死神は嫉妬する

死神が俺の側をべったりと離れなくなって一週間、俺はこの異常と言っても過言ではない現状に慣れつつあった。死神は俺を外に出すのだけは嫌がったが、後は大して口を出したりしなかった。

俺がごろごろしていても、嬉しそうに微笑みながらせっせと家事をこなす。死神のくせに料理の腕はぴかいちだし、掃除だって洗濯だってやるというのには少し驚いたが、武器がチェーンソーという時点で何でもありかと思い直した。ちなみにチェーンソーは出し入れ自由らしく、今はどこにも見当たらない。

「ひろ、今日は何が食べたいですか」

春休みという夢のような二ヶ月を怠惰の限りを尽くして謳歌する俺は、ソファーに寝転びながら顔を覗き込んでくる死神を見た。

「…ピーマン以外なら何でもいい」
「ひろは何時だってそれですね、本当にかわいらしい」

ピーマンをこの世の敵だと思っている俺は死神のからかうような台詞に眉間にしわをよせる。だが、余りにも死神がうっとりと俺を見ているので怒るのも馬鹿らしいと再び目を閉じた。

そんな時、ピンポーンと間抜けな機会音が部屋に響く。目を開けてちらりと時計を見ると、お昼前。恐らく実家から食料やら何やらが届いたのだろう。

俺がソファーから立ち上がり、インターフォンに出るのを死神は何も言わずにじっと見つめていた。表情をなくしたその顔は不気味であったが、死神は俺を傷つけたりしないとその時の俺は馬鹿な確信を持っていて、阿保な俺の頭は始めて出会った時の死神なあの恐ろしさをすっかり忘れてしまっていたのだった。

「お疲れ様です」

はんこを持って玄関に向かうと、気の良さそうな宅急便のお兄さんが頭を下げた。

「こんにちは、お届け物です。すみませんが、ここにサインだけお願いします」

笑って俺に用紙を指し示してくるお兄さんに、俺は分かりましたと頷いてはんこの蓋を開ける。そうして、朱肉を持ってきていないことに気づいた。

「ちょっとすみません、すぐに戻ります」

確かあれはリビングの棚の引き出しにあったなと考えながら、お兄さんに声をかけて玄関に背を向ける。後ろを振り向いた瞬間、俺は文字通り凍りついた。


死神が俺から三歩ぐらい離れたところに立っている。その顔にいつもの笑みはなく、硝子玉のような目だけが異様な光を発して俺を、いや俺の後ろを見ていた。そして死神の手には、あの日以来、見ることのなかったチェーンソーが握られている。

俺はぞっとした。死神のやろうとしていることが手にとるようにわかった。俺は慌てて回れ右をすると、玄関の靴箱の上に放り投げてあったボールペンを引っつかみ、呆気に取られているお兄さんの手から用紙を引ったくる。そのままぐちゃぐちゃなサインをして些か乱暴な手つきでそれをお兄さんに押し付け、荷物を奪うようにもらうと、声をかける暇もなくドアを閉めた。ついでに鍵までかける。

始終、ほうけた顔を浮かべていたお兄さんには見えなかったのだろうか。俺はじわりと額に汗が浮かんでくるのを感じながら、どうしても後ろを振り返ることが出来ずにその場に立ち尽くしていた。

空気が重く、冷たい。もしかしたらお兄さんには、いや普通の人間には死神の姿が見えないのかもしれない。そうだとしたらお兄さんがチェーンソーを握っている死神に対して何の反応も示さなかったのも頷ける。

「ひろ」

さっきまでの甘く柔らかな声の名残はどこにもない。冷たく低い声が俺の名前を呼んだ。振り返らなければならない。そうしなければ事態は悪化するということがわかっているのに、俺の体は恐怖に竦み上がりぴくりとも動けない。

「ねえ、ひろ。何で私を見てくれないんですか。怖いからですか。ねえ、何とかいって下さい。…ねえ、ひろ。私、最初に言いませんでしたっけ」


私、無視されるのは嫌いなんです。


一瞬だった。背後から伸びてきた腕が逃げる間もなく、俺を囲い込む。ひゅっと恐怖に喉が鳴った。スーツに包まれた腕に肋骨が折れそうな程にぎちりぎちりと胸と腹を締め上げられ、余りの苦しさに回された腕に爪を立てた。それでも緩まない腕に、俺はパニックになって、さっきまで感じていた恐怖も忘れて必死にもがく。パニックになった頭は背後から聞こえてきた舌打ちに気がつかない。

そうして気がついた時には、あの一週間前に聞いたエンジン音が耳元で唸りをあげていた。

「ひろ、大人しくして下さい。じゃないと首が落ちますよ」

いつの間にか体に回っていた腕は片腕になっていて、外されたもう片方の腕はチェーンソーを握り俺の首のすぐ近くに構えていた。耳をつんざくようなエンジン音と回転する刃に俺は一気に血が足元に下がっていくという感覚を体験する。出会った時とは死神の雰囲気がまるで違う。あの時はまだ俺の反応を見て楽しんでいるような部分があった、でも今は、

「ひろは誰にでもああやって愛想を振り撒くんですね。それとも、私を嫉妬させたかった?もしそうなら大成功ですよ、だって私は今、嫉妬に腸が煮え繰り返ってあの男を今すぐ生きたまま切り刻んでやりたい程ですから。それなのにひろはあいつを庇いましたよね。私には嘘をついたって無駄ですよ。あなたは確かに私に殺されるべき男を庇いました。それはつまり、私よりあの男を優先したと言うことです」

死神の低く冷たい声が淡々と言葉を並べたてていく。チェーンソーが耳元で唸っているにも関わらず、その声はやすやすと俺の耳に滑り込んできた。しかし言葉の意味が俺には全く理解できない。

石のように固まり動かない俺の耳に死神が顔を近づける。背中に触れている死神の胸には鼓動がないのに、呼吸はしているのか、ふうと耳に冷たい息を吹き込まれた。

「あなたは酷い人だ。」

そうして囁かれた言葉を理解する前に首を思い切り捩られ、何か冷たいものを口に押し付けられる。それが死神の唇だというのに気づいた時にはもう遅かった。首を痛めそうな無理な姿勢のまま、濡れた舌が口の中に滑り込んでくる。ひんやりと冷たいそれは俺の口の中で暴れ回り、どんどん熱を奪っていく。エンジン音が遠い。俺の舌を執拗になぶる死神の舌。気持ち悪い。気持ち悪い筈なのに、俺は息をよじらせた。口と一緒に頭もぐちゃぐちゃと掻き回されているみたいに何も考えられない。

「はっぁ…ふっ」

今まで付き合ってきたどの女の子とも、こんなに激しい口づけをしたことがない。足に力が入らず、冷たい胸に体重をかけてどうにか体を支える。酸素が足りずに頭がぼうっとしてきた頃、漸く口が解放された。離れた口と口を繋ぐように唾液の糸が伸びて落ちていく。呼吸もままならない口づけに、肩で必死に息を整えていると、ぐいっと腰を掴まれ体の向きを変えられる。死神と向き合う形になって、呼吸も整わないまま恐る恐る上を見上げると、死神はじいっと無表情に俺を見つめていた。息も平常と変わらず全く切らしていない。

「ひろ、」

名前を呼ばれて恐怖に反らそうとした瞳を再び死神に向ける。死神の目は真っ暗で底が見えない。気を抜けばその深い黒に引きずり込まれそうだ。チェーンソーはいつの間にか消したのだろう、死神の両腕は俺の背中にがっちりと回され、どうやっても抜け出せそうにない。

「ひろ、教えて下さい。私とさっきの男、どちらがあなたにとって優先するべき存在ですか」

腰に回された腕に力が入る。ぎしりと骨が軋んで、思わず小さなうめき声をもらした。こいつはやっぱり俺に選ばせる気など端からないのだろう。そしてそのどちらを選んでも宅急便のお兄さんは無事では済まされないような気がする。しかしお兄さんの安否を気にしている場合じゃない、俺の首はいつでもすぱんと撥ねられる位置にあるのだから。

「…お前に、決まってるだろ」

その一言で死神はすぐに顔を笑みの形にする。そうして甘くとろけるような声で囁いた。

「私もあなたが何より大切です。あなただけが私の全てだ。ねえ、愛してますひろ」


でももう次は無いですから、と呟いた死神の声がやけに冷たくて、俺は機嫌を取るように震えていた腕を死神の背中に回した。途端に周りの空気が軽くなり、死神は優しく微笑みながら俺の顔中にキスの雨を降らせる。

「ひろ、かわいい…。大丈夫、これからは私が来客の方に対応します。あなたを他の人に一部分だって見せたくない」

死神は俺の髪を撫でるとそのまま後頭部を引き寄せて、口を合わせてきた。機嫌を悪くする訳にはいかない。恐怖が染み付いた脳は、望まれるまま容易く死神の舌を口内に招き入れる。冷たい舌が口内を掻き混ぜる奇妙な感覚は、何時までたっても慣れそうになかった。

「愛してる愛してる愛してる。あなただけだ、ひろ…ずっと一緒」

キスの間中に囁かれる呪いのような言葉がぐるぐると頭を回る。このままじゃ俺は生きていても死んでしまっても自由にはなれない。俺は、さっきまで見ていた番組の内容を思い出す。死神って幽霊と同じようにお祓いできるのだろうか。




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