四月も下旬に差し掛かり、つい先日まで新しい環境での学校生活に期待していたというのに、今となっては早く家に帰りたいとすら思っていた。真新しかったはずの白いブレザーの制服は砂埃で汚れてしまってまたクリーニング代がかかるなぁ、と頭を抱える。
どこからともなく聞こえてくる部活の掛け声、ボールが跳ねる音、シューズが床に擦れる音は私の嫌いな音で、それは横にある体育館からリズムよく聞こえてきた。青春だねえ、なんて他人事のように思ってみたり。


「ちょっと苗字聞いてんの!?」


そして唐突に胸倉を掴まれて我に返る。苦しいんですけど。目の前にいるゴリラみたいな女を見つめてただただそう思った。放課後の青春タイムを現在進行形で邪魔されている私はなぜか体育館裏に呼び出され数人の女子たちに睨まれていた。確か同じクラスの女だった気がする。


「え、ごめんなんて言ったの?」

「だから!アンタのせいで彼氏に振られたんだけど」

「は…?」


はあ?知らねーよ。なに言ってんだこのゴリラ。動物園の檻にぶち込むぞ。


「ごめん人間の言葉で話してくれない?私ゴリラの言葉わかんないから」

「はあ!?誰がゴリラよ?!ぶっ飛ばすよマジで!」

「だって意味わかんないし。私のせいにされるのも謎だけど、そもそもアンタの彼氏とか知らん」

「いるでしょ!うちのクラスに加藤って!」

「あー。加藤クンか(全然知らんけど)」

「苗字が好きだから別れようって言われたの!アンタが私の彼氏に色目使ってるの知ってるんだから!」


最近の学校生活はこんな感じである。なんだ、彼氏を奪っただのぶりっ子だのなんだのと言い掛かりをつけてくる輩がちらほら。今わたしの目の前にいるゴリラはどうやら小6からその加藤クンとやらと付き合っていたみたいだけど、私には物凄くどうでもいいことである。てか小6って。今の小学生って付き合うとかそうゆう概念あんの?去年の私はもっぱらポ◯モンやってたけど。今から付き合うとか小生意気なガキだな(←同い年)


「私関係ないから巻き込むのやめてくんない?迷惑」

「はぁ?アンタが事の原因でしょ?迷惑してんのこっちなんだけど」

「知らないよ。お宅の彼氏様が私のこと好きになっただけでしょ。確かに私のほうが全然可愛いし乗り換えたくなる気持ちはわかるけどね」

「マジでお前ぶっ飛ばしていい?」

「やめてけろ」

「ふざけてんの?つーか、まじでいい加減にしてよね。人の男奪って楽しい?」

「奪ったつもりなんてないけど、私が可愛いが故にこんなことになっちゃったのは謝るよ、ごめんね」

「ほんとウザい。なんで私よりこんな女がよかったの加藤のやつ!」

「そりゃあアンタと私で天秤にかけたら私のほうが勝つに決まってんじゃん。アンタの良いところなんて歯並びが綺麗なことくらいだ、よっ」


そこまで言い終えたところでパァン、と乾いた音が響いた。痛い。ほっぺがジンジンとする。叩かれた。私これでもヒロインね。一応これ記念すべき1話だから。やめてよ始まって早々殴られるヒロインとか!


「いったー…何すんだよこのゴリラ女!」



そう言って私の平手打ちがゴリラ女の頬に当たった。あれれー、まるで効いてない。あ、私喧嘩とか弱いんだった。それからは悲惨だった。女子数人に囲まれて散々ボコボコにされた。一人に対して大人数ってズルくない?乱暴に掴まれたブラウスは破けて、蹴飛ばされた体は地面に叩きつけられる。うわー、口の中切れた。血の味が広がって気持ち悪い。


「死ね、苗字!」


ドカッと最後に背中を蹴飛ばされ私はそのまま地面にべちゃり、と倒れた。痛いなあ。一話でボコられるヒロインってどうなの?「みんな行こう」そう言って鼻で笑うゴリラ女の後に続いてその場から走り去って行く彼女たちの後ろ姿に中指を立ててやった。まじファック。てか体痛くて動けないんだけど。とりあえず携帯使って誰か呼ぼうと、近くに転がった鞄に手を伸ばしてふと気がつく。あれ、私友達いねぇじゃん。ふざけんな。脱力して伸ばした手を地面に落とした。友達募集中です…。


「おい、こんなところで昼寝か」


動けずしばらくじっとしていたら上から聞き覚えのある声が降ってきた。


「…ショーゴ」


声の主は灰崎祥吾という男だった。奴は私のそばまでくるとしゃがみ込んでぶっ倒れてる私の頭をツンツンと突きながら「昼寝ならもっとマシな場所選べよ」と言った。


「これが昼寝してるように見える?」

「冗談だろ?」

「てか何で居るの?」


横目でショーゴを見るとハーフパンツにTシャツ姿。首からタオルをぶら下げて額には汗が滲んでる。あぁ、部活中だったのか。そういえばすぐ横にある体育館でバスケ部が練習してたのか…なんて考えている私にショーゴは「今、休憩中」と言った。


「あちぃから外出たらお前が女子にボコられてんの見かけて助けに来てやったんだよ感謝しろよ?」

「は?アンタ助けに来るタイミング完全に間違ってるから。すでに私ボコボコにされてるから。もう少し早く助けろよ」

「ヤバイと思ったら助けてやろうと思ったんだよ」

「すでに私ヤバかったんだよ何見てたんだお前は眼科いけ」


灰崎祥吾は薄情な男だった。
ショーゴとは小学校6年生からの付き合いで、たった数ヶ月だけど同じバスケットクラブにも入ってた。私は元々アメリカ暮らしで、転校した学校にショーゴがいた。転校初日に私のスカートをめくってくるという最低なやつだったのは今でも鮮明に覚える。今も最低だが。別に仲がいいというわけではないけど、校内で会えばたまに「あ、ブスじゃんおはよー」「うるせー話しかけんなヤリチン野郎」くらいの会話はする。つまり仲良くない。


「鼻血でてんぞ」

「女のくせにグーパンはないよね」

「また余計なこと言ったんじゃねーの?」

「別に。私が可愛いからって八つ当たりしないでって言っただけ」

「俺が女でもお前のこと殴ってるわ」

「酷いよ冗談なのに…ま、半分は本音だったけど…あいつより私のほうがまだ可愛いよ…ううっ」


泣き真似をする私にショーゴはため息をついた。するとショーゴの後ろから「おい、灰崎」と彼を呼ぶ声がした。


「休憩終わるぞ…って、そこにいるの苗字か?」


その声は虹村修造という男のものだった。ショーゴの先輩で、ショーゴを通して何度か話したことはある。主に「灰崎どこでサボってるかわかる?」か「灰崎と連絡つかねーんだけど連絡できる?」の2パターンだけど。虹村サンは私の顔を認識すると「何してんだ、昼寝か?」と尋ねてくるので思わず舌打ちが出た。どいつもこいつも、どうしたら私が昼寝してるように見えんだよ。虹村サンは怪我してる私を見ると「どーしたそれ」と尋ねてきたが説明するのも面倒だったのでテキトーに「まあ、ちょっと…」と濁しておいた。


「なんかよくわかんねーけど、そんなところで寝ててもどうしようもねぇから灰崎、そいつこっちまで運んでやれ」

「えー」


嫌そうに顔を歪めたショーゴは仕方なくという感じで私を担いだ。え、そこはお姫様抱っことかじゃないんだ。めっちゃ雑に担がれたんだけど。てかゴリラに蹴られた背中痛いからもう少し優しく運んでよ。


「虹村サン、こいつどーしますかー?」

「あぁ、その辺に置いといて」

「荷物みたいに言わないでください」


ショーゴは体育館の奥へ進むとステージの上に私を座らせるとそのままじーっと私を見ている。


「つーか、お前まだスポブラとかしてんのかよダッセェ!」


ショーゴの視線の先は私ではなく私の胸元。さっきゴリラ共に掴まれたせいで破れてしまったブラウスから見えてるスポーツブラ。見んなボケ!そう言って咄嗟に隠したけどショーゴに「そんなまな板見ても欲情しねーよ」と言われたので本格的にこいつのことが嫌いになりそうだ。まあ本当に欲情されても困るけど。すると虹村サンがジャージを持ってきてくれて私に貸してくれた。ありがたく借りて着てみると少しでかいけどブカブカってわけではなかった。虹村サンのならもう少しでかい気がする。


「これ虹村サンのじゃないんですか?」

「あぁ、うちの部員でかいやつばっかでお前が着れそうなのなんてあいつのくらいだろ」

「あいつ?」


虹村サンの指差すほうを見るとそこには小さいくせに態度がでかい赤髪の少年。名家のお坊ちゃんだ。確か名前は赤司征十郎。入学早々赤司様とか言われて女子たちが崇拝してたっけ。私に貸してくれた帝光と背中に書かれたジャージの胸元には小さく「赤司」と書かれていた。着ていいの?あの赤司様のジャージでしょ?あとから多額のお金請求されなきゃいいけど。


「誰か救急箱持ってきてー」


どうやら怪我の手当てをしてくれるらしく、虹村サンは手の空いてる部員から救急箱を受け取り私の前に立つ。


「虹村サンがやってくれるんですか?」

「マネージャーみんな手ェ空いてねえしな。俺の出番まだだし」

「ワァー!光栄デス」

「思ってねえだろ。つーか灰崎お前はゲーム練習戻れ」

「俺も名前チャンのこと心配なんでここにいまーす」

「お前サボりたいだけだろ」


虹村サンに早々と焼きを入れられたショーゴは頭にたんこぶを作って練習に戻って行った。


「それにしてもあんなところでぶっ倒れて何してたんだよ」

「んー、ちょっとした小競り合い?」

「…お前が言いたくないなら別に話さなくていいけど、女子なんだからあんま顔に傷つくんなよ」


そう言って虹村サンは最後に鼻血を出した私の鼻にティッシュを丸めて詰めると私の顔を見て爆笑していた。女の子の鼻にティッシュ詰めるアンタもどうなの?


「苗字さん、」


するとそこに私を呼ぶ声がして、目を向けると真っ赤な瞳と視線がぶつかる。


「あ、赤司君」

「怪我の具合はどうだい?」

「虹村サンに手当てしてもらったしもう何ともないよ。それよりジャージありがとう」


明日洗って返すね、といえば声の主である赤司君は構わないよ、と微笑んだ。


「灰崎と仲が良いようだね」

「え?仲良くないよ。小学校が同じだったってだけ…って言っても1年間だけね」

「転校してきたってことかな?」

「そーそー。それまでアメリカにいたから」


すると赤司君は私の顔をじっと見て合点がいったように「へえ、」頷いた。日本人の父とアメリカ人の母との間に生まれた私はどちらかと言えばお母さん似だった。それで彼は私の顔立ちを見てミックスだと判断したのだろう。初めて虹村サンに会ったときは「日本語話せる?」と聞かれたし。髪の色も生まれつき明るかったから日本に来た時は小学校で目立ってしまって少しだけコンプレックスだったけど、目の前にいる赤い髪やその辺にいる紫や青や緑の頭を見てると昔の自分の悩みがバカみたいに思えた。つーか、それ地毛?そんなことを考えているとその中にいた青いのが物凄い勢いでこっちに向かってきた。


「お前アメリカにいたの!?やっぱアメリカってストバスとか強い?お前もやってた?」

「なにこのバスケ大好きだぜ!みたいな奴」


目をキラッキラさせて私に詰め寄ってきたガングロ男、青峰大輝というやつの勢いに思わず後ずさってしまう。近いよ。近い。


「なぁ強いやつとかいっぱいいる?日本よりレベル高ぇ?」

「え、まあ…強いやつならいっぱいいると思うけど…」


なんてテキトーに言ってみる。実際強い人は知ってるけどそこら辺にホイホイいるわけじゃない。


「つーか強い奴なら目の前にいるぜ、ダイキ」

「は?」

「そいつ、ジュニア選抜メンバーだった」


その声は青峰の後ろから聞こえた。体をずらし見てみれば私を指差すショーゴがいる。コイツ…余計なことを、とショーゴを睨むと「え、言わないほうがよかった?」とすっとぼけた顔をしていた。殴りたい。ショーゴの一言で私の周りにいた人間がとんでもない顔で驚いているんだけど…。あの赤司様だって目がまん丸だよ。


「お前ジュニア選抜!?まじ?見えなっ!弱そう!ペチャパイだし」

「え、ペチャパイ関係ある?ねえ?え?」

「なぁ、勝負しようぜ!」

「は?ヤダよ。私バスケ辞めたし」

「辞めた?なんで?」

「なんでって…面倒くさいから?それにジュニア選抜って言っても私途中で外されたし、試合も出てない」


ショーゴの言う通り、私はバスケ経験者だ。アメリカにいた頃、WNBAで活躍していた母の妹、つまり私にとっては叔母にあたるアレックスにバスケを教えてもらっていた。そんな彼女のおかげでバスケはどんどんうまくなったし、やればやるほど夢中になった。パパの仕事の関係で日本に来たのは私が小学6年生の春。本場アメリカのバスケをしてきた私と周りの差は歴然だった。そんなわけで運良くジュニア選抜の声がかかったわけだけど、とあることがきっかけで選抜メンバーから外された。ま、その話は長くなりそうだからまた今度ね。


「辞めたって…お前にとってバスケってそんな簡単に辞められるものなのかよ」

「そうだよ。誰もがアンタみたいにバスケ大好き!楽しいな!って出来るわけじゃないの。私はバスケが嫌い。だから辞めた」

「なんだよ、それ…」

「才能があるってことが良い事とは限らないよ」


それはアンタにだって言えることなんだよ、青峰。そう言おうとしてやめた。さっきからこいつらのバスケを見ていて思った。個性はバラバラで今はまとまりなんてないけど、才能はある。それがひとつになればこのチームは負けなしなんじゃないか、と。だけど才能があるということは時に自分の首を絞めることを私はよく知っている。でもそれは目の前で悔しそうな顔をする青峰に向かって言うことができなかった。ただ言ったところでこの空気の悪さは変わらないだろう。


「…俺、お前のこと嫌いだわ」

「…そう。じゃあ邪魔者はさっさと帰ります」


そう言って自分の鞄を持って虹村サンにもう一度怪我の手当てのお礼をして体育館から立ち去ろうとした。すると「待て待て、」と虹村サンが私を引き止める。


「なんですか?」

「バスケやってねえってことはお前いま部活入ってないの?」

「いや、帰宅部に入ってます」

「それ部活じゃねーし」

「え!?」

「驚くところじゃねーよ!?」


キレのいいツッコミに圧倒されていると「本題に入らせろよ!」となぜかキレられた。


「お前暇ならバスケ部のマネージャーやれ」

「………え?」


え!?ちょっと言葉の理解に苦しんだけど意味を理解して思わず顔が引きつる。なんで?虹村サン今の話聞いてた?私バスケ嫌い言うてるやん。マネージャーとか論外。その場にいた青峰も「はあ!?」と声をあげる。


「何でこいつ!?」

「だってマネージャー足りてねえし。考えてみろ。元ジュニア選抜だぞ?使わない手はないだろ?」

「やだ!俺まじでこいつ嫌だ!無理!」


抗議の仕方ガキかよ…。まあ私もマネージャーやるつもりないし青峰が反対してくれるのはありがたい。


「青峰もこう言ってるし…それに私なんの役にも立ちませんよ。だからやめといたほうがいいですよ。あと面倒くさいから嫌です」

「お前の意見は聞いてねーよ」

「何この横暴な人。君たちよくこんな理不尽な先輩のもとで部活やっていけるね、」


ボソっと赤司君に言うと虹村サンが「聞こえてるぞ苗字」と鬼のような顔で言ってきたので赤司君の後ろに隠れた。すると今度は赤司君が私を振り返って口を開く。


「君はバスケの才能もあるし知識もある。それをバスケで生かすつもりがないならマネージャーで生かすのはどうかな?苗字さんさえ良ければ俺からも頼むよ」

「赤司君の裏切り者!」


虹村サンと赤司君の気持ちもわかる。確かに私はバスケの知識もあるし、今までの経験上、些細なことなら部員たちの指導だってできるくらい私はバスケに自信があった。となれば、赤司君にしたって虹村サンにしたってマネージャーが足りてない今私がマネージャーになればこれ以上の部のメリットはないだろう。だが良く考えてほしい。私にはメリットがない!


「「マネージャーとか絶対ムリ!」」


なぜか青峰と言葉が重なる。


「お前ら実は仲良いの?」

「「仲良くないデス!!!」」

「完璧じゃねーか」

「真似すんなよ、ブス!」

「はぁ?真似してんのそっちでしょガングロ!」

「うっせーよペチャパイ!」

「ガングロ!」

「チビ!」

「ガングロ!」

「ガングロの他にねぇのかよ!!」

「思いつかないのよ!」


私と青峰のやり取りを見ながら虹村サンが「おもろいわー」と他人事のように呟いた。


「ま、2人とも落ち着け。とりあえず苗字には入部届け渡しとくから考えとけよ」

「いらないです」


そう言って渡された入部届けをくしゃくしゃにして放り投げたら紙の無駄使いをするなと虹村サンのゲンコツが降ってきた。


「いったーい!暴力反対!」

「ハハハッ!ざまぁ!」

「黙れガングロ殺すぞ」


再び青峰と口論な始まりそうになったとき、虹村サンが私の頭を鷲掴みにして自分のほうを振り向かせる。痛い!なんかギリギリ言ってる!頭潰れる!


「いいか、明日入部届けに名前書いて持ってこいよ?名前ちゃーん?」


ゴゴゴゴゴォ…虹村サンから禍々しいオーラが放たれていた。


「だ、だが断る…」



怖いよママーーーー!

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