死神は恋をする


朝起きたら、今までに見たことがないようなイケメンが部屋の真ん中に正座で座っていた。高級そうな黒スーツをびしりと着こなし、柔らかそうな笑みを浮かべているその男は俺の散らかった部屋で完全に浮いている。

人間、驚きすぎたら逆に冷静になれるものだなと新たな発見をしながらぼんやりとイケメンを観察していると、そいつは首を傾けてにこっと人好きの良さそうな笑顔を浮かべてこう言ったのである。

「初めまして、あなたを担当させて頂くことになりました死神です。突然で申し訳ありませんが、あなたに恋をしてしまいました。私と愛し合うか、それとも予定通りに殺されるか選んで下さい」

俺が何だ夢かと再びベッドにもぐりこんだのもしょうがないことだと思う。それなのに自称死神は「無視は嫌いです」と笑って俺にチェーンソーを差し向けてきたのである。悪態をつく暇もなく俺が文字通り飛び起きたのはいうまでもない。

首に押し当てられたチェーンソーの側面の刃の冷たさがやけに生々しく、必死に否定しながらもこれが現実なのだと覚醒した頭でひしひしと感じていた。つか死神の相場って鎌じゃないの。文明の利器に流されすぎて色々と台なしになってる。何が台なしなのかはわからんけど。

「もう時間が余りありません。あなたの死亡予定時刻まであと一分を切りました」

その言葉と同時にもの凄いエンジン音が響いて、俺はトリップしていた思考を慌てて現実に呼び戻し、目の前にいる自称死神を見た。死神は変わらぬ笑みを浮かべながらチェーンソーを動かし始めている。

高速で回転する刃。いったいあれで俺をどうすると言うのか。背中をつぅっと冷や汗が垂れていく。誰か助けてくれ。そう願っても一人暮らしのマンションでは助けを求めようがない。こうなるとわかっていたなら、隣人ともっと親睦を深めていたのに。

「あと三十秒です。…私としては愛するあなたを傷つけたくはないのですが、返答次第では仕方がありません」

死神が優雅な動作で立ち上がった。正座していた足が痺れることはなかったらしい。死神は迷いなくベッドで呆然としている俺との距離を詰めると、チェーンソーをゆっくりと持ち上げた。

「あと十秒です。はは、泣きそうな顔をしていますね。でも心配しないで下さい。あなたが死んでしまっても一人にはしませんから」

ずっと一緒です。死神が柔らかな笑みを消し去り、歪んだ顔で笑った。そうして楽しそうな声によるカウントダウンが始まる。俺は、近づいてくるチェーンソーを見ながら何故か頭はいつも以上に冷静だった。

その頭で必死に考える。答えを間違えたら、きっと二度と取り戻しはきかない。しかし、死神の提示したどちらに転んでも、俺は自由にはなれなさそうだ。そしてもう一つ確かなのはチェーンソーは俺の首ではなく四肢を狙っているということ。どうやら楽に殺してもくれなさそうである。舌なめずりでもしそうな顔で俺をじっと見つめている死神を見た。あと三秒。チェーンソーが俺の左腕を切り刻む瞬間、俺は口を開いた。

「ちょっと待って」

俺の声にぴたりと接近してきていたチェーンソーが止まる。死神はうふふと笑いながら、俺の顔を覗き込んだ。

「何も迷うことなんてありません。あなたはただ私に愛していると言うだけでいい」

俺の考えなどお見通しとでもいうように、死神は歌うようにそう言った。

「私はあなたを愛している。受け入れて下さるなら、私は絶対にあなたを殺したりなんかしません。私はただあなたとドロドロになるまで愛し合いたいだけなんです」

死神は恍惚とした表情を浮かべるとはあと息を吐いた。俺は今だ構えたまま下ろされることのないチェーンソーをちらりと見ると、乾いた唇を舐める。

幾ら目が覚める程の美形だとは言え、完全に目の前の死神は男だ。男と愛し合うなんて勘弁してほしい。でも痛いのはもっと嫌だ。注射だって極力避けてきたと言うのに。四肢がゆっくりと切断されていく様を想像してぞっとする。しかもチェーンソーだ。選択肢などあってないようなものじゃないか。

俺は覚悟を決めると、震える息をそっと吐き出した。たった一言、それさえ言えば今のところは殺されずにすむ。死神が約束を守る気があるのだとすれば、だが。

「…ぁぃ……てる」
「聞こえませんね。もっとはっきりとおっしゃって下さい」

脅すように揺れるチェーンソー。俺は息を吸い込んでええいままよと叫んだ。

「っあいしてる!」

俺の声が部屋に響いた途端に静まり返る部屋。あんなに煩かったチェーンソーの音すら止んでいる。俺は閉じていた目を恐る恐る開いた。

「……っ!」

そこには触れてしまいそうなほど近距離にある死神の顔。俺はびくりと体を震わせる。叫び声をあげそうになった口を慌てて閉じた自分を褒めてやりたい。

死神は硝子玉のような目で穴が空くんじゃないかと心配になってしまうほど、俺をじぃっと見つめている。息をするのも躊躇うほど近い距離に、離れようと体をずらした瞬間、死神が手に持っていたチェーンソーを放り投げた。

「っな!」

半円を描いたチェーンソーはがっしゃんと物凄い音を立てて部屋の角にぶつかると、そのまま落下した。俺は驚き過ぎて口をぱくぱくと開閉させることしかできない。かなり間抜けな顔のまま固まっていると、今まで黙っていた死神が「ああ…」とため息を零しながら、俺の体をゆっくりと抱きしめた。

「これであなたは私のものです。ああ、今日は何て素晴らしい日だろう。愛しています…私の裕章(ひろあき)」

死神の胸に頭を抱き込まれぎゅうぎゅうと締め付けられる。冷たい息が首をくすぐった。触れている体も震えるぐらいに冷たい。生きているものではありえないその冷たさに、ぶわっと体中に鳥肌が立つのを感じた。

「今日からはずっと一緒にいましょう、勿論あなたが死んでしまっても、ずっとずっと」

恍惚とした声が耳に吹き込まれる。俺はもしかしたら選択肢を間違えてしまったのかもしれない。だけど、こいつに出会ってしまった時点で俺にとってマイナスな選択肢しか最早存在しなかったんだとも思う。

俺の首筋にぐりぐりと頭を押し付け、鼻をくんくん動かしている死神の気持ち悪さを必死に耐えながら、チェーンソーがぶつかった部屋の角の壁が無事であることを願った。賃貸なんだから勘弁してほしい。




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