おわらい



お笑い芸人を目指したきっかけと言えば、元同級生であり今の相方である岸田に誘われたから。ただそれだけ。

別に何がやりたいとかいう夢もなく、馬鹿だった俺はイケメンで頭もいいという奇跡のような男、岸田の誘いに深く考えることもなくほいほいと着いていったのだった。

入学金やら授業料やらの馬鹿高い学校に通い(岸田が払った)、無事に卒業した俺たちは何故か当然のようにコンビを組んだ。

岸田は同期や先輩たちから色々とお誘いを受けたらしいが、何故か不細工以外に取り柄のない俺を選び、俺には金魚の糞という渾名がついた。

イケメンと不細工で売り出した俺たち。結論から言えば、結構売れた。岸田はとにかくイケメンだし、笑いのセンス半端ない。そして何故か俺はブサ可愛いという余り喜べない感じの評価を受けた。

この頃、俺は岸田のいう通りに動くだけという自分が嫌になってきて、遅いかもしれないけれど笑いについて研究するようになった。

ネタも書いて、一発ギャグも何通りも考える。今まで面倒くさくて適当な理由をつけて逃げてきた先輩や同期たちの飲み会にも参加するようになった。

「最近のお前、良くなったよな。いろんな意味で」

そんな風に変わった俺を誉めてくれたのは、駆け出しの頃から何かと目をかけてくれていた先輩だ。他の同期たちも今まで俺を見る度に眉間にシワを寄せていたけれど、最近は俺単品でも飲み会に誘ってくれるし、話しかけてくれるようになった。

俺は今まで全て岸田の言う通りにしてきた。岸田の考えたネタ、岸田の考えてきたトーク。俺はそれに何も考えずに従ってきた。お笑い、というものを馬鹿にしていたんだ。

「最近、変わったね」

控え室でもうんうんと唸りながらネタを練る俺の姿を見て、岸田はそう言った。俺はノートから目を離さないままぶっきらぼうに「そんなことないよ」と返したものの、内心では完璧な岸田に誉められたと言うことで舞い上がっていた。

だから憎々しげに顔を歪め俺をじっと見つめている岸田に気がつかなかった。



俺もネタを考えるようになって半年以上が過ぎた。同期や先輩にも指導を受けながら、俺はいくつものネタを考える。その作業は本当に大変で、それでも楽しいものだった。

「…正直に言うとあんまり面白くないし、なんの捻りもないなって感じる。これをお客さんの前でやるのはちょっと、ね」

俺は出来上がったネタでも先輩や同期に好評だったものを岸田に見せている。何十回も繰り返したやりとりで岸田はいつも困ったように笑う。そして決して首を縦に振ることはないんだ。

岸田は確かに面白い。漫才からコントまで何でもそつなくできてしまう。だからそんな彼から見たら俺のネタなんてつまらないことは分かってる。

でも、俺は自分のネタをお客さんの前でやりたいといつしか強く思うようになっていた。俺の力なんてたかが知れているとは思うけれど、どこまで通用するのか知りたいんだ。

二ヶ月悩んだ末に出した結論は解散だった。いつもは弱気な俺が漸く結論を出せたのは、先輩や同期の後押しがあったからだと思う。

「解散しよう、岸田」

番組の収録の後、俺は岸田にそう言った。マネージャーや社長にはもう相談ずみで、君のやりたいようにやればいいんだと暖かい声をかけてもらえている。俺の震える声に岸田は驚くこともなく、いつもの柔らかな笑みをたたえて俺を見ていた。

「解散かあ。ふうん。急にそんなことを言って誰に唆されたの」
「そ、唆されたとかじゃなくて…!ずっと考えててっ!」
「ずっと考えてたんだ。―お前って、恩知らずな奴だなあ」

岸田は笑みを浮かべたまま、冷えきった瞳で俺を見据える。まるでゴミでも見るような蔑んだ目。

「お前がここまで来れたのは全部俺の力だよ。お前は全くやる気もなくて、それを必死に引っ張ってきたのは俺だ。それなのに少しお笑いに興味でてきたと思ったら、簡単に俺を捨てるのか。お前、本当に最低な奴だな」

岸田はべらべらと捲し立てると真っ青な顔で震えている俺を睨みすえる。岸田の言葉は全て正論で、俺は言い返すことも出来ずに唇を噛んで立ち尽くしていた。

「周りの奴らから何を吹き込まれたか知らないけど、お前みたいな奴がやっていけるほど、この世界は甘くないよ」

そこで岸田はつかつかとソファーに近づき、置いてあった俺の鞄から分厚いぼろぼろのノートを取り出した。

「これ、お前のネタ帳もさ、毎回お前が見てほしいってかわいく頼むから仕方なく見てやっていたけど」

岸田はそこで一端、言葉を切るとにっこりと笑った。背筋が寒くなるような笑顔に俺が凍りついた瞬間、岸田は両手に持ったノートを躊躇うことなく二つに引き裂いた。

「っ!や、やめろ…っ」
「うるせえ!こんな使われないネタ、あったって意味がねえだろうがっ!」

岸田はノートを奪い返そうとした俺を平手でぶつと、呆然と床にへたりこんだ俺を見ることもなくノートを引き裂き続ける。それがただの紙屑になるまで、ひたすら。

気づいたら俺は痛む頬を押さえて泣いていた。なにも言い返せない自分が悔しかった。そんな俺を見て、岸田は最後に床に散らばった紙屑を踏みにじると、俺の目の前にしゃがみこむ。

「痛かった?それとも怖かったか?俺も本当はお前を怒りたくなんてないんだよ。でもお前がさ、簡単に解散しようなんて言うから仕方ないだろ」

岸田は俺をぎゅっと抱き締めると、俺の前髪をあげて露になった額に何度も繰り返し口づけた。そしてあやすように優しく言葉をかける。

「お前と一緒にやれるのは俺だけだって。現に結果が出てるじゃないか。…お前はなにもしなくていい。お前がもっと上に行きたいなら俺が叶えてやる。だから、もう二度と解散とかふざけたことは言うな」

分かったな?
そう言われて俺は泣きながら押し黙った。今までずっと俺に対して優しかった筈の岸田が突然豹変したことに衝撃を受けていた。怖かった。俺の頭の中は蔑む目で俺を見ていた岸田で一杯だった。

「震えてる…かわいい。びっくりしたの?大丈夫だよ、お前がいい子にしてたら怒ったりしない。それに、―悪いのはお前だけじゃなくて、素直なお前を唆した奴らだもんな」

見上げる岸田は笑いながら、目を憎悪に歪めている。ぎしりと俺を抱き締める腕に力が入った。

「ずっと二人でやっていこうな。ずっとずっとずっとずっと、俺とお前で」

岸田は歪に笑ったまま俺の口に自分の口を重ねて、囁くように愛してるよと言う。

夢なら早く覚めてほしい。どっきりだと言うなら早く早く終わりにして。これが現実だと言うなら、笑い話にもなりやしない。





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