泣きはらした貴方を迎えに行きましょう

「荘太、荘太、何処へ行く」

玄関で座って靴を履き替えていると、ぺたりぺたりと裸足で木の床を歩く音。肩越しに振り返れば、真っ白な髪に赤の目を持つ男が立っている。

「仕事に行くんだ。お昼には一度帰ってくるから、家の中で待ってて」
「一人で行くのか。そんなの駄目だ。私も付いていく」

ぱたぱたと男の後ろで揺れる尾を見て、俺は苦笑した。

「紺が出たら、皆が驚くよ。そうしたらもう一緒に暮らせない」
「…それは嫌だ」
「すぐに帰ってくるよ。伊藤さんの所でお土産も買ってくるから」

おあげ、好きだろ?その一言でぶんぶんとさらに尾が揺れるのを見て、俺は立ち上がる。

「いってらっしゃい」

紺が目を細めて俺を見るのに、俺は微笑んでいってきますと答える。当たり前になった日常が、なんだかくすぐったかった。

あの日、迷わずに狐の元へと辿りついた俺は、驚き目を見開く狐に握りしめていた鈴を差し出すとこう言った。「約束を守りに来た」って。狐は震える手で鈴を受け取るとほろほろと涙を流して俺を強く抱きしめた。「もう決して離さぬ」そう言った狐に応えるように背中に回した腕で抱きしめ返した。

それからは二人で狐が森から出る方法を考えた。俺が森に住むっていうのは難しいし、何より狐が嫌がった。この森には危ないものが沢山うごめいているらしく、俺をそんな中に置いておきたくないと言う。

そうして考え付いたのが、粉々になった石像を山から持ち出すということ。元々、狐は石像に宿っていた神使であり、砕けてしまった今も石像に縛られているからである。
俺と狐は石像の破片を何日もかけて集め、俺がばあちゃんの家へと運んだ。知り合いに手押し車を借りて何度も往復する作業は結構、大変だった。けれど、縋るような狐の表情を見ていると弱音なんてどこかに吹っ飛ぶのだ。

「これで最後だ」

そう言って狐が拾い上げたのは、石像の頭部だった。山を下ると、ずしりと重たいそれを狐から受け取り大切に手押し車に乗せた。

「行こう」

空は紺色に染まっている。俺はじっと立ち止っている狐を呼んだ。狐は不安げに俺を見る。きっと怖かったし不安だったのだろう。俺は手押し車を片手で支えて、片手を狐へと差し出した。握られた手はやはりひんやりと冷たかった。

そうして狐と俺は、ばあちゃんの家で暮らしている。俺は大学を辞めると、母に泣きついて取り壊すはずだったばあちゃんの家をそのままにしてくれるように頼みこんだ。その時の俺があまりにも必死だったからだろう。母は理由も聞かずに了承してくれた。

大学を辞めたときだって、ばあちゃんの家に移り住むって言ったときだってそうだ。「あんたの好きにしなさい」と両親は俺を批判も責めたりもしなかった。俺に隠れて母が泣いていたことを知っている。でも、俺はどうしてもこの小さな村に残りたかった。狐との約束を守りたかったのだ。

一緒にばあちゃんの家に住むようになって、化け物に堕ちて名前を失った狐に俺は「紺」という名前を付けた。正直、何の捻りもない名前だけれど紺はとても喜んで尾をたくさん振っていたからまあいいか、と思う。

 この村に住むにあたり、一番心配だったのが仕事である。村から町へ行くには車で一時間ほどかかるし、長い間、紺を一人にさせておきたくなかった。そんな俺に声をかけてくれたのが、ばあちゃんの知り合いであり、この村で唯一の医者である村井さんである。

「荘太くんがよければ、うちの医院の事務をやってくれないかな」


俺はその言葉に飛びついた。医院はばあちゃんの家から徒歩十分の距離で、村井さんは俺が小さいころからよく知っている人だったからだ。

医院が休みである日曜日以外、俺は朝から夕方まで受付などの仕事を行う。昼には一度家へ帰って、紺と昼食を食べる。紺と少しだらだらした後、再び医院に戻り仕事をする。それがここ最近の俺の日常だった。

「荘太、荘太」

俺が仕事から帰ってくると紺は玄関まで尾を振りながら出迎えてくれる。そうして次の日の朝、俺が仕事に出かけるまでは絶対に傍から離れない。

「ずっと一緒だ、荘太。愛している」

紺は真っ赤な瞳を細めて、幸せそうに笑う。紺の手首に下がる鈴は、俺が持っていた時が嘘だったみたいに、澄んだ音を奏でた。

お土産に買ってきたおあげを嬉しそうに食べる紺を見る。揺れる狐の耳は嬉しそうに震え、尾ははたりはたりと畳を叩く。

外では涼しげなコオロギや鈴虫が鳴いている。

おあげを食べ終わったのだろう、紺が俺を背中から覆いかぶさるように抱きしめた。すりすりと首筋に擦りつけられる鼻がくすぐったくて笑えば、紺はやはり嬉しそうに鳴くのだった。




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