(どうしよう…)


あれからどれくらいの時間が流れたのかわからない。お母さんは寝てなさいと言ったけどダメだ眠れない。お母さんの話では学校が終わったら黄瀬くんがお見舞いに来るらしい。寝れるわけがない。布団にくるまってぎゅっと目を瞑る。黄瀬くんが来たらなんて言おう。保健室まで運んでくれたお礼?いや、この前酷いこと言ってしまったから先に謝ったほうがいいのかな。ああああ。頭が爆発しそうだ。


「名前、黄瀬くん来たよ」

「ひえっ!?あっ、うん…!」


嘘、もう!?一階のリビングから聞こえてきたお母さんの声にテンパりながら部屋の時計を見ると確かに学校は終わってる時間だ。慌ててベッドの脇にあるメガネをかけて起き上がった。


「お邪魔するッス…」

「あ、えっ、はい…!」


遠慮がちに部屋のドアが開いて、そこから金色の髪がちらりと覗いた。「…どうぞ」「あ、はい、失礼します…」とわたしたちの会話はどこかぎこちない。以前のような明るさもなくて、黄瀬くんの表情は硬いままだ。わたしもおそらく同じような表情をしてるのだろう。


「具合、どう?」

「…大丈夫。黄瀬くん、保健室まで運んでくれたんでしょ?ありがとう」

「いや…お礼を言わなきゃいけないのはオレのほうなんだけど、」


黄瀬くんはわたしのいるベッドの前にしゃがみ込んでわたしの視線に合わせると少しだけ不貞腐れたような顔をして「でもその前に教えて」と言う。やっぱり怒ってるのかな。


「何で嘘ついたの、」

「えっ?」

「どうして傘2本あるって嘘ついたの?オレや吉田くんに心配かけないため?」

「それは…」

「そうだよね?」

「………」


真剣な顔で黄瀬くんがわたしの顔を見てくるから何も言えなくなってしまった。すると黄瀬くんは俯いて「はぁ、」とため息をつくと黙り込んだわたしの手をぎゅっと握った。


「き、黄瀬くん…?」

「もう、ほんと名前っちズルくてムカつく」

「…ご、ごめんね?」


面と向かってムカつくと言われるとさすがにキツいなぁ。それこそ、わたしは謝ることしかできなかった。すると黄瀬くんは片方の空いてる手で頭をガシガシと掻くとと少しイラついた声で「ごめん、そうじゃなくて」と言う。


「…すげー嬉しかったんス」

「え?」

「吉田くんから傘受け取って、すぐに名前っちだってわかった。直接じゃなくても、オレにしてくれる優しさがすげー嬉しかった。でもちょっとムカついた。オレのこと突き放したくせに、それなのに優しくしてくるのはズルいなぁって。オレだって名前っちのためにたくさんしてあげたいのにって思った」

「………」

「それに、オレのために自分を犠牲にはしてほしくない」


もっと自分を大切にしてよ、と黄瀬くんは困ったような笑顔で言った。ね?と念を押すように首を傾げられてわたしは無言で頷いた。


「ごめんね、オレが早く気づいてあげられてたら名前っちが濡れて帰ることなかったのに」

「ううん、わたしが勝手にしたことだから」

「傘、ありがとう」


そう言って綺麗に畳まれた折り畳み傘をわたしに手渡した。そして「あと、これ…」と来る時に一緒に持っていたコンビニの袋をわたしに差し出した。


「ゼリーとか軽く食べられるもの買ってきたから、よかったらー…って、ええ!名前っち、何で泣いてんの!?」

「う、嬉しくて…っ」


黄瀬くんから受け取ったコンビニの袋の中はわたしの好きなお菓子だったり、風邪のときに食べやすいゼリーや飲み物だった。わたしが前に好きだって言ってたお菓子覚えててくれたんだ。嬉しい。


「黄瀬くん、」

「ん?」

「わたしも、黄瀬くんに謝らなきゃいけないことがあるの…」


わたしの思ってること、ちゃんと黄瀬くんに伝えなきゃ。いつもみたいに逃げてちゃダメだ。ちゃんと向き合わなきゃ。


「あのね、黄瀬くん…!」

「うん」

「えっと、あの…何から言ったらいいのか、わからないんだけど…わたしね、」


うまく言葉にならなくて、緊張やら不安やらで折角引っ込んだ涙がまた出てきそうになった。そんなわたしに黄瀬くんは「ちゃんと聞くから、ゆっくりでいいよ」と優しくわたしの頭を撫でた。黄瀬くんの手、すごく落ち着く。わたしは一度大きく息を吸った。


「あのね、黄瀬くんと初めて図書室で会って、友達になろうって言ってくれて、わたし本当はすごく嬉しかったの」

「…!」

「でも怖くて…あとから失っちゃうのが怖くて素直になれなかった。だけど黄瀬くんはそれでも追いかけてくれたし、声をかけてくれた。気がつけば黄瀬くんと一緒にいる時間がすごく楽しくて、いつの間にか黄瀬くんはわたしの中で大切な人になってた」

「うん」


震える声で、だけどひとつひとつゆっくりと伝えた。緊張で握っていてくれた手をわたしはさらにぎゅっと握る。黄瀬くんは何も言わず優しく笑ってしっかり聞いてくれてる。


「だけどね、わたし周りの目が怖いの。嫌われるのが凄く怖い。だから黄瀬くんと仲良くなればなるほど黄瀬くんのファンの子たちに何を言われるかいつも怖かった。そしたらある日言われたの。"黄瀬くんはみんなの黄瀬くんだから、自分だけのものだって勘違いしないで。わたしみたいな地味な子は近づかないで"って。何も言い返せなかった。その通りだなって、認めるしかなかった。だから、なかったことにしようとしたの。黄瀬くんといた楽しかった時間も、何もかも。ちょっと前のひとりだった頃の自分に戻るだけだって思い込んだ」


だから、あの日黄瀬くんに酷いことを言って突き放した。黄瀬くんを傷つけてしまった。でも黄瀬くんがいなくなっちゃった瞬間に気づいたの。黄瀬くんがわたしにとってどれだけ大きな存在だったか。いつもわたしの手を引いてくれるのも、わたしに笑顔をくれるのも、全部、全部黄瀬くんだった。


「失うくらいならずっとひとりでいいって思ってた。黄瀬くんのファンの子たちから嫌われるのがすごく怖かった。でも今は違うの」

「……」

「黄瀬くんと一緒に居たいって思うし、なにより黄瀬くんに嫌われるのが一番怖い」

「名前っち…、」

「自分勝手で、ごめんなさいっ!でも、これが私の気持ち」


あぁ、どうしようすごくドキドキしてる。気持ちを伝えるのってこんなに緊張するんだ。


「だ、だからね…!黄瀬くんのこと、もっと知りたい!私のことも知ってほしい!」

「うん、」

「それで…よかったら、もう一度、わたしとお友達になってくださいっ!」


勢い余って前にのめりすぎてベッドから落ちそうになった。それを黄瀬くんが支えてくれたおかげでなんとか体制を維持できた。だけど次に黄瀬くんは手で顔を覆って俯いてしまった。


「黄瀬くん…?」

「ごめん、ちょっと待って」

「え?え…?」

「やべぇ…嬉しくて顔めっちゃニヤける」

「…!」


面と向かって言われると結構恥ずかしいんスね、と言う黄瀬くんの耳は赤かった。それに気付いてしまってこっちまで恥ずかしくなってしまう。言われた側が恥ずかしいのなら言った本人は相当恥ずかしい。顔が熱い。また熱が上がりそうだ。そしてゆっくりと顔をあげた黄瀬くんはわたしを見てニコリと微笑む。いつもの黄瀬くんの笑顔だ。


「改めてよろしく、名前っち!」


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