。競争率が高くて未だに手が出せないんだけど赤司によると確実に手に入れられるらしい。和食大好きな私としてはそれを逃したくはない。
「なら交渉成立だね。よろしく頼むよ」
「頼むわー」
ということがあり、定食に釣られて私は青峰のしょうもないお勉強に付き合わされてるんだけど、この男どうにもこうにも集中力がないわ理解しないわで私はすでに疲れている。
「なんで、isになるんだよ。amじゃダメなのかよ」
「だから主語でbe動詞って変わってくんの。Iだとam、Heとかthisのときはis。もう説明面倒だから覚えてよ」
「お前教える気あんのかよ」
「ねーよ!!!教えたところでお前は覚える気あんのか!!」
何回言ってもわかんないからもう理解させるつもりなんて更々ない。とりあえず覚えろこの馬鹿ちんがぁ!
「あーもうダメだわ。オレこういう頭使うのムリ」
「まだ使ってもないだろーが」
「使ってんだよ、これでもフルで」
「あー!もう!遅くなると私が赤司に怒られるんだけど!」
「だったらお前がやれよ」
「…そうだ、それが一番手っ取り早いわ」
「え、まじ?」
「不本意ながらね。アンタのためにはならないけど」
私は青峰から大量のプリントと片手に持たれたシャープペンを奪った。心底不思議そうに私を見てる青峰は相当間抜けな顔をしていた。
「私がさっさと終わらせてあげるから今度なんか奢りなさいよ」
「まじ?まじでやってくれんの?」
「ここでじっと座らされる私の身にもなってよ。貧乏揺すり止まらなくなるわ」
「お前超いい奴。大好き名前チャン」
「調子良すぎ」
そう言って日常会話とも言える簡単すぎる問題を進めている私の前で青峰は肩の荷が下りたというような表情でくつろいでいた。人がやってやってるというのに呑気にスマホアプリやってんじゃねーよ。
「てか、お前さ…」
「んー?」
課題もそろそろ終わりそうになってきた頃、青峰はふいに私に尋ねてきた。
「さつきのこと嫌いなの?」
「さつき?」
「桃井さつき」
「あぁ、桃井サンね。アンタのガールフレンド」
「ただの幼馴染だっつーの」
「あ、そうそう。幼馴染」
思わず顔をあげると青い切れ長の瞳と目が合う。「なんで?」と尋ね返した私に青峰は頬杖をつきながら「なんかよくわかんねーけど」と話し始める。
「さつきが気にしてた。お前のこと怒らせたって。部活でもあんま話さねーじゃんお前ら。さつきも挙動不審だし」
「あぁ、もしかしてこの前の帰りのこと?別に怒ったっていうか、ムカついただけ」
「あいつお前になんかしたの?」
「別に。意見の不一致だよ」
「は…?」
青峰はポカンとして私を見る。
「私が女子からどういう目で見られてるか知ってるでしょ。でももう慣れたし、今更どうこうしようとか思わないよ。それなのに桃井サンは慣れちゃダメだって、可哀想って言った。同情されたと思ったの。私のことなんて何も知らないのに、私の痛いところを理解したような言い方でちょっとムカついた。それだけ」
そんな私の話に青峰は「ふーん」と頬杖をつきながら答えた。呑気に小指を鼻につっこみながら私を見る。それはいいとして、その鼻をほじった手で絶対に私に触るなよ。
「さつきがそう言うのも仕方ねーじゃん。だってお前のこと何も知らないんだし」
「は?」
「マネージャーになってたった数日でお前のこと理解しろってほうが無理あんだろ。そもそもお前だってさつきのこと知らねーじゃん」
青峰に言われてようやく気付いた。そうだ。私、桃井サンのこと何も知らない。
「お前が知ろうとしない限り、さつきだってお前のこと理解なんてできねーよ。さつきだけじゃなくて、浅井とか棗だってお前が知ろうとしてねーだけだろ。だから向こうも勝手にお前への印象を植え付けるんだろ」
「青峰のくせに難しいこと言わないでよ」
「ま、お前が何思おうがいいけど。あいつ、お前に嫌われてると思ってるぞ。話しかけても素っ気なく返されるし距離置かれてるって」
「……」
あれから数日、確かに距離は置いてたけど。だって浅井さんと棗さんの件もあったし桃井サンとも何だか気まずかった。だからって桃井サンのことが嫌いだとは一言も言ってないけど。むしろ可愛いから毎日拝みたいくらいだけど。てか、さりげなく遠くからガン見してたけど。
「お前と仲良くなりてーけどどうやったら仲良くできるかとかなんて話かけたらいいのかとか毎日相談される俺の身にもなれよ」
「!」
めんどくせーからさっさと仲良くしてやれよ、という青峰は言葉ではめんどくさがっていても、その裏にどこか幼馴染を気にかける優しさがあった。
「…知らないよ、そんなの」
「…あ、おい!」
「プリント、終わったから。あとは職員室出してきなよ。先に体育館行ってるから。あ、担任と赤司には自分でやったって言ってね」
私が代わりに終わらせてやったプリントを青峰の前に叩きつけて、私はさっさと教室を出た。
「慣れてるって…そんなことに慣れちゃダメだよ!そんなの…可哀想だよ…」
「同情のつもりだか知らないけど、平和でのほほんと生きてた桃井サンに私の何がわかんの?何も知らないくせに」
「でも、さっちんはアンタに同情したんじゃなくて、ただ純粋に心配したんじゃねぇのー?」
「お前と仲良くなりてーけどどうやったら仲良くできるかとかなんて話かけたらいいのかとか相談される俺の身にもなれよ」
なんだこれ。胸が締め付けられるように痛かった。桃井サンの言葉はまっすぐで嘘なんてひとつもなかった。それに耳を傾けようとしなかったのは、私だ。彼女のことを何も知らなかったのは私だ。知ろうとしなかった。でも、彼女は、桃井サンは私を知ろうとしてくれていて、私を救おうとしてくれた。
「どんだけ、お人好しなの。桃井サン」
この場にいない彼女に、バカだね、と心の中で呟いた。それと同時にごめんねと、ありがとうを言わなくちゃいけないな、なんて。柄にもなく思ったりしたのだ。
「あ、ここだ!桃井さつきって書いてある」
「上靴捨ててやろう」
「ははっ、ウケるわそれー!」
もうほとんどの生徒が帰宅したり、それぞれ部活に行ったりで、人気がない玄関。そこに差し掛かるとなぜか一年の下駄箱の前に上級生がいた。学年ごとに色分けされた上靴を見るとおそらく二年生だろう。ひとつの下駄箱に群がってなにやらワイワイやっている。気になって聞き耳を立てていると、知った名前が出てきて思わず歩いていた足を止めた。
「まじこいつ調子に乗りすぎ。マネージャーだからって虹村くんと一緒にいすぎなんだって。つか、この前の呼び出しで懲りないとかバカじゃねー?」
「マキと虹村くんのほうがお似合いだって絶対!」
「当たり前じゃん!あんなやつと比べないでよ」
キャハハハッ!と耳が痛くなるような笑い声が誰もいない玄関に響いた。"桃井"と書かれた下駄箱はどんどん汚されていく。「マネージャーやめろ」「クソビッチ」「男好き」そんな風に好き勝手書かれた小さな紙クズが無造作に投げ込まれていた。
あ、本当に私は桃井サンのこと何も知らなかったんだ。青峰の言った通りだ。
「同情のつもりだか知らないけど、平和でのほほんと生きてた桃井サンに私の何がわかんの?何も知らないくせに」
自分の言った言葉に後悔した。知ってたんだ、桃井サンは。私の気持ちも痛みも。何も知らなかったくせに、知ろうとしなかったくせに、平和ボケしてたのは、私のほうだ。
「バカじゃないの」
そうハッキリと聞こえた声は確かに私から出た声だった。体育館に向かおうとしたはずの足はしっかり引き返してくれちゃって、上級生の前で止まっていた。私の言葉はここにいない桃井サンに向けたものではなく、目の前にいる上級生たちと私自身に向けた言葉だった。
「はぁ?なにアンタ?」
「あ、やべ。声に出てた」
「ふざけてんのお前。1年?あたしら先輩なんだけど」
3対1。相手は全員上級生。こんなフリな状況に自ら突っ込んでいった自分を呪いたい。こんなはずじゃなかったんだけどな、とどこか他人事のように思えた。
「お前と仲良くなりてーけど、どうやったら仲良くできるかとかなんて話かけたらいいのかとか相談される俺の身にもなれよ」
さっきの青峰の言葉がどうしても頭から離れてくれない。あの苦しくて焦りにも似た感覚が今になってわかった気がした。あぁ、そっか。私、嬉しかったんだ。
「てか、こいつ一年の苗字じゃない?ほら新しくマネージャー増えたって言ってたじゃん」
「苗字?一年の女子に嫌われてるってやつ?」
「わー、大正解!知っててもらえて嬉しいいです!」
「ハッピー野郎かよ」
「ま、冗談はそこくらいにしといて。とりあえずその上靴返してくれませんか?あと下駄箱のゴミも片付けてください」
そう言って上級生の手にある桃井サンの上靴に目を向ける。すると明らさまに顔を歪めた上級生たちは私を睨む。
「なんで、アンタにいちいちそんなこと言われなきゃいけないの?」
「私も、わかるから」
「は?」
「こんな低脳なことされて、イライラして悔しい気持ちなら、私もわかるから。だから私にだって庇う権利くらいあるでしょ」
「なに?マネージャー同士で助け合い?ウケるわ〜」
「私がアンタたちみたいなモブキャラ相手にここまでするとか、正直自分でも引いてるっつーの。私こんな親切キャラじゃないんだけどなァー」
「だったらほっとけばいいじゃん。アンタには関係ないんだし」
「できることならそうしたいけど、私と仲良くしたいって言ってくれてる変わり者のこと見捨てるわけにはいかないでしょ。私の記念すべき最初のオトモダチになる子なんだから」
「じゃあオトモダチならてめーが桃井の代わりになれよ」
そう言って上級生の一人が私の制服の胸ぐらを掴む。うっわ、こいつ後輩相手に超必死じゃん。
「殴れるもんならどうぞ?」
「このっ!!」
「ちょ、いたッ!?痛い痛い痛い」
えええ、まじで殴ったよ。まさか本気で殴られるとは思っていなかったのでびっくり。想像以上に痛いパンチが一発飛んできた。すごい痛いんだよ。まじで口の中切れたよ。めっちゃ痛いし、血の味する。何この怪力女。プロレスラーか何か?ワンパンだよ?え、痛いってば。正直泣きそうなくらい痛いけどめっちゃ強がって平然を装う。
「もう殴ったし気が済んだでしょ。早く桃井サンの上靴返して(※痛いので早くしてください)」
「は?」
「は?ってなに。早くしてよ(※痛いんだってば)」
「やり返されると思った、拍子抜けなんだけど」
「これは桃井サンの問題だから私が手ェ出すわけにいかないじゃん(※痛くてそれどころではない)」
それに実は私ケンカ弱いんだから、なんて言えるかバカ。1話でボコボコにされた時点で思い知ったでしょ、私のヘボさ。
「チッ…しつこいなぁ、なんか萎えたわ」
帰ろ、そう言って私に桃井サンの上靴を押し付けて彼女たちは足早にその場を去った。「怪力ババア」とその背中に向かって言えば聞こえたのか「黙れクソガキ!」と返ってきたがもう逃げ台詞にしか聞こえなかったから鼻で笑ってやった。勝ったわけではないが、むしろ殴られて負けてる身だがなぜか優越感を感じた。だけどやっぱり殴られた頬は痛くて、その場に座り込んで「いって〜〜っ!」とか言ってみる。
「苗字さんっ…!」
「ん?…げっ」
ふいに聞き覚えのある声がして顔を上げると涙目の桃井サンが飛んで来た。その後ろから青峰が相変わらずふざけた面で歩いてくる。ニヤニヤしてんなよガングロ。
「口から血出てる…っ!」
「ちょっと何で居るの?」
「監督に用があったから職員室に…大ちゃ、青峰君も丁度職員室で一緒になったから戻ろうとしたんだけど…そしたら苗字さんがここに、」
「ってことは聞いてたの?」
「面白そうだから隠れてた」
「ガングロてめぇ」
「わ、私は止めたほうがいいって言ったんだよ!」
「ヤバイと思ったら出て行こうとしたんだけど、ヤバイと思ったときにはお前すでに殴られてたわ」
という青峰に舌打ちをする。お前がさっさと止めてくれれば私は殴られずに済んだのに。そして、その隣で必死に弁解する桃井サンに私はさっき上級生から返してもらった上靴を差し出した。
「とりあえず、はいこれ」
「あ、ありがとう…ごめんね、苗字サンに怪我させちゃって…」
「ほんとだよ。どう落とし前つけてくれんの?」
「…ごめんなさい」
「なんてね。嘘だよ。桃井サンが謝ることじゃない。私が自分で考えてとった行動だから、桃井サンのせいじゃないよ」
「え、」
「私が嫌だったから。桃井サンが、好き勝手に悪く言われるのが嫌だったから言い返した。それだけのこと」
「苗字さん…、」
「あのさ、私嬉しかったよ。桃井サンが私の心配してくれたことも、仲良くなろうとしてくれてたことも。あとから知って謝らなきゃって思ったの。あと何も知らないで平和ボケしたのは私のほうだったね。だから、ごめん。冷たく突き放したりして…んぐぇ!?」
そう言ったら突然桃井サンに抱きつかれて圧迫される。主におっぱいによって。ちょっと苦しいけど桃井サンが泣きながら「ありがとう」と何度も言うものだから私は宥めるように彼女の背中を撫でた。気がつくと一緒にいたはずの青峰はもう遠いところまで歩いてしまっていた。空気を読んで私たちを二人にしてくれたんだろう。意外に気がきくらしい。
「桃井サン、」
「ん?」
「私、桃井サンと友達になってもいいよ」
「あははっ、すごい上から!でも嬉しい!私嫌われてたと思ってたから」
「桃井サンのこと嫌いだなんて思ったことないよ。まぁ、ちょっとイラッとしたときとかあったけど。でもどんなに仲良くてもイラッとすることなんてよくあるでしょ」
「ふふ、なんか名前の性格ちょっとだけわかったかも」
「!あ、え…名前」
「友達なんだから名前で呼んでもいいでしょ?」
クッソ、どうしようめっちゃ嬉しい。嬉しすぎてどうしていいかわからずとりあえず手で顔を覆いながら悶えていたら桃井サンがそんな私を見て爆笑していた。
「…じゃあ、さつき」
「!」
「部活いこ、置いてくよ」
「あ、待って名前!」
私の記念すべき友達第1号は桃井さつきというスーパー美少女でした。
(ねえ、その口の横の傷どうしたの〜?)
(女の友情の証)
(はあ〜?何で嬉しそうなのキモ)
(紫原はまだおこちゃまだからわからないのね、よちよち)
(ねえ誰かこの人キモいんだけど助けて)