「名前っち〜、ねぇ眼鏡取ってみてよ〜」

「な、なんで…?」

「だってオレ名前っちの眼鏡外したところみたことないんスもん!田中くんは見たことあって、オレがないのは嫌だ!取って取って取って!」


田中くんとの一件もひと段落ついたところで、ここ最近の黄瀬くんはずっとこの調子だ。隙あらばわたしの素顔を見ようとする。断ればむすーっと不貞腐れた顔をしてわたしをじっと見るのだ。


「それより、黄瀬くん!」

「ん?」

「どうしてわたしの家にいるの!?」


切実な疑問だ。帰ってきてしばらく経つが「名前っちおかえり!今日の晩ご飯ハンバーグだって!オレもちょっとお手伝いしたんスよ!こう見えてオレ料理できるんスよ〜。あ、そういえば今日寄るところあるって言ってたけどどこに行ってたの?」と黄瀬くんのマシンガントークにより我が家にいる理由を聞くに聞けず今に至る。今日は部活があるという黄瀬くんとは学校で別れた。市内の図書館に寄る予定だったわたしはそこでしばらく時間を潰し、ようやく家に帰ったところで、なぜかキッチンでお母さんと仲良く料理をしてる黄瀬くんを発見。思わず鞄を床に落としてしまった。


「部活終わって帰ろうとしたら名前っちのお母さんに会って、ご飯食べて行って〜って誘われちゃって」


お言葉に甘えちゃったッス!と黄瀬くんはニコニコしながら嬉しそうに話す。今日はハンバーグだというので、黄瀬くんがお母さんの手伝いをしてくれていたのだけど、わたしが帰ってきたことで「あとはお母さんがやっとくから名前の部屋にでも行ってたら?」と気を使ってくれたので、わたしと黄瀬くんは二階の部屋に上がった。


「名前っちの部屋くるの2回目ッスね」

「前はわたし風邪ひいてて何のおもてなしもできなくてごめんね」

「全然いいのに。それより名前っちの部屋こうして見るとなんか女の子らしいッスね」

「………これでも女の子だからね」


さりげなく失礼なことを言われた気もするけどあえてあまり触れないでおく。黄瀬くんは珍しそうにわたしの部屋を見渡していた。すると黄瀬くんがあるものに目をつけて手を伸ばす。


「この写真立てオレの中学でも作ったッス!」


懐かしい〜、言う黄瀬くんの手にあるのはわたしが中学の美術の授業で作った写真立てだ。不器用なわたしにしてはなかなか出来がよかったから結構気に入っていた。


「黄瀬くんは使ってるの?」

「オレのは失敗しちゃって捨てようとしたんだけど勿体無いって言ってばあちゃんが使ってる」

「そうなんだ、ちょっと見たかったなぁ」

「見られたら恥ずかしいッスわ!それより、これ写真入れないんスか?」


黄瀬くんの何気ない問いかけにわたしは一瞬言葉を考えた。黄瀬くんの言う通り、その写真立てには写真が入ってない。入れなかったわけじゃない。元々そこには写真が入ってた。


「その中の写真、もう捨てちゃったの」

「それって…」

「うん、中学のときの。他にもあった写真は全部捨てちゃった」


写真だけじゃない。お揃いで買ったヘアピンとかストラップとか、体育祭で使ったハチマキ。あの頃のたくさんの思い出はあの日を境に全部消えた。


「だったら、写真も思い出も、これからまた増やしていけばいいんじゃないッスか?」


黄瀬くんがそう言って笑うとわたしの隣に座りスマートフォンを取り出した。


「まずはその写真立てに飾るやつね」

「え?」

「ほら名前っち、もうちょっとこっち」

「わっ…!」


黄瀬くんに肩を寄せられて、スマートフォンで起動したカメラをこっちに向ける。黄瀬くんとの距離がいつもより近くて変に緊張してしまうけど、それよりも嬉しさのほうが大きかった。


「はい、撮るよー」


カシャ、そんな機械音と同時に画面に映し出されたわたしを見て黄瀬くんは「名前っちメガネ邪魔で全然表情わかんない!」と嘆いていたけど、わたしにはあの頃より楽しそうに笑っている自分が見えた。


「写真プリントしたら渡すね」

「うん、ありがとう!」


ちょうどその頃、下からお母さんがわたしたちを呼んでいて、ふたりで部屋を出た。






「名前っちのお母さんのご飯超うまかったッス!」

「よかったわ〜!またいつでも来てね」

「はいッス!お邪魔しました」

「お母さんわたし黄瀬くん送ってくるね」


黄瀬くんと一緒に家を出る。玄関を出たところで黄瀬くんが振り返りわたしを止めた。


「もう暗いし危ないから名前っちは家に戻りな」

「でも黄瀬くんだって危ないのは同じじゃ…」

「俺は男だし大丈夫ッス!」


ね?とわたしの頭にポンと手を置く黄瀬くんに渋々納得する。


「じゃあ、また明日ね」

「うん、バイバイ…」


手を振る黄瀬くんに手を振り返す。歩き出した黄瀬くんの背中が見えなくなるまで見送るつもりだった。


「き、黄瀬くん…!」


そのつもりだったのに、わたしは黄瀬くんの元まで走って追いかけた。黄瀬くんの制服を掴んで引き止めると驚いた顔で振り返った黄瀬くんと目が合う。


「え、名前っち!?家に戻りなって言ったのに!」

「ご、ごめん…!」

「どうしたんスか?」

「お礼、言いたくて…」

「お礼?」

「友達がうちに遊びに来てくれたのって初めてで…すごく嬉しかったの。写真も!一緒に撮ってくれて、黄瀬くんはわたしの表情わかんないって言ったけど、わたしは…黄瀬くんと一緒にいる今が一番笑えてるよ」

「……!」

「だから、ありがとう!…って、それを言いたくて…」


な、なんか言ってからすごく恥ずかしくなってきた。目の前で目を見開いてる黄瀬くんからだんだん視界は下を向いて俯く。


「名前っちって、バカ正直っていうか、なんかバカ通り超して可愛いっていうか…」

「…ん?ええ!?か、かわ!?」


黄瀬くんの言葉にぎょっとして顔を上げると頭を掻きながら目を細めて笑う黄瀬くんと目が合う。すると黄瀬くんの手がすっと伸びてきてわたしの頭にポンと乗る。


「ありがとう。ちゃんと伝えてくれて…」

「あ…」


ふと黄瀬くんの顔を見上げると頭にあったはずの黄瀬くんの手がわたしの目を覆うように降りてきた。


「ごめん、ちょっと今見ないで。情けない顔してるから」

「え、黄瀬くん?」

「やべー…超嬉しいかも…」


指の隙間から見えた黄瀬くんの表情は困ったように眉を八の字にして、だけど嬉しそうに笑っていた。だけどそんな黄瀬くんの耳が真っ赤になっていたことに気づいてこっちまで恥ずかしくなってしまう。何か言わなきゃ、そう思って口を開けばわたしは更に恥ずかしい言葉を口走った。


「き、黄瀬くんは、わたしの一番だからっ!」

「!」

「あ…えっと…じゃ、じゃあ帰るね!また明日!」


また明日、黄瀬くんと笑って一緒に居られますように。そんなことを明日に願ってわたしは走って自分の家に向かった。




「んー…今のはちょっと、ヤバイッスわ…」


真っ赤な顔で走って行った彼女の背中を見つめながら頭を抱えた。ヤバイと思った。しまった、と思った。何が、とか具体的にはわからないけど俺の中の何かが崩された気がした。

なんでだろうな。頭に浮かぶのは地味な容姿なのに。そんな姿ですら可愛いと思えてしまうんだから。だから考えてしまった。

もしこの先、あの子に特別な人ができたら、あの子の一番が他の誰かになってしまったら、俺は笑っていられるのかなって。

だから欲張りになってしまったんだ。

これからもあの子の一番は俺だけにしてほしい、と。

あの子の一番を誰にも譲りたくない、と。

そして気づいてしまったんだ。

俺の一番はもうとっくに彼女になっていたことを。

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