燦々と降り注ぐような思いを愛と呼ぶのなら

もう時間がないと言うことは自分でもよくわかっていた。人間の形に姿を保つことすら、難しくなってきているのだ。形を保つことのできない死神などただの負の塊であり、闇でしかない。

「シュウロ」

名を呼ばれて振り返る。そこには、優しく笑う神楽がいた。

「神楽、こんなところに来ちゃだめだ。先日の雨で地面がぬかるんでる」
「心配しなくても大丈夫だ、シュウロがいるもの」

神楽は美しい顔に微笑みをのせて俺の横に並んだ。背は神楽の方が僅かに高い。つい最近までは俺の方が高かったのに、と思っていると暖かな手が俺の頬に触れた。

「シュウロ、最近顔色が悪くないか」

俺は跳ねた心臓をひた隠し、元々無表情な顔で神楽を見る。

「死神に顔色などあるようでないものだ。人間とはそもそも造りが違う」
「…分かってる。でも不安なんだ。シュウロが今にも消えてしまいそうに感じる」

神楽が顔を不安げに歪める。俺は、神楽の手に自分の手をそっと重ねた。

「俺が消えたら、誰が神楽を守るんだ」
「そうだね。俺みたいに不幸に好かれている奴はシュウロがいなければすぐに死んでしまうだろう」

神楽はクスクスと笑う。触れている掌が暖かい。

「シュウロ、何処にもいかないでくれ。俺にはお前しかいないんだ」

神楽の言葉に俺は微笑むと、重ねている手に指を絡めた。肯定することはできなかった。


相馬 神楽。俺が担当を務めている人間の男である。出会ったのはまだ神楽が十にもならない時。俺は病気で死ぬ予定だった神楽の命を狩りに人間界へと下りた。

神楽は美しい少年だった。十にも満たない少年が一人、布団の中で苦しむ様は幾ら仕事とは言え、何時までも慣れないものだ。

「僕をつれていくの」

神楽は苦しそうに顔を歪めたまま、俺を見てそう言った。たまに死神を見ることのできる人間もいる。神楽もその人間のうちの一人だったのだろう。

「ああ、連れていく」
「…苦しい?痛い?」
「苦しくも痛くもない。そんなことも感じないくらい、一瞬だ」

俺は腰に下げている刀を撫でた。神楽は俺に怯えた様子もなく、汗の浮いた顔で微笑んだ。

「そう、なら早く迎えに来てくれればよかったのに」

神楽はそう言って目を閉じた。寝入ったのだろう。俺は枕元に座って、痩せてがりがりの神楽を見つめていた。まるで年老いた老人のような凪いだ目が、頭を離れなかった。

神楽は不幸な少年であった。前世に罪でも犯したのだろうか。それ程までに悲惨な人生を送っていた。

俺はすらりと刀を抜く。暗闇にぬらりと鈍く光る刀に俺が映り込む。自分でも笑ってしまうほどに情けない顔。

俺はこの日初めて、仕事を失敗した。

神楽は死んでいない自分と俺とを交互に眺めて不思議そうな顔をした。神楽の顔色はすっかり良く、病気は完治していた。主治医だろう男は神楽のすっかり良くなっている体を見て、信じられないという顔をする。

「あなたが治してくれたのでしょう」

俺は神楽の問いに肯定も否定もしなかった。自分の取った行動が、信じられなかったからだ。

神楽の人生は既に死と隣り合わせであった。俺はその後も、神楽が死にそうになる度に彼を助けた。理由は分からない。でも、そうせずにはいられなかった。

神楽は運命を飛び越えて、その命を延ばしていく。俺はひたすら彼を助け続けた。

「お前、薄くなってる。このままじゃ近いうちに死ぬぜ」

そう言われたのは何時のことだったか。俺は同じ死神の言葉に笑う。

「そうか。それもいいな」

死神は命を刈る。それが仕事である。仕事を続ける限り、この世界に必要なものと見なされ消滅することはない。そういう風に出来ている。

腰にさした刀が泣いた。俺は人の命を刈ることが出来ずにいた。このままでは、言われた通り俺は消えるしかないだろう。

「シュウロ」

名を呼ばれて振り返る。神楽は今年で二十歳になる。彼の死を避けて避け続けて十年が経つ。

俺が存在してきた年数に比べれば十年なんて本当に一瞬だ。それでも俺の存在してきた中で、何より幸せで愛しい一瞬であったと思える。

「神楽、俺はもうお前を助けることはできない」
「………え?」
「今日でお別れだ。お前とは二度と会わない」

俺は神楽の顔を見ることはできなかった。見てしまったら俺はきっと別れの言葉など伝えられなかっただろう。

「シュウロ、なんで?俺、何かした?気に食わないところがあったなら直すよ。だから、…だから、そんなこと言わないでくれ…」

神楽の声は震えていた。今すぐにその体を抱き締めてやりたい。けれど俺にはもう、姿を実体化できる程の力は残っていない。

「そういう問題じゃない。俺はもうお前には会わない。それだけだ」
「……いやだ、」
「神楽」
「…シュウロは酷い。俺を捨てるんだ。始めに手を伸ばしてくれたのはシュウロなのに。…捨てるぐらいなら始めから助けなければ良かったじゃないか!」

それは悲鳴だった。天涯孤独である神楽にとって俺の存在が大きくなっていることは分かっていた。

俺は唇を噛み締める。何の力もない自分が忌々しくて堪らない。いっそのこと人間であったなら、神楽をずっと隣で支えることが出来たのに。

「…神楽、」

神楽と過ごしてきた時間を思う。それだけで俺は幸せを感じるのだ。消滅するということは俺という存在が欠片も残さず消えてなくなると言うこと。死神に輪廻などはない。

だから、これが本当に最後。俺は背けていた顔を神楽に合わせる。神楽は美しい顔を悲壮に歪め、静かに涙を流していた。

「…いってしまうのか」
「ああ、いく。」
「俺を置いていくのか」
「そうだ」
「俺に、また一人で生きろと言うのか」

俺はぐっと唇を噛み締める。そうして微笑んだ。

「違う、お前は幸せになる。俺なんかじゃなくてもっと違う誰かに囲まれて。絶対に幸せになる」
「…なにを根拠にそんなことが言えるんだ」

冷たい嘲笑。だが美しい顔には、悲しいほどに似合っていた。

「俺が、死神であるが故に」
「死を司る神が?人の幸せを保証するのか」
「そうだ、それがお前のためなら」
「…シュウロが傍にいてくれることこそが、俺の一番の幸せと知っているくせに」

神楽が俺に手を伸ばす。俺は目を瞑った。そうして、息を飲む音。俺はそっと目を開く。

「シュウロ、お前…」

神楽の顔は蒼白だった。俺の頬に触れようとして通り抜けた手を、信じられないような目で見ている。

「シュウロ…シュウロ…どうして…!」
「…さよならだと、言ったろう」

俺は神楽を見る。あんなに小さかった子供。今まで何もかもを捨てて守ってきた存在。

「神楽、」

シュウロと俺の名前を呼ぶ声。濃紺の瞳。俺に伸ばす手も、全部、全部

「今までありがとう」

始めて愛しいと、守りたいと思った。だからこれでいいんだ。

「全部、やるから。だから」

俺は笑う。そうして、触れられないと知りながら神楽の唇に口づけを落とす。

「今度こそ幸せになれ」

神楽が俺に手を伸ばす。俺も同じように手を伸ばそうとして、けれど、ぱちんという音と共に、全てが消えた。


***


ある所にとても不幸な少年がいました。彼はまるで神様に嫌われてしまったようにいつも不幸であり、彼の回りには誰もいませんでした。

しかし彼はある日を境に変わったのです。彼はまるで神様に愛されたかのように、いつも幸せであり、彼の回りにはいつでも誰かの笑い声が絶えませんでした。

彼はその幸せな人生が終わる瞬間、どんな時よりも幸せそうな顔でこう言ったのです。

「シュウロ、お前は死神だったのかもしれない。だけど俺にとっては、そうじゃなかったよ」

そうして、ほろりと久しぶりにその濃紺の瞳から涙を一粒溢すと、誰もいない筈の空を見上げて微笑みました。

「今、会いに行くから」



おわり




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